最終話 大罪
昼下がり、私と夫はお義父様とお義母様がいる本邸を訪れていた。
リビングで、二組の夫婦で向かい合って談笑する。
私とお義父様たちとの仲は良好なので、緊張することはない。
お義父様は夫によく似ており、お義母様はおっとりとした雰囲気と顔立ちの貴婦人だ。
いつか私たちもこの二人のような夫婦になりたいと願う。
そして、カップに入ったコーヒーを飲み干しつつ、おもむろにお義父様が言った。
「ファーデン、私はそろそろお前に家督を譲ろうと思う」
「……!」
この話自体は以前からあったけど、こうして本格的に切り出されるのは初めてだった。
「少し早いかもしれんが、お前も『白竜騎士団』の長として、シーベント家嫡子として立派にやっている。もはや一族でお前を認めていない人間はおるまい。私を含めてな」
「ありがとう。嬉しいよ」
この時の夫は、当主の息子に見えたし、当主にも見えた。
つまり、ちょうどそのぐらいの時期ということなのだろう。蛹から羽化しようとしている。
「ルエーネさんがしっかりしているから、その点も安心だわ」
お義母様から話を振られ、私はうなずく。
「もし夫が当主を継いだら、立派な当主夫人になってみせます」
お義父様が笑う。
「ルエーネさんの方がよっぽど頼もしく見えるな」
リビングに笑い声が響き渡る。
家督引継ぎの儀は、一、二ヶ月のうちに行うので、心の準備をしておくように言われた。
夕刻になり、私たちは本邸を後にする。並んで歩く。
「あなた、いよいよね」
「ああ」
私たちは向かい合う。
「シーベント家当主としての道はこれまで以上に険しいものとなるだろう。私はこれを一人で歩めると思えるほど自信家ではない」
夫は両の眼でまっすぐ私を見据える。
「だが、君とならば一緒に歩める」
私もまっすぐ問いに答える。
「ええ、歩みましょう」
私は侯爵夫人となる。その道も決して平坦ではなく、長く険しいものになるだろう。
だけど、夫とならば大丈夫。
どんな壁があっても、嵐が来ても、たとえ道がなくなってしまっても、乗り越えられる気がした。
夫が私をそっと抱きしめる。
幾人もの敵兵をまとめてなぎ倒す剣を振るう腕力からすればあまりに優しく、だけどこの世のどんな防壁や要塞よりも頼りになる抱擁だった。
今の私は、きっとこの世で最も安全な場所にいる。
たとえ雷が落ちてきても、空から星が降ってきても、夫が守ってくれる。そう確信できた。
***
お義父様からの告知があってから、およそ一ヶ月半。いよいよ「家督引継ぎの儀」の日となった。
この儀式はシーベント家本邸の大広間で行われる。
大広間には、私たち夫婦と、お義父様たち夫婦、シーベント家の方々。私の両親。そして、王家から派遣された使者が集まっていた。これにより「この儀式は王家からの承認があって行われる」というお墨付きがつくことになる。
そして後日、シーベント家の新たな当主夫妻として、私と夫は王都に出向き、陛下と謁見することになる。
黒の礼服に身を包んだ夫が、お義父様から、国王陛下から賜った勲章を受け取る。
「我が長男ファーデン・シーベントに家督を譲るものとする」
夫は誓いの言葉を述べる。
「家の名誉のため、一族の繁栄のため、領民の安寧のため、シーベント家当主に恥じぬ働きをすることをここに誓います」
灰色のローブに身を包んだ王家の使者が、見届け人として祝福の言葉を告げる。
儀式は順調に粛々と行われていく。
だけどこの時の私は、ある“大きな罪”を犯していた。
嫁いだ先の当主が入れ替わる、それも我が夫に、という一大イベントの最中、心ここにあらずという状態だった。
儀式では当然、私にもスピーチの機会がある。
「栄えあるシーベント家の当主となった夫ファーデンを、妻としてこれからも支えて参ります。皆様、今後とも温かいご支援のほど、よろしくお願いいたします」
グレーのロングドレス姿で、用意していた言葉をしっかり喋ることができた。
お義父様とお義母様、そして実の両親にも、私の精神状態は気づかれていない。
にっこりと祝福してくれている。
私も嬉しい。侯爵夫人となったことにプレッシャーを感じるし、それ以上に誇りに思う。シーベント家の名に、私の生家の名に、泥を塗らないようにしなければならない。
だけど、私はやはり儀式に集中しきることができなかった。
お医者様のところに行くのは、この儀式の後にすべきだったとちょっと後悔した。
***
この日の夜、大仕事を終えた私たちは、自宅リビングで過ごしていた。
互いに私服姿で、リラックスしている。
ところが、夫が――
「ルエーネ、今日は少し様子がおかしかったね」
さすがに鋭い。
私もなんとか完璧に儀式をこなしたつもりだったけど、夫には筒抜けだった。
「やっぱり分かっちゃう?」
「そりゃ分かるさ」
夫が私を心配そうに見つめる。
「もし、どこか具合が悪いのなら教えて欲しい」
私はうなずく。
「もちろん。隠すつもりなんてないわ」
私は夫に向き直った。
「私は大罪を犯したわ。今日はあなたが侯爵となる大事な日だったのに、あなたのことだけを考えることができなかった」
「そんなことはかまわないが、なにがあったんだい?」
「あなたと……もう一人のことを考えていたの」
夫はきょとんとする。
私はヒントを与えるように、そっとお腹を撫でる。
「……! ひょっとして……!」
気づいたみたいだから、私もうなずく。
「ええ、ちょっと体調を崩したから、お医者様のところに行ったら……」
夫は目を細める。
「嬉しいよ。私もついに父親になるんだな」
「ええ、頼りにしてるわ、あなた」
夫はどんと胸を叩く。
「任せておけ。私はシーベント家当主にして、『白竜騎士団』の長だからな! 妻も子供もしっかり守ってみせるさ!」
自分を鼓舞するために言っているんだろうけど、この時の夫は神話に登場する英雄や豪傑のように――いいえ、それ以上に頼もしく見えた。
「男の子かな? 女の子かな?」
「まだ分からないけど……きっといい子が生まれるわ」
「男の子なら私が剣の手ほどきを、女の子なら君が社交マナーを教える、というのがいいかもしれないな」
「あら、今は女性だって剣を習う時代よ? 私の知り合いにもレイピアを扱える女性がいるわ」
「それもそうだね」
こうしてまだ見ぬ我が子について語り合うのは本当に楽しい。
私たちはこんな夫婦だから、どうか安心して生まれてちょうだいね。
すると、夫がこんなことを言い出した。
「先ほど君は大罪を犯したと言ったが……どうやら私も大罪を犯してしまいそうだ」
「え、どういうこと?」
「今度、新しい当主として国王陛下と謁見するだろう。その時、おそらく私は陛下を差し置いて、お腹の中の子供のことをずっと考えてしまいそうだよ」
「あなたったら……。だけど、私も同じ罪を犯しちゃいそうだわ。夫婦で罪人になりましょう、あなた」
おわり
完結となります。
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