第4話 怠惰
「旦那様、書簡が届きました」
使用人から夫が書簡を手渡される。
夫が中身を確認する。
どんな内容かはすぐに察しがついた。夫が騎士としての顔になったからだ。
書簡の内容を知りたがるのはあまり上品とは言えないけど、私は聞いてみることにする。
「なにかあったの?」
「援軍要請だ」
夫は優れた騎士であるから、それ自体は珍しいことではない。
「どなたから?」
「ダムスからだ」
ダムス・ラーゲン。私たちより年上の貴族で、すでに侯爵位を継いでいる。
ただし私にとっては、あまりいい思い出のない人物ではあった。
「隣国との小競り合いが悪化して、今にも戦いが始まるかもしれないそうだ。そこで我が『白竜騎士団』に援軍を求めてきた」
ラーゲン家領地は、隣国と隣り合う位置にあり、なにかと争いが絶えない地域である。
ダムス様は要害であるシュダール砦の守将を務めており、夫に援軍を求めるのは、将としては当然で最適とさえいえる選択だ。
夫はしばらく考え込む。ここは私が口を出す場面ではない。
やがて、夫は私に言った。
「一度シュダール砦に向かう。君も来てくれないか」
援軍要請を受けるにせよ、断るにせよ、私を連れていく意味はない場面である。
しかし、私は理由を聞かずにうなずいた。
「分かりました」
だって騎士としての夫には、妻としてなにがあっても従うと誓ったから。
***
翌日、私は夫とともにシュダール砦を訪れた。
石作りの堅固な要塞で、なんだか灰色の巨大な象を連想した。
夫が姿を見せると、やはり兵士たちから歓待を受ける。
よほど状況が危機的なのだろうと窺える。
すぐに司令室にいるダムス様に会うことができた。
ダムス様は口髭を携え、甲冑を着込んだ武人である。
「おおっ、よく来てくれた!」
「久しぶりだな、ダムス」
夫とダムス様は対等に接し合う仲だ。
「奥方も連れてくるとは、さすがの余裕ぶりだな」
ダムス様の軽口を、夫は取り合わない。
「それよりも、戦況は?」
「うむ、今は……」
ダムス様から現在の状況を聞く。
ラーゲン家と、隣国の有力者は、国境付近の資源採掘をめぐって小競り合いを繰り返していた。とはいえ互いに本気になることはなく、血を見るような事態は避けられていた。
ところが先日からそれが激しくなり、敵軍からの宣戦布告を受けてしまった。
ラーゲン家の軍勢をこの砦に集結させ、今は待ちの態勢だという。
敵軍は国境近くのどこかに陣を築いており、いつ攻めてくるか分からない。
この戦いの行方次第では、この国境付近での力関係は、大きく向こうに傾くこととなる。
「シュダール砦は言うまでもなく堅牢だ。しかし、敵軍も侮れぬ力を持っておる。恥を承知で言えば、我がラーゲン家の軍勢より一枚上手だ。本格的に攻め込まれれば、どうなってしまうか分からん。そこで『白竜騎士団』の力を借りたいのだ!」
ダムス様の言葉は至極まっとうで、特に問題は見られない。
しかし、夫は考える仕草を見せた。
「……一つ条件がある」
「なんだ?」
「例の件について妻に謝って欲しい」
「なにい……?」
あのことを覚えていたんだ、と私は驚いた。
私たちは結婚したての頃、シュダール砦に挨拶に来たことがあった。
この時、ダムス様は大笑いしてこう言った。
『天下の白竜騎士団団長ともあろう者が、こんな小娘を嫁にするとはなぁ!』
当時、私たちの結婚は身分の格差もあってあれこれ言われたし、むっとしたけど自覚はあるのも事実だった。
マイナーな子爵家の令嬢が、誰もが知る名門侯爵家の後継ぎに見初められる。
もっといい相手がいくらでもいただろうに、と言われても仕方ない。
だけど、夫は許していなかったのだ。
「あの件を清算してもらわねば、とても援軍など出せん」
すると、ダムス様も顔をしかめる。
「あんなもの、他愛のない軽口ではないか! なぜ今更謝らねばならん!」
「ルエーネは私の誇り。誇りを傷つけられた騎士がどう動くかぐらいお前にも分かるだろう」
こうなった夫は、もはや梃子でも動かない。
ダムス様が私を見る。
「くっ……!」
貴族はプライドが命。プライドで生きる生き物だ。だけど実際の命には代えられない。
ダムス様は頭を下げた。
「あの時はすまなかった。ほら、これでいいだろう!」
私としてはこれだけで十分すぎる謝罪だった。
しかし、夫は表情を緩めない。
「もっときちんと謝ってもらおう。『あの時は小娘などと言って申し訳ありませんでした』とな」
「そんなこと、できるわけがないだろう!」
「ならば、援軍要請には応じない」
「これは国の一大事だぞ! それなのに応じぬというのか! 職務を放棄するというのか!」
「我が国では、諸侯の自領の防衛は個々によって賄われるのが原則だ。いわば自己責任。私が援軍要請に応じるかは、私の心一つ。つまり、応じないこともできる」
「くっ……!」
これは夫が正論。援軍要請に応じるかどうかは義務ではない。
「さあ、どうする」
「……誰が謝るか! 敵など、我が軍だけで撃破してみせるわ!」
「そうか。ならば勝手にしろ」
交渉は決裂。私は夫とともに待機することにした。
私はダムス様の発言について、すでに怒っていない。
妻として「援軍を出してあげたら?」と言うこともできた。が、それはしなかった。
なぜなら、騎士団の指揮権は夫にあるから。そこに私が口を出すことは絶対にあってはならないと心に決めていた。
程なくして、蹄の音が聞こえてきた。
「ダムス様、敵軍です! ついに砦に攻め込んできたようです!」
「……!」
夫は平然としている。
「おい、このままでは奥方にも危険が及ぶぞ!」
「……」
「頼む、援軍を出してくれ!」
「……」
「わ、分かった! 謝る!」
ダムス様は青ざめ、私の前に跪いた。
「あなたに小娘などといった無礼、大変申し訳なかった! どうかお許しいただきたい!」
私は本心で答える。
「ええ、私は気にしておりませんよ。頭をお上げください」
「ありがたい……!」
ダムス様は夫に向き直る。
「これで、援軍を出してくれるのだな!? な!?」
「その必要はない」
「え!?」
夫は涼しい顔で答える。
「あれは……我が騎士団の蹄の音だ」
「そんなの分からんではないか!」
「自軍の蹄の音すら分からんようでは将とは言えん」
まもなく、ゾイレたちが砦に入ってきた。
「ファーデン様、国内に敵陣地を発見しましたので、こちらから仕掛け、恨みを買わぬ程度に蹴散らしておきました」
「ご苦労」
すでに戦いは終わっていた。
ダムス様はまるで状況についていけていない。
「……どういうことだ!?」
「私はゾイレに、騎士団を率いて敵陣を叩けと命じていたのだ」
つまり、私たちが援軍を出す出さないの押し問答をしている最中に事は全て終わっていた。
夫はこの戦いの結末を見込んでいて、なおかつダムス様を私に謝らせたかったから、私を連れてきてくれたのね。
「我が国としてもこの砦を取られるわけにはいかんからな。それに、いつ攻めてくるか分からん敵をただ待つというのも芸のない話だ。すでに国境を越えているようなら、なおさらだ」
「……!」
ダムス様は腰を抜かしたような格好になる。
無理もない。プライドで生きる貴族としても、砦を守る武人としても、夫に一本取られた。
してやられた。と脱力してしまったのだろう。
私はダムス様に手を差し伸べる。
「こんな私に、手を……?」
「ええ、『白竜騎士団』がこうまで上手く事を運べたのは、この砦のおかげでもありますから。ダムス様が敵を引きつけてくれたから、ゾイレたちが容易に陣地を攻撃できたのです」
「あ、ありがとう」
『白竜騎士団』がバックにいると知れば、隣国の有力者もシュダール砦に手出しできなくなるだろう。
ラーゲン家はしばし安泰の時を迎えそうね。
***
後日、驚くべき報告が入った。
ダムス様が私の『ファンクラブ』なるものを作ったというのだ。
こんなことしたら、ご夫人が怒るんじゃないかと思ったけど、ご夫人も入会しているとのこと。
私がダムス様の過去の発言を許し、手を差し伸べたことが、劇的な感動を生んでしまったらしい。
これを聞いた夫は怒る。
「勝手なことを……」
「まあまあ。私になにかを強いるわけじゃないし、別にいいわよ」
夫は腕を組んで、こう言った。
「とりあえず、私を名誉会長にしてもらうとするか」




