第7話 暴食
どんな国にも、どんな地方にも、少なからず格差というものは生まれ、いわゆる“貧民街”と呼ばれるものが形成されてしまう。
シーベント家の領内にも、残念ながらそういった区画は存在する。
夫にも尋ねたことがあるのだけど、
「ああした地域の者は、自分の境遇に卑屈になっていて、前向きにさせるのが難しい。祖父も父も、貧民街の活性化には失敗してしまったそうだ」
やはり一筋縄ではいかない問題みたい。
生まれながらに「自分は下の方」と認識してしまった者が、奮起することは難しい。
自分はこの程度だ、人生こういうものだと、うつむいて諦めてしまう。
ハングリー精神を発揮できる人間なんてごくわずかだ。
いたとしても、大半がろくなチャンスさえ与えられず、潰れていく。
そして、やさぐれて、ろくに仕事もしなくなり、犯罪に走り、外部から疎まれ……。悪循環だ。
私にできることがあるとは思えない。だけど、できることがあるならやってみたい。
彼らにもほんのわずかでもいい。きっかけさえあれば……。
そこで思いついたのが――
「炊き出し?」
「ええ。私自ら、貧民街の人たちに炊き出しを行うの。あまり満足に食べられていないだろうし、誰もが知る栄えある『白竜騎士団』の長の妻が、領民に食事を振る舞う。きっと彼らを鼓舞する効果も生まれると思うの」
「……面白いじゃないか。ぜひやってみてくれ!」
夫の許可が取れたので、私は準備を始める。
メイドたちと話し合い、料理は芋とカボチャのスープに決めた。
炊き出し経験のあるメイドがいたので、その経験に基づいて、材料を購入する。
大きな鍋を用意し、薪を集め、準備は整った。
思い立ってから一週間後、私は炊き出しをするべく貧民街へと向かった。
***
シーベント家領内の貧民街――領内での辺境とされる地域にある。
古びた建物が並び、活気はなく、ボロを着た数百人程度の人々が暮らしている。
彼らはシーベント家から出ている補助金の類でどうにか生き長らえているという状態だ。
なぜ、こうした場所が生まれたのかは諸説あるけど、元々ここは罪人や追放者などが肩を寄せ合って集まるエリアだったとのこと。
もちろん、現在のシーベント家が彼らを差別的に扱っているわけではないのだけど、今でも当時の名残とでもいうべき空気が漂ってしまっている。
私とメイドたちは調理場の設営を行う。
念のため、周囲には『白竜騎士団』の護衛数名についてもらっている。
雰囲気は物々しくなるけど、万が一のことを考えると、これはやむを得ない。
私は髪を結びエプロン姿で、大鍋を火にかけ、芋とカボチャ、調味料、水を入れ、スープを煮る。
湯気が漂い、いい匂いがしてきた。味見をしてみる。うん、これは美味しい。
住民たちもきっと喜ぶはず。
私は住民に呼びかける。
「私はルエーネ・シーベントと申します。炊き出しを行いますので、どうぞご賞味ください!」
メイドたちも呼びかける。
「美味しいですよー!」
「どうぞー!」
「食べてくださーい!」
……ところが、誰も近づいてこない。
私たちをジロジロと見ては、どこかに立ち去ってしまう。
いくら呼びかけても、まるで効果なし。
私としては、みんながスープを味わい、少しでも元気を出してくれるはずだった。
こんなはずじゃなかった、という思いを抱いてしまう。
すると、こんな声が聞こえてきた。
「お貴族の奥様が炊き出しだってよ」
「いい気なものよね。普段はいい暮らしをしているのに、こんな時だけ」
「誰があんなお情けみたいなスープ飲むか」
……胸が痛んだ。
私が甘かった。
私はどこか、炊き出しを思いついた自分に酔っている部分があった。貧しい人たちに施しを与える私は輝いている、と。
そんな私の心根を、彼らはしっかり見抜いていたんだ。
「奥様、お気になさらず」
「ええ、ありがとう」
自分がひどく薄汚れた人間のように思えてしまい、励ましてくれるメイドにも力強く答えることができない。
鍋には誰にも食べてもらえないスープがある。
これ、どうしよう……。
白い湯気が暗雲にも見えるようになり、暗い気持ちが胸に渦巻く。
そんな時だった。
「一杯いただこうか」
顔を上げると、夫がいた。白シャツにスラックス姿で。
「……え?」
なんで、あなたがここに。
「炊き出しをやってるんだろう? 私にも一杯くれ」
「は、はい!」
私は容器にスープを入れ、スプーンと一緒に夫に手渡した。
夫はすぐ近くにあった石に腰かけ、具沢山のスープを食べ始める。
「うん、美味い! 芋とカボチャがよく煮込まれていて、温かく元気の出る最高の味に仕上がっている!」
夫は瞬く間にスープを食べ終わると、容器を持ってきた。
「おかわりだ」
「あなた……」
「おかわりをくれ、ルエーネ」
「……はい!」
その後も夫は、スープを何杯も何杯もおかわりする。
夫は細身だけど健啖家でもある。いい食べっぷりだわ、と思ってしまう。
すると、住民の子供が――
「ぼくにも、ちょうだい!」
夫の食べっぷりを見て、食べたくなったのだろうか。
私は笑顔で応じる。
「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね」
「うん!」
すると、だんだんと住民たちにも変化が表れる。
「俺も食べてみようかな……」
「あの男の人の食べっぷりを見てたら……」
「一杯だけ……」
夫のおかわりぶりが呼び水となり、どんどん人が増えていく。
こうなると、私も嬉しくなる。暗い気持ちが消し飛ぶ。
「おかわりたくさんありますよー! どんどん食べてくださいねー!」
先ほど、炊き出しに苦言を呈していた人も並んでいた。
「す、すんません。一杯だけいいでしょうか」
私は笑いかける。
「一杯と言わず、何杯でもどうぞ。たくさんありますから」
ますます賑やかになる。
メイドに具の調達をお願いすると、すぐに買い出しを終えてくれた。
シーベント家のメイドは優秀だわ。
大勢が並ぶ中、夫がまた並んでいる。
「おかわりをもらおう」
私は笑みを返す。
「あなた、もういいのよ。あなたのおかげでこんなに盛り上がったから」
「なにが“もういい”なのかが分からない。私は食べたいんだが」
「えっ、でももうあんなにたくさん……」
「愛する妻の炊き出し……楽しみにしない夫はいない。私は今日、鍋を一人で片付けるつもりでここに来たのだ!」
「ええっ!?」
どうやらこの人、炊き出しが盛り上がらないと見越してここに来たんじゃなく、純粋に私のスープを楽しみに来たみたい。
……でも、実にこの人らしい。
「はい、どうぞ。火傷しないでね」
「ありがとう」
炊き出しは大盛り上がり。
やがて、貧民街のリーダー格とおぼしき男性がこう叫んだ。
「みんな! あんな綺麗な奥さんが俺たちのためにここまでしてくれてるんだ! いい加減、俺たちも卑屈になるのはやめて、ここを盛り上げていこうや!」
多くの住民が同調する。
これだ……。私が欲しかったのはこの活気だったんだ。
もちろん、すぐに変わることは難しいだろう。
だけど、彼らが自分から「現状を変えたい」と望むなら、きっとこの貧民街も生まれ変わることができる。
私は彼らの前途にまばゆい光を見た気がした。
私は感謝の気持ちを込めて、夫を見やる。
夫は必死の形相でスープを食べていた。あれはまだまだおかわりしそうだわ……。
***
その後、私は月に一度ほどの割合で、この区域で炊き出しを行っている。
以前に比べ、ずいぶん活気が出てきた。
今まで補助金で満足していた大人たちは自ら仕事を求めるようになり、子供たちもよく学ぶようになった。
シーベント家も、彼らが自立するための支援を惜しまなかった。
かつては負のオーラが色濃く漂っていた貧民街は、少しずつ確実に繁栄への道を切り開いていく。
ある日の炊き出し。
私は行列内で誰かが揉めているのを発見する。
「ちょっと、あまり揉めないでね。スープはたくさんあるから」
揉めている人たちをよく見ると――
「ファーデン様が行列に割り込もうとするんですよぉ……」
「私は夫特権で割り込む権利があるはずだ!」
私は夫の頭に軽く手刀を喰らわせる。
「あなた、騎士なんだから、ルールはしっかり守りましょうね」
「申し訳ない……」
夫はすごすごと行列の最後尾に並んだ。




