第4話 手術日
カウンセリングから、二日後。
その日もユキは、いつものように路地へ足を踏み入れた。
あれだけ怖かったはずなのに、もう何も警戒していない自分に、ふと気づく。
慣れというのは、おそろしい。
路地に入ると、女が居た。
落ち着きなくその場をうろうろと歩き回っていて、ユキの姿を見た瞬間、ぱっと顔を上げる。
マスクの上の目が、きらきらと輝いていた。
「ユキちゃん!」
「うわっ、は、はい」
女がずんずんと近づいてくる。
そして、堰を切ったように喋りだした。
「聞いて!カウンセリング、行ってきたの。
それでね、先生に診てもらったら、治せるって!ほんとに、治せるって言われたの!
こんなの、絶対無理だと思ってたのに、最新の技術ならいけるって、傷の縫合となんとかかんとかで、何回かに分ければちゃんと閉じられるって、それで——」
「お、落ち着いて、落ち着いてください」
「ごめんなさい、つい。でも、でもね、嬉しくって」
女は胸の前で両手を握りしめて、飛び跳ねんばかりだった。
あの初日の、泣きそうに歪んだ口元と同じ人物とは、とても思えない。
「手術の日もね、もう決まったの。来週の、水曜日」
「えっ、来週なんですか?」
「キャンセルが出たんですって。早いほうがいいって言ったら、すぐ入れてくれて」
よっぽど待ちきれなかったのだろう。
気持ちが、声の弾み方から伝わってくる。
ユキはその勢いに少し気圧されつつ、
「あ……うん……よかった、ですね」
と、引き気味に相槌を打つことしかできない。
ひとしきりまくし立てて、ようやく女は、ふう、と息をついた。
そして、不意に居住まいを正す。
「……ユキちゃん」
「は、はい」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
さっきの浮かれた声とは一転。
真面目な声で言い、深く頭を下げた。
「ずっと諦めてたの。こういうものなんだって。
もう、しょうがないんだって。でも、あなたが声をかけてくれたから」
「い、いや、私は別に、そんな……ただ、調べただけで」
「それでも。あなたがあのとき、逃げずに『どうしたんですか』って聞いてくれなかったら、私、今もあの路地で、同じことを繰り返してただけだと思う」
ユキは、少し照れくささを感じつつ声をかける。
「……手術、うまくいくといいですね」
女は顔を上げて、マスクの上の目を、ふにゃりと細めて笑った。
「うん。いってくる」
そう言って、くるりと背を向ける。
路地の奥へと歩いていくその足取りは軽やかで、どこか弾んでいた。
コートの裾が、夕陽の中で揺れる。
ユキは、その背中が見えなくなるまで見送っていた。




