第3話 嫉妬
チケットを貰ったので、王都で演劇を鑑賞することにした。
最初、夫は難色を示していた。
「私は演劇なんて見てもきっと眠ってしまうよ」
だけど、私がどうしても行きたいとせがむと、付き合ってくれた。
多分「あなたと一緒に客席に座りたい」という一言が決め手になったんだと思う。
劇は、騎士が悪魔と戦い、捕らわれた姫を助けるという英雄譚。
主人公の騎士役の俳優は、どこか夫を思い起こさせる容姿だった。
二時間ほどの劇だったけど、戦いあり、恋愛あり、陰謀ありでとても面白く、私は夢中になって見てしまった。
夫も「眠ってしまう」と言っていたわりに、最初から最後まで全部見ていた。
帰りに寄ったカフェで、感想を言い合う。
「劇というのもなかなかいいものだね。退屈せず全部見てしまった。食わず嫌いはよくないな」
「うふふ、楽しんでもらえてよかったわ」
「しかし、主人公の剣技が甘かったな。私なら最初の一太刀であの悪魔を倒していただろう」
こんな時にも剣術のことを考える夫が面白い。それも、夫なら悪魔にだって勝ってしまうだろう。私はそう確信している。
「だけど、あの俳優さん、とてもかっこよかったわ」
言ってから、ふとあるエピソードを思い出した。
ある夫人が、演劇鑑賞後に「主役の俳優がかっこいい」と言ったら、旦那さんから「だったらあの俳優と付き合えばいい」なんて言われたという。嫉妬というやつね。
だけど、夫は――
「ああ、同じ男の私からしても、彼はかっこよかった。演劇の世界には詳しくないが、さぞ人気なのだろうな」
嫉妬はしない。
そういえば、夫が誰かを妬む場面というのは見たことがない。
かつて、夫が自分より若いゾイレに試合で一本を取られたことがあった。
しかし、そんな時にも夫はゾイレの才能を妬むようなことはせず、「素晴らしい騎士が入団してくれた」とむしろ副団長に引き立てた。
この人には確固たる自分があるから、立ち位置がしっかりしているから、誰かを妬むということがないのだろう。妬む暇があったらとことん自分を磨き上げるというタイプだ。
だけど、ちょっとぐらいヤキモチをやいてくれてもいいのにな、とも思ってしまうのだった。
***
ある日、我が家にイスクスという若い画家がやってくることになった。
「シーベント夫妻を題材にした絵を描きたい」とのことで、夫が「だったら家に来るといい」と招待したのだ。
イスクスはパーマ気味の赤髪の、柔らかな雰囲気の青年だった。
夫が強靭にそびえ立つ大樹だとするなら、イスクスは儚く咲く一輪の花を連想させる。
「ご自宅に招いていただけて光栄です。本日はよろしくお願いします」
私たちは、夫婦にポーズを取らせて、イスクスが絵を描くという光景を想像したのだけど、どうもそうではないらしい。
イスクスは一目見ただけで、人間や風景を鮮明に覚えられる記憶力を持っていて、絵は全てアトリエで描くとのこと。
やりたいのは、私たちに対するイメージを膨らませるため、軽くお茶でもしたいとのことだった。
リビングで、ビスケットを味わいつつ、お茶を始める。
私が尋ねる。
「絵を描き始めたのはいつ頃から?」
「五歳には描き始めていましたね」
「ほう、私と同じだな。私も五歳の頃から剣を振っていた」
雑談は和やかなムードで進む。
夫とイスクスは、武人と芸術家ということで全く話が合わないかと思われたが、むしろ逆だった。
道こそ違えど互いに一流同士、会話は弾む。
「やはり基本は大事ですね。未だに基礎的なデッサンの練習は欠かしていません」
「ふむ、素晴らしい心がけだ。剣術においても、基本がなっている者となっていない者では伸びがまるで違う」
夫が楽しそうに話しているのを見ると、私も嬉しくなってしまう。
三十分ほど経った頃だろうか、イスクスが私に微笑みかける。
「奥様も、ファーデン様の伴侶に相応しい素晴らしい女性ですね。容姿の麗しさはもちろんなのですが、内面は清らかな泉、それでいていかなる濁流にも屈しない強さを併せ持っている。ファーデン様という強大な騎士を受け入れ、支える度量をお持ちになった女性です」
「まあ、お上手だこと」
清らかで強いなどと言われては、貴族夫人として悪い気はしない。
私もふふっと笑ってしまう。
それ以後も和やかさを保ったままお茶と会話を楽しむと、イスクスは帰っていった。
その頃には、最初は儚い花のような青年と思っていた彼のイメージは、すっかり大輪の花に見えた。きっと画家としてますます大成することでしょうね。
「いい青年だったわね」
だけど、夫はどこか浮かない顔で、
「ああ……」
と答えるのみだった。
***
その後の夫はどうも落ち込んでいる。
ソファにうなだれるように座り、拳を握り締め、時折ため息をつく。
こんなに落ち着かない夫を見るのは結婚して以来、初めてかもしれなかった。
「どうしたの? あなた」
「いや……大丈夫だよ」
声をかけてみるけど、反応は芳しくない。
放っておくという手もある。もしこれが友人知人だったら私はそうしている。けど、騎士である夫にそんな生温い手段はかえって失礼だと思った。
ビシッと言ってやることにする。
「あなたがそんなことじゃ、私だけでなく使用人たちも居心地が悪くなるし、騎士団の士気にだって影響するわ。なにかあったなら、悩んでいるなら、どうか私を頼ってちょうだい。それとも、私では力不足? 悩みを打ち明けられない程度の妻なのかしら?」
夫は目を丸くして、すぐにいつもの表情に戻る。
「すまなかった。実は……嫉妬してしまってね」
「嫉妬? 誰に?」
「さっき来た……彼にだよ」
イスクスのことだ。夫とは仲良く話しているように見えたのに、どういうことだろう。この時点では全く話が見えない。
「私と君はお見合いで知り合っただろう」
「そうだったわね」
――私と夫ファーデンの馴れ初め。
ファーデンは剣にしか興味がなく、夜会や懇親会などの社交には一切参加しなかった。
お父上は色々な女性を紹介したのだけど、全て蹴るような有様だったという。
そんな時、私が紹介される。
あるレストランにて、お見合いが行われる。
軽く自己紹介が終わり、私たちは二人きりとなる。
ファーデンは本当に寡黙で、名乗り以外ほとんど喋らなかった。
私もあえて、喋らなかった。別に対抗したわけじゃない。なんだかそれが楽しかったためだ。
食後のデザートまで食べたというのに、未だに互いの趣味さえ分からない。
『君はあまり話しかけてこないんだな』
『無理に話しかけても、と思いまして』
『この沈黙が嫌じゃないのか? 私に苛立たないのか?』
『これはお見合いですから。こうして見合っているだけでもなんだか面白くて』
『……変わった人だ』
『よく言われます』
お見合いは終始こんな感じだった。
しかし、夫は私に好感触を抱いてくれたらしく、その後交際を始めることとなる。
――夫が言う。
「実はあの時、私は最初から君に惹かれていた」
これは驚きだった。
「ただし、それはあくまで容姿のみの話。おっとりした雰囲気が、今までに会った女性とは違って、私の好みで……。ただ、これは今だからこそ言語化できることで、当時の私はそういった感情がなんなのかすら分かっていなかったのだ」
夫はほとんど社交をこなしてこなかったのだから無理もない。
今まで一度も甘い物を食べたことがなかった人が、甘いケーキを食べたとして、その味を上手く表現できないように。
「だが、ほんのわずかな会話で、私は君の内面にも惹かれていった。だからこそ父上に『もう一度彼女に会いたい』と申し出た。ただし、それをはっきり自覚したのは、お見合い開始から一時間は経過した頃だった」
ここで夫が歯を食いしばる。
「私でも君の魅力に気づくのに一時間。しかし、あのイスクスという画家はわずか三十分で、君の内面という魅力に気づいてみせた。それが悔しいんだ。歯がゆいんだ。嫉妬してしまうんだ」
ようやく夫の“嫉妬”の正体が分かった。
――私でさえルエーネの魅力に気づくのに時間がかかったのに、あの若者は半分の時間でやってみせた!
これがたまらなく悔しかったのだろう。
一方の私としては、夫が嫉妬してくれたことがたまらなく嬉しかった。
私は夫の隣に座る。
「ねえ、あなた」
「……ん?」
「イスクスは優れた画家よ。芸術家なんだから感受性も高く、人の内面だとかに人一倍敏感なのは当然のことだわ」
「うん、しかし……」
「それにね、もしも私の魅力に一瞬で気づくなんて人が今後現れたとしても、それでも私の一番はあなただから」
私が見上げると、夫は頬を赤らめていた。
「……ありがとう」
***
後日、イスクスの描いた私たちの絵が届けられる。
騎士らしく白銀の鎧をまとった夫に、若葉色のドレス姿の私がそっと寄り添うという絵だった。
とても美しく、見惚れてしまう。
きっとイスクスには、私たちがこんなイメージの夫婦に見えたのだろう。
夫婦で目を細め、感嘆のため息を漏らす。
「いい絵だ……」
「本当ね」
絵からは無限の世界を感じられる。
キャンバスの中の私たちはまるで生きているようで、イスクスは優れた画家だというのが改めて分かる。
だけど、絵の中の私は、なんだか本物の私以上に美しく素晴らしい夫人に見えてしまって、ちょっと嫉妬してしまった。




