第5話 色欲
雨上がりで日差しが強く、一段と蒸し暑い日だった。
私と夫はリビングでうなだれている。
「暑いわね……」
「ああ、今年一番かもしれないな」
私は薄手のワンピース、夫も開襟シャツにスラックスというラフな格好で過ごす。
仕方ない。なにしろこれだけ暑いんだもの。
夫は使用人たちを気遣って、今日は家のことはせず、のんびり休んでいいと言った。
夫のこういった優しさが、私は大好きだ。
「普段はこの時間は稽古をしているが、さすがに今日は剣を振るう気分になれないな……」
「ええ、こんな日に運動したら、倒れちゃうわ」
しばらくは手であおいだり、冷水を飲んだり、怖い話をしてみたりして過ごす。
ちなみに夫の怖い話は、夜間行軍中に兵士らしき亡霊が現れ、内心怯えながら叩き斬ったという体験談だった。
幽霊さえ斬ってあの世に送り届けてしまう夫の剣技は、確かにこの世のなによりも怖いかもしれない。
しかし、どんな対策をしても所詮は付け焼刃、その場しのぎ。暑さを完全にシャットアウトすることはできない。
私はこらえきれなくなり、夫に言った。
「水浴びしてきてもいいかしら?」
「ああ、いいとも」
「ありがとう」
邸宅にはお風呂もある。
夜になったら、釜に火をつけてお湯を沸かすのだけど、こんなに暑い日は早めに冷水を浴びるのが一番だ。
「じゃあ、さっぱりしてくるわね」
私が言うと、夫は優しくうなずいてくれた。
***
水浴び終了。
あれだけ火照っていた体がすっかり涼しくなった。
これでしばらくは、快適な気分で過ごせそう。
タオルで体を拭き、替えのワンピースに身を包んで、リビングに戻る。
「……あら?」
夫がいなくなっている。
その代わり、声が聞こえてくる。
「せやっ! せやっ! せやっ!」
夫の声。庭の方からだ。
覗いてみると、夫は木剣で素振りをしていた。
「せやぁっ!!!」
心なしか、いつも以上に気合いが入っている。
私も庭に出る。
「なにしてるの、あなた?」
「特訓だよ」
それは見れば分かる。
「さっきは、こんな日は稽古しない方がいいって言ったじゃない」
「……そうなんだけど」
夫が素振りを止める。
夫は戦場でこそ敵をあざむくことに長けるけど、私に嘘をつける人ではない。
すぐになにか隠していると察してしまう。
「なにか隠してるでしょ」
「……」
「教えて?」
私が言うと、夫はすぐに観念した。
「君が水浴びに行くと言っただろう。その後、ふと……君の水浴びする姿を……想像してしまってね」
夫がうつむく。
「その……なんだ。いわゆる本能のようなものが、無性に湧き上がってきてしまって、体を動かさずにはいられなくなったんだ」
夫が真剣だから笑ってはいけないと思いつつも、私は笑ってしまう。
「夫婦なんだし、いくらでも想像してくれていいのに」
夫は激しく首を横に振る。
「そんなわけにはいかない! 夫として、騎士として、恥ずべき行為だ! だからこんないかがわしい煩悩は素振りで消し去るんだ!」
夫が素振りを再開する。
太陽も下り始め、ちょうど涼しくなってきた。
私は庭に置いてあるベンチに座る。
「じゃあ、私は見てていい?」
「いいとも! 存分に見てくれ! ――せやぁっ!」
ふと湧いてしまった桃色の空想を断ち切るべく必死に木剣を振るう夫は、とても勇ましく、どこか可愛らしかった。
いつまでも見ていられる。
だけど、だんだんとその振りが鋭さを増していく。素人の私でも分かるぐらいに。
やがて、そのひと振りはまるで稲妻のように――
「こ、これは……!」
「どうしたの、あなた?」
「私は……新しい技を閃いてしまったかもしれない」
「ええっ!?」
夫は無我夢中で素振りを繰り返すうち、落雷の如き速度で振り下ろせる一撃を見出した。
コツはいるようだけど、夫はすぐそのコツを掴み、その一撃を繰り返せるようになった。
素振りで生じた風が、私の髪をなびかせるほどの威力だった。
「すごいじゃない!」
「うん。この新技にぜひ名前をつけたい」
「いいわね。どんな名前にするの?」
「うーん……」
夫はしばらく考える。
「君に対していかがわしい想像をした私への戒めを込めて『ルエーネの制裁』というのはどうだろう?」
てっきりもっと必殺技っぽい名前になるかと思いきや、なんと私の名前を冠することになった。
だけど、夫の技に私の名前が入るのはなんだか嬉しい気がした。
「いいわよ。『ルエーネの制裁』で、どんどん悪い人をやっつけちゃって!」
「ああ、頑張るよ」
日差しが強く、蒸し暑く、とても稽古には向いていない日。
こんな時にも新しい技を開発するなんて、この人ってホントとことん騎士だわ。
***
少しして、『白竜騎士団』副団長のゾイレが家に遊びに来ていた。
私と夫、ゾイレの三人でリビングのテーブルを囲み、談笑する。
すると、ゾイレが――
「ファーデン様の新技がすごいんですよ。木剣でも鉄兜を粉砕する威力ですし、私も試合であれを打ち破ることができませんでした」
夫の新技は騎士団の訓練においても猛威を振るっているようだ。
ゾイレが私に目を向ける。
「あの技には『ルエーネの制裁』と奥様の名前が冠せられています。教えてください。ファーデン様はどうやってあの技を開眼したのですか?」
私は夫をちらりと見る。
夫は普段は絶対見せない、雨に濡れた子犬のような目で私を見てきた。
首をわずかに横に振っている。
「こればかりは教えられないわ。企業秘密ならぬ夫婦秘密ですもの」
「うむむ、仕方ありませんね」
私が夫にウインクをすると、夫は心底安堵したような表情をしていた。
私の口は堅いから、安心してね。あなた。




