第2話 ごめんなさい
翌日の放課後。
ユキは通学路の分かれ道で、少しだけ足を止めた。
近道の路地か、ぐるりと回る遠回りの道か。
遠回りはいつもより三十分は余計にかかるし、もうすっかり通い慣れた道は、こっちの路地のほうなのだ。
「……はあ」
ため息を吐きつつ、結局いつもの路地へ足を向けた。
昨日のことを思い出すと、正直、引き返したいが、毎日この道を通らないわけにもいかない。
居ませんように。お願いだから、今日は居ませんように……
そろり、そろりと、一歩ずつ路地に踏み込む。
息を殺し、曲がり角の手前で壁にぴたりと背を寄せて、そっと顔だけ出して様子をうかがう。
路地の真ん中。長い黒髪、薄いコート、大きなマスク。
昨日とまったく同じ場所に、女が立っていた。
「っ」
やっぱり居た。
サッと壁の陰に身を引いて、来た道を引き返そうとしたその時。
「ちょ、ちょっとまって!」
ん?
「私、綺麗?」じゃなかった。普通に呼び止められている。
ユキが恐る恐る振り返ると、女が片手をこちらに伸ばしかけていた。
「……えっと」
女が口を開く。
マスクが、もごもごと動いている。
「その……き、昨日は…………その……ごめんなさい」
ユキは思わずぽかんとした。
謝った?
あの口裂け女が、ごめんなさい、と。
「え……はい……?」
「あの、その、驚かせて……いえ、驚かせるのは、その、そういうものなんだけど……でも……」
女の言葉は、どんどん尻すぼみになっていく。
マスクの上の目が、あちこちに泳いでいる。
そのまま、しばらく沈黙が続いた。
気まずい。ものすごく、気まずい。
夕方の路地で、女子高生と口裂け女が向かい合いながら、ただただ時間が過ぎていく。
我慢できなくなって、ユキは口を開いた。
「……あの」
女がびくっと顔を上げる。
「なんで……昨日、あんな、泣きそうな顔してたんですか」
女の目が大きく見開かれた。
ユキは慌てて付け足す。
「い、いや、変なこと聞いてごめんなさい。でも、ずっと気になってて……口裂け女って、もっとこう、怖いものだと思ってたから……なのに、すごく、つらそうで」
女はしばらく黙っていたが、やがて、ゆっくりとマスクに手をかけた。
そっと、口元があらわになる。
耳まで裂けた口。
やはり口裂け女だった。夢であってほしかったな。
「……ずっとね」
掠れた声で喋りだす。
「ずっと、嫌だったの。これ」
裂けた口の端を、女は指先でそっと触れる。
「治したかった。ずっと、ずっと……何百年も」
治したかった、って……
怪異も、そんな悩みを抱えるんだ。
ユキは、ふと思いついたことを言ってみた。
「……今の技術なら、治せるんじゃないですか?」
「え?」
女が、きょとんとした。
「いや、その、美容整形って、あるじゃないですか。今の時代、けっこういろんなの治せるって聞くし……口の形とか、その、傷とかも」
ただの思いつきだった。
裂けた口が、実際美容整形で治せるかどうかなんて、まったくわからない。
女の表情が、じわじわと驚きに変わる。
「ほんとに……?これ、治せるの……?」
縋るようなその声に、ユキは思わず半歩、後ずさる。
「い、いや、できるかは、わかんないですけど!でも、調べる価値は……あるかも、しれない、です」
女は、しばらくユキの顔をじっと見つめていた。
マスクの下の裂けた口が、ほんの少しだけ上を向いた。




