第十二話 殿下の母君と毒
あの後、ノアが起きて泣いてしまったので、カイエンのお母さま──前王妃の暗殺については、聞くことができなかった。
(き、聞くなら今よ……ね)
そして今日。
領地北部にある、港エリアへの視察だ。
私とカイエンは二人きりで、馬車に乗っている。
補佐官たちは後ろの馬車で移動していて、どうやら馬車内が会議室になっているらしい。
「リュシー、気になることがあるって顔してる」
「えっ」
「母上のこと?」
カイエンの言葉に、私は頷いた。
「陛下──父上と母上が結婚したとき、宰相はホーツグリル公爵だった」
「前王妃殿下の侍女は、ホーツグリル公爵が選んだということね」
「ああ」
王妃、王太子妃の侍女は、宰相室で決めることができる。
それはつまり、宰相が決められると同義だ。
「母上の死因は、毒だ」
「ど、毒……?」
「ああ。侍女が淹れた茶に含まれる毒」
「じゃぁ、犯人はすぐに捕まって……ホーツグリル公爵も……」
カイエンは小さく首を振る。
「母上の周りにいたのは、全てホーツグリル公爵の手の者だった。証拠は全て隠滅され、公には原因不明の急死、とされたんだ」
「じゃぁどうして、お茶の毒だと」
「その現場に、俺もいたんだ」
その言葉に、私は息を吸い込む。
ひゅ、と空気が動く音が聞こえるようだった。
「母上は、お茶を飲んだ直後に倒れたんだ。俺の目の前で」
そのとき、まるで時がゆっくりと流れていくかのように感じた、そう続ける。
「部屋にいた侍女たちはすぐに茶を片付け、母上をベッドに寝かせて、それから叫んだんだ」
「そんな……。だってカイエンもいたのに?」
「俺はまだ、二歳になったばかりだったからな。何もわかってないと、思ったんだろう」
つまり、侍女たちは『雇い主』が疑われないよう、あらかじめ決めていた動きをしたわけだ。
「床に零れたお茶を、俺は咄嗟にいつもポケットにあったハンカチに染みこませた」
「それを──保管してたのね」
「ああ」
当時の宰相がホーツグリル公爵だったということは、その後すぐに現王妃を婚約者にねじ込むのも、難しくはなかったのだろう。
「俺は八歳を過ぎた頃から、密かに毒の研究を始めた。あのハンカチに染みこませた成分を、分析するために」
「そんな小さな頃から」
「なに言ってるんだ。リュシーなんて、五歳の頃にはもうハーブのような、強い植物に興味を持っていたじゃないか」
「え……。なんでそれを」
「──一度、温室で会ってるから」
温室で?
(カイエンが言うってことは、王城の温室よね)
私は記憶をひっくり返す。
王城の温室は、王太子妃の頃はよく行っていた。けど、その前は……。
「あ!」
「思い出した?」
なんだか嬉しそうな表情のカイエンは、手のひらをくるりと回して私へと差し出す。
まるで、続きをどうぞ、と言うかのように。
「お父さまの受勲式のときね」
普段、王城での式典や祝宴があっても、我が辺境伯家は参加を免除されている。
けれど、流石にその辺境伯家当主が勲章を受けるときには、出席しないわけにはいかない。
当人なのだから。
「そう。辺境伯の受勲式のときに、五歳のリュシーと温室で一度会ってるんだよ」
(あの戦後復興会議が、カイエンと初めて会ったときだと思ってたけど……)
「そんな縁があったのねぇ」
しみじみと口にすると、カイエンはまた、笑った。
「あ! それで、その毒のお茶の成分はわかったの?」
私の言葉に、彼は頷く。
「ウモモの種だ」
「──なるほどね」
(だからカイエンはあのとき──ホーツグリル公爵家が私の侍女を入れ替えたと知ったときに、すぐに来てくれて……お茶の入ったカップをカップをたたき割ったのね)
だとすれば。
「カイエン──今日の視察のスケジュール、途中を少しだけ変えましょう」
***
アストレア辺境伯領の北側には、大きな港がある。
そこは我が領地と周辺国との窓口で、交易の中心でもあった。
ここで入手したものを、中央部にある首都アースのグランメザン市場で販売したり、逆にここに来た他国の商人がグランメザン市場で買い物をする。
「なるほど。その移動中にも領地に利益が出るように、とあえて市場と港を離したのか」
「実は、そこはちょっと悩みもしたの。港と市場が近い方が、活気づくかな、とか」
魚介類に関しては、鮮度の問題もありこの港で下処理をしている。
でも、その処理のあと販売をするのは、やはりグランメザン市場だ。
そんな下処理の工場を見せつつ、港全体を案内していく。
「そうしなかったのは、領地全体を考えてのことか?」
「うん。どれか一つの産業だけに頼ってしまうと、万一のことがあったときに、領地全てが駄目になっちゃうから」
戦前のアストレア辺境伯領は、農業がメインだった。
だからこそ、戦争で人が減り領地が荒れたときに、立て直すのが大変だったのだ。
戦争が二度と起きないようにする。それが一番だけど、それは私の立場ではどうにもならない。
それを決めるのは、この国の、そして他国の、トップにいる人たちだから。
「さて、最後は港で働く現場の人を紹介するわ」
補佐官たちは、もう少し下処理の工場が見たいというので、好きなだけ見てから領主の館へ戻って貰うことになった。どうやら魚介類の保存方法について、詳しく知りたいらしい。
私はカイエンを連れて、港の端へと向かう。
「あっ、リュシア嬢さん! 今日はえらく男前を連れてきて」
港で働いている彼らは、明るい。そして強い。
きっとカイエンが王太子だなんて、思いもよらないのだろう。
(そりゃそうよね)
彼を王太子、と紹介するか少し躊躇していると、カイエンは彼らに笑顔を向ける。
「カイエンと言います。今、リュシーを口説いてる最中だから、皆さん応援してください」
「ちょっ! カ、カイエン何を……っ!」
「何……って、本当のことを」
私の頬が一気に熱くなるのを感じた。両手で頬を隠しているけれど、きっと耳まで真っ赤だ。
「へぇ。リュシア嬢さんをねぇ。ま! あんた結構いいカラダしてるし、嬢さんのこと守れそうだから、頼むよ」
「ノア坊ちゃんのことは、知ってるのかい?」
「そうだ。ノア坊ちゃんを大切にできないようじゃ、俺たちゃ認めねぇぞ」
次から次へと、カイエンに詰め寄る。
カイエンはカイエンで、ニコニコしながら、応対していた。
「ノアのことは、当然大切にします。息子も同然ですから」
(というより、息子だもんね……。まだ公表できないけどさ)
「だったら安心だな。昨日から、変なのがうろちょろしてるみてぇだし」
「変なの──?」
カイエンの瞳が、鋭くなる。
その表情を見た彼らは、小さくヒュウと口笛を吹いた。
「今日は見てねぇけど、昨日の昼間、見慣れねぇ男が二人、港をあっちこっち覗いてたんだ」
「俺たちは皆顔を知ってるだろ? だから知らねぇやつがいると、情報を共有するんだ」
「そしたら、どうやら王国の西の方のなまりが出てたらしくてな」
王国の西。
それは、ホーツグリル公爵領のある地域だ。
私とカイエンは顔を見合わせ、頷く。
「情報ありがとう。もしもまた同じようなのが出たら、どこかに足止めさせて、領主の館へ知らせて欲しいの」
「わかった。俺たちとしても、妙なヤカラは困るからな」
「ああそうだ。今日は俺がリュシーを守るから、皆は安心してくれ」
「はっはぁ! そりゃ安心だ。リュシア嬢さんを頼んだよ」
「時に無鉄砲だからなぁ、嬢さんは」
彼らのあたたかい言葉と別れ、私たちは次の目的地へと向かった。
「カイエン。今から向かう場所は、我が家の指定農園よ」
「指定農園?」
「そう。我が家と契約をした人間しか入れない、特別な場所」
だから、補佐官たちが下処理の工場に残りたいと言ったときは、安心したのだ。
彼らだけを先に帰す言い訳を考える必要がなくなったから。
「なにか特別なものを、作っているのか?」
一定のスピードで走るこの馬車の馭者も、もちろん我が家で雇っている。
少し入り組んだ場所にあり、門から入った先も馬車でしばらくいかないといけない。
その念の入れ方に、カイエンが少しだけ緊張しているのを感じた。
「育てているのは、ウモモよ」
そう。
私を殺そうとホーツグリル公爵の手の者が用意した、そしてカイエンのお母さまを殺した、ウモモ茶の元になる実を、育てているのだ。