第6話 憤怒
王都に出て、登城してきた夫が帰ってきた。
どこか浮かない顔だ。
私は食事中、尋ねてみる。
「どうかなさったの?」
「今度、王太子殿下がこの家に来ることになってな」
「まぁ……」
王太子殿下、つまり次期国王。私もお会いしたことはない。
「未来の王として、我が国を代表する騎士団の長と一度会ってみたいそうだ」
ここまで聞くと私たちにとっては名誉な話だし、王太子としては当然の行為だと思える。
「どうしてそんなに浮かない表情なの?」
「王太子殿下なのだが、あまり評判がよくないんだ」
「あら、そうなの?」
「年は十三なのだが、非常に生意気で、しかも弁が立つという」
生意気で弁が立てば、まさに「屈強な騎士が名剣を握る」といった感じがする。
味方であればともかく、敵になったら……。
「お城にも教育係っているんでしょう? そういう態度をきちんと叱らないのかしら?」
「教育係がいくら叱っても、平然としているそうだ」
「未来の王者としては貫禄十分という感じね」
私もつい皮肉めいたことを口にしてしまう。
「いずれにせよ、臣下の立場である我々が王太子殿下を叱責するわけにはいかない。くれぐれも……頼むよ」
私はうなずく。
「任せておいて。王太子殿下という特大の嵐を二人でやり過ごしましょう」
使用人たちにも「王太子殿下は評判がよくない」「粗相しないように」と言い含めておく。
あとは嵐を待つだけだ。
***
およそ一週間後、護衛つきの豪奢な馬車で王太子殿下がやってきた。
私と夫、使用人総出で出迎える。
王太子――アステル・ドレス・グランデ殿下が降り立つ。
私の第一印象。一言でいうと、美少年だった。
跳ねのある黄金色の髪、切れ長の眼、透き通るような青紫の瞳。
青い礼服に赤いマントを纏ったその姿も、すでに貫禄がにじみ出ている。
メイドの一人がため息をつくのが聞こえた。無理もない。
少なくとも容姿は「王子の鑑」とでもいうべきものだった。
ところが、殿下の最初の言葉は――
「まるで犬小屋だな」
――なるほどね。評判がよくない理由がこれだけで分かった。
「本邸ではないとはいえ、侯爵家の嫡子がこんなチャチな家に住み、騎士団でお山の大将を気取っているというわけか。我が国のレベルも落ちたものだな」
殿下は肩をすくめてみせる。王太子でも許されないレベルの暴言の数々。
ただし、それほど怒りは沸かなかった。
なぜなら、私は今の生活に誇りを持っているから。殿下には申し訳ないけど、こんな幼稚な罵詈雑言ではビクともしない。
それにおそらく私は、夫とであれば、犬小屋に住むことになっても楽しく暮らしていける自信があった。
きっと夫も同じだったに違いない。見ると、少しも動じていない。
まずは庭に案内する。殿下が庭に飾ってある『白竜騎士団』の団旗を見る。
青地の布に、翼を広げた白い竜のシルエットが描かれている。
「ずいぶんしょぼい旗だな。『白トカゲ騎士団』にでも改名したらどうだ?」
「それもいいですな。退却をスムーズに行えるようになるかもしれません」
殿下のイヤミを、夫は“トカゲの尻尾切り”を交えたジョークで切り返す。
殿下は面白くなさそうな表情をしている。
「お前の剣技を見せてみろよ」
「かしこまりました」
夫が剣を振るい、いくつかの型を見せる。
やはり夫の剣術は天下一品だ。
この時ばかりは殿下もほとんどなにも言えず「古臭い剣技だ」と言うのが精一杯だった。
そして、自分でも負け惜しみのようなことを言ったと感じたのか、バツが悪そうにしていた。
今度は殿下が剣を振るう。
殿下にも剣の心得はあり、さすがに夫とは比較にならないまでも、この歳でこれだけ振れれば十分という内容だった。
「お見事です。殿下はよい剣筋を持っていらっしゃる」
殿下は舌打ちする。
「見え透いた世辞を言うなよ。どいつもこいつも心にもないことを言うから腹が立ってくるんだ」
「こと剣技に関して私は世辞など言いませんよ、殿下。見込みがないと思えばきっぱりと言います」
「……ふん」
まだ殿下と出会ってまもないけど、だんだんと殿下の抱える事情が分かってきたような気がした。
殿下は未来の国王として、厳しくも、多くの人に持ち上げられて育てられたのだろう。
「殿下はすごい」「殿下は立派だ」「殿下には才能がある」と……。
だから、あまり人を信頼していない。怒られても、褒められても、それが心からのものだと思うことができない。
結果、弁も立ち剣も扱え、能力そのものは申し分ないけど、悪態ばかりつく評判のよくない人物になってしまった。
どうにかしてあげたいと思う。
だけど、王家には王家の教育方針があり、これに口を出すのは臣下としてあまりにも逸脱した行為だ。どうすることもできない。
せめて、成長とともに殿下の歪みが改善されていくよう祈るしかない。
殿下を邸宅に上げ、リビングでお茶にする。
「ずいぶん安物を飲んでいるんだな」
紅茶の味にケチをつける殿下も、どこか悲壮感が漂う。
「さすが殿下、舌が肥えてらっしゃる」なんて媚びても「出された紅茶にケチをつけるな」なんて怒っても、おそらく殿下の心には響かない。
ぎくしゃくしたムードのまま、時間は過ぎていく。
すると、殿下は私を見てきた。
「お前、名前は?」
「ルエーネ・シーベントと申します」
「ふうん、将来僕の愛人にしてやってもいいぞ」
相変わらずの暴言だけど、本気で言っていないのが分かる。
おそらく人を信じられない殿下にとっては、人を怒らせるようなことを言うことが唯一のコミュニケーション手段なのだろう。
不快になった相手を見れば、本心を覗けたような気分になるからだ。
だけど、あいにくそんな見え透いた魂胆には付き合わない。私は毅然と返すことにする。
「私には夫がおりますから」
「ふん。堅苦しくてつまらん女だ。そこらのストリートで男相手に股でも開いてれば、少しは柔らかくなるかもしれないぞ」
どこでこんなフレーズを覚えたんだか。不快さより哀れさが勝ってしまう。
私は殿下に同情さえしてしまっている。
だけど、この時猛烈な悪寒が走った。
夫を見ると――
(あなた……!?)
夫は明らかに怒っていた。
ただし、表情は変わっていない。
見かけの感情を抑えたまま、恐ろしい形相をしている。
まるで鬼のような、いいえ鬼でも逃げ出すような迫力だった。
人は無表情のまま、ここまで怒りをあらわにできるのか、と私は息を呑んだ。
「ひっ……!」
殿下も思わず悲鳴を上げる。
無理もない。十代の若者に浴びせられるには、過剰すぎる怒気だ。
「な、な、なんだよ。お前、その顔……」
夫は静かに言った。
「殿下、私は怒っています。妻を侮辱したあなたに」
「怒るだと……!? じゃあ僕を殺すのか!」
「いいえ。臣下である私があなたに手を出すことはあり得ません。ただ……“怒るだけ”です」
「……!」
「殿下、これからあなたは成長し、国王となり、立派な君主となるのでしょう。私はそんなあなたに忠誠を誓うに違いありません。しかし同時に、私は生涯あなたに怒り続けるでしょう。どうか、そのことは頭に入れておいてください」
あまりにも静かで、激しい怒り。
氷河の中にマグマが閉じ込められているような矛盾をはらんだ怒り。
王国最強騎士の本気の怒りを受け止めるには、殿下はあまりにも若すぎた。
「あ……ああ、あ……」
震えている。恐怖している。
殿下は今、初めてなんの忖度もない「本物の怒り」に直面しているのかもしれない。
それを味わわせたのは、家族でも、教育係でもなく、私の夫だった。
だったら、私の役目は一つしかない。
私は殿下に寄り添った。
「大丈夫ですよ、殿下」
「え……?」
「我が夫ファーデンは……謝ればちゃんと許してくれる人です」
「う、うん」
私の言葉に、殿下はうなずく。
「ご、ごめんなさい」
私の口は自然と殿下を褒めていた。
「よくできましたね」
夫を見ると、表情が穏やかなものになっている。私もホッとしてしまう。
「殿下の謝罪、しかと受け止めました。先ほどのことは私こそお許しください」
「うん……ありがとう」
見ると、殿下の顔は憑き物が落ちたようになっていた。
どこにでもいる十三歳の少年という感じの表情だ。
今の殿下であれば私の言葉も素直に伝わる――私は言った。
「今の殿下が一番素敵ですよ」
「ありがとう」
殿下が精悍な顔つきで微笑む。
すでに先ほどの怒りに対する恐怖は消えており、自分の進化のために昇華されたのだと分かる。この辺りはやはり王者の血筋を引いている。
私も夫も確信した。殿下は必ずや名君になる――
***
それからというもの、殿下の評判はすっかりよくなったという。
ひょっとすると、唐突な殿下の訪問は、王国最強騎士の怒りを殿下に味わわせたかった王家の狙いだったのかもしれないなんて思う。
だとするなら、王家の采配は大正解だし、王国を統べる人たちとはこうしたものかと感心してしまう。
後日、殿下から私たちあてに手紙が届く。
『この間はどうもありがとう。ファーデンの厳しさ、ルエーネの優しさに触れて、僕もちょっぴり成長できたよ。
僕も早くファーデンのように強い男になって、ルエーネのような素敵なお妃を見つけたいな』
あまりに素直な手紙に、ふふっと笑ってしまう。
一方、夫はあまり心穏やかではないみたい。
「ルエーネが好みになってしまったか。近い将来、殿下はルエーネを狙ってくるのでは……。やはりもう一度怒るべきか」




