第十一話 王太子殿下の母君
あのあと、ノアはカイエンに肩車や高い高いをして貰っていた。
カイエンは今すぐにでも、ノアに父親と名乗りたかったみたいだけど、ヴェルナーが無事に消え──我が家から帰るまでは、耐えるようだ。
(まぁ、満々が一、ってこともあるからね)
私は急な用事のために屋敷にいない、ということにして、今夜の第二王子との晩餐会は、お父さまだけが対応することになった。
カイエンは、と言えば私と一緒に別館で、ワインを飲んでいる。
(あれ? なんでこうなったんだっけ)
私が別館でノアと食事を取ると言ったら、カイエンも一緒に三人で夕飯ということになったのだ。
「俺とヴェルナーが揃って晩餐会なんて、辺境伯はキツいだろ?」
「それは確かに」
なんて話で、結局カイエンも別館で食事をとった。
そして、ノアが寝た後の今。
別館に用意してある私の部屋に、カイエンもいる。
(いやいやいやいや、おかしいよね?! なんで私の部屋で、二人でワインを)
「それで、昼間ヴェルナーとは、何を話してたんだ?」
ワインを飲みながら、カイエンは少し拗ねたような口調で訊ねた。
(あ、なるほど。二人でこっそり話さないといけない内容だったから、ここにいるのね)
私もワインを口に運ぶ。
「あなたと、エリーゼリト・ショルグ侯爵令嬢が、婚約するって話」
「ブハッ!」
「あらやだ。大丈夫?」
吹き出しそうになったカイエンは、どうにか失態をせずにワインを飲み込んだらしい。
肩で大きく呼吸している。
ノアだったら、背中をさすってあげるけど、カイエンはもう良い大人だから、しない方が良いだろう。プライドを傷つけたらかわいそうだもんね。
「あ、ああ……。いやでも、それは」
「わかってるわよ、あちらさんが勝手に画策してるだけ」
ひらり、と手を返してみせる。
「さすがにね、いくら四年経ったとは言え、私だって貴族の婚姻関係くらいは覚えてる」
ショルグ侯爵は、ホーツグリル公爵の親戚筋だ。
つまり、王妃の派閥。
「ショルグ侯爵令嬢は、私とカイエンが結婚してた頃も、やたらとあなたに会いに登城してたっていうけど」
「さっきも言ってたけど、そのショルグ侯爵令嬢ってのに、会ったことはないが」
首を傾げながら、必死で思い出そうとしている。
「ピンクブロンドの髪で、こう、スタイルもよくて、泣きぼくろのある美人の」
「王宮に、リュシー以外の美人なんて、いたか?」
(いやいや、王城には数多の美人侍女さんがいたでしょ?!)
「さっきも言ったけど、リュシー以外の女は路傍の石と一緒なんだよ」
「それは……自分の審美眼を疑った方が良いとは思うけど──なんか、ありがとう?」
カイエンが笑う。私も、笑う。
「カイエンがこの四年間ホーツグリル公爵派を、中央政治から排除……って、あれ?」
「ん? どうした?」
「もしかして……ホーツグリル公爵派を排除したのって、私の……ため?」
(なんて、ちょっと勘違いしすぎ、って言われるかな)
「それ以外に、何かあるか?」
あっさりと肯定するカイエンに、私は思わず口をパクパクとさせてしまう。
「前に、ホーツグリル公爵家の侍女を、リュシーの元へ送り込んで、毒の入ったお茶を飲ませようとしたこともあっただろ」
「うんうん」
「あれ以外にも、リュシーには言わなかったけど、ちょいちょい狙われてたんだよ」
「え、そうなの?」
「ちなみに、辺境伯家でも、何度も暗殺者を捕まえたって聞いてるぞ」
「嘘ぉ……」
「まぁ、リュシーの家族や、この家の使用人は、君に絶対に言わないだろうけどね」
あまりのことに、目をパチパチとしてしまう。
「なんで、カイエンはそのことを知ってるの?」
「辺境伯とルーファスに聞いたから」
「思ったより……カイエンはうちの家族と仲が良いのね?!」
「ああ。だから、俺は夫として最適だと思うぞ」
ノアのことを知ってから、カイエンは堂々と私を口説き始めた。
さすがに、これだけ言われれば、彼が私のことを好きだとわかる。
わかる、けど──。
(ノアを、王族にしてしまって、本当に良いの? 今の自由がなくなっちゃうんじゃないかな)
それに、自由に関しては、ノアだけじゃない。
私も。
もっと農業の研究をしたいし、交易に役立ちそうな商品の開発もしたい。
結婚をしてしまったら、自由なんてなくなってしまう。
「リュシー。今はとにかく、ヴェルナーをこの領地から出すことを考えよう」
私が思い悩んでいることに気付いたのか。
カイエンがそうやって言ってくれる。
(いつも──あなたは優しいのよね)
「ノアに関していえば、まずは別館から外に出さない」
「うん。それは絶対だ」
「そういえば、カイエンはどうして別館のエントランスに?」
私はワインのお代わりを、カイエンに注ぐ。
彼は目を細めて、それを飲んだ。
「辺境伯の勧めで庭を散歩してたら、リュシーの背中が見えたから」
「背中?! よく背中でわかったわね」
(いえ、それよりもお父さまの勧め?! お父さま、もしかしてわざと……)
今度はカイエンが、私のグラスにワインを注いでくれる。
「リュシーだったら、指一本──は言い過ぎだけど、背中ならすぐわかるさ」
カイエンの言葉に、何と返して良いのかわからず、とりあえずワインを飲む。
「そ、それはともかく、あとはヴェルナー殿下をどうやって追い出すか……」
「あいつはアストレア領の、農業改革の技術を盗もうとするはずだ」
「技術を?」
(そんなの、盗むもなにも、私がカイエンに教えてるのに?)
「王国の農業が衰退しているからな。アストレアの技術をさも自分の知識として披露して、王太子の座を狙うだろう」
「はぁっ?!」
我が領地の技術を全国に広めるのは、構わない。
でも、それを自分が考案したと言い出すとなると、話は変わってくる。
そんなことは、絶対に許せない。
「うちの農業技術はねぇ……。私だけじゃなくて、一緒に努力した領民たちのものでもあるのよ」
ワイングラスを握る手が、強くなる。
「リュシー、落ち着いて」
「……あ」
カイエンが私のワイングラスを持つ手を、両手でそっと包み込む。
それでも、熱くなった私の胸は収まらない。
収まらないどころか──。
(え、なんで私、呼吸が浅くなってきてるの)
カイエンの手が大きくて、妙にドキドキしてしまう。
どうしよう。
「カイエン……どうしよう」
「具合が悪いのか!?」
「なんか──腹が立ちすぎて、クラクラしてきたみたい」
そう言うと、カイエンがすぐに、水をグラスに淹れてくれた。
「飲み過ぎたんじゃないか?」
「そうかも」
「もともと、そんなに強くないだろ」
お酒の開発でたくさん飲んだから、強くなったかと思ってたのに。
「いつもは、もっと飲めるのよ」
「だったら今夜は、俺と飲んでるからか?」
いたずらっ子のように笑うカイエンに、思わず私も「そうかもね」なんて返してしまう。
「明日だけど」
「うん」
「俺たちは、予定通り視察を続けよう。それで、あいつが何をしようとするか、見極めるんだ」
「そうね。とりあえず、敵が何を考えているか──」
「強制的に王城に送り返すことも考えたが、辺境伯が止めたんだ」
「お父さまが?」
「ああ。これを機に、王妃派を全て叩け、って」
(驚いた。お父さまって、中央の政治に興味がないと思ってたのに)
「そういえば陛下は、この状況をどう思ってらっしゃるの?」
「父上は……、同じように機を狙っている」
「どういうこと?」
「俺の母上は──王妃に殺められたんだ」




