□あのゴブリンのハウス
「はいはい、ギルドから話は伺っていますよ。こちらもお待ちしておりまs……」
そう笑って答えながら振り返った初老の男は、背後に立っていたゴブリンに、皺だらけの目尻をギョッと見開いて全身を戦慄かせた。
おそらくは、この住宅街をまとめている区長のような立場の家なのだろう。自宅の大きさはさほどでもないが、庭と隣接した菜園は、こぢんまりとしながらもそこそこの規模と品種を取り揃えていた。
隠居後の愉しみとして、そこで農作業に勤しんでいた老人は、手に持ったカマと雑草をガタガタと震わせてゴブろーくんを凝視する。
勘違いしないで欲しい。ギルド支部にいた受付嬢は、訪問相手がゴブリンであることを事前にちゃんと伝えておいたのだ。
では、何が彼をそんなに驚愕させているのかと問われれば――
「どもども、こんにちはです☆」
後ろから自分より小柄なゴブリンに腕を回し、おまけにその丸い頭部に胸を載せて脱力していたのは、見るからに成人前後な三つ編みの女の子であった。
いや、そんな体勢でどうやって二人三脚してきたねんというツッコミはさておいて。普通そこは配置が逆じゃね?と老人が偏見を込めて二人を見比べると、ゴブろーくんがカウントダウンするブッダみたいな嘲笑と共に手を掲げる。
「……彼女のことは気にしないで下さい。……さっきそこで出会っただけの、ただの冒険者仲間ですから」
「そ、そうなのですか? それならまあ、そういうことで……」
たしかに、少女が強引に連れ歩かされている様子は見られなかったけど。
むしろこのゴブリンの方が、なんか心労の果てに憔悴しきっていたけれど。
下手に根を掘ったら墓穴に嵌る予感しかしないと、己が人生経験から危険を察知した老人は、何食わぬ顔で二人を菜園の並びに伸びる通りへと案内する。
そうして導かれたワンルームの一軒家は、他の家々からは若干敷地が離れているものの、流浪人が一時の宿とするには十分すぎる広さがあるように思えた。
「前の主人に家督がおらず、長らく空いていた小屋です。朝のうちに埃除けのリネンを外して風通ししておきました。中にある寝具もどうぞ自由にお使い下さい」
「何から何まで本当にありがとうございます。ありがたく使わせて頂きますね」
「いえいえ、ギルドマスターには私どもも色々と便宜を図ってもらっていますから。水場は先ほどの畑に撒き水用の井戸があるので、そちらを……」
と、菜園の方角を指差したところで、老人はちらりとゴブろーくんを盗み見る。
三つ編みの女の子――エルザは彼の背中に圧し掛かったままであり、驚くべきことにその姿勢で、器用にヒョコヒョコと付随してきて。
それはともかくとしてゴブろーくんに焦点を合わせた老人は、意味深な咳払いで注意を向けてから、牽制するような口ぶりで彼に振り返った。
「ところで、此処にはどれくらいの逗留を予定されているのですかな? ……悪気はないのですが、近隣にはやはり魔族を怖がる者も少なくなくてですね」
「ギルドの依頼次第ですが、まとまった路銀を稼げるまでですかね。できれば年明け前にディシオルへ辿り着きたいですし、夏が終わる頃には発つ予定です」
受付嬢が宿泊場所を手配してくれたのには、そういう事情もあったのかもしれない。義理と人情が板挟みになった顔で尋ねる老人に、ゴブろーくんはさらりと何も気にしてない風を装いながら返答した。
半年一年と言われることを警戒していたのか、彼はホッと胸を撫で下ろし、一転して魔族への歩み寄りを示すように手の平を見せる。
「申し訳ございません、気を悪くしないで下さい。魔族の兵士や商人が通りすがることはあっても、冒険者が長期間滞在するのは私どもも経験がなくて」
「心中お察しします。オレもあまり町中で出しゃばらないよう気をつけますよ」
「――そんなに心配しなくても、ゴブろーは問題なんて起こさないよ!」
両者共に大人な対応で話題がまとまりかけたところで、はいはいはーい!と無駄に元気良く挙手を掲げたのはエルザだった。
ゴブろーくんに胸ごと重心を預けて伸びあがった彼女は、相変わらず何を考えているのか分からない半眼で、我が事のように彼の頭を抱き締める。
「ゴブろーはとっても良い子。みんなの頼りになるって、わたしも保証する」
「はぁ……? ええと、それで貴女は……?」
「エルザ・リーゼンフェルト。――ゴブろーのお姉ちゃん、です☆」
姉でも年上でもないどころか、ほぼ初対面と言って差し支えないのだけれど。エルザは芝居めかせた動きで腕を掲げると、作ったピースで謎のチェキを決めた。
リアクションに付いていけない老人はどうしたものかとゴブろーくんに視線を戻し、食堂を出てからずっとこのテンションに振り回されてきた彼は、夜鷹純も自分でタバコを買いに行きそうな表情で心を殺す。
「……デハ、キョウからシバラく、よろしくおねがいシマス」
「あ、ああ。困ったことがあったら、遠慮なく私を訪ねてくれていいからね」
正直、この少女も一緒に寝泊まりするつもりかと問い質したくて仕方なかった。
しかし老人は0秒の長考で損得勘定を済ませると、そのまま全てを見なかったことにして、この地雷原から足早に立ち去っていく。
そんな彼を引き留めるような眼差しで見送ったゴブろーくんは、溜息混じりに踵を返して腰の雑嚢からウォード錠を取り出した。
すると、それを目にした背中のエルザが、一ミリも真顔を動かさないままに口からワクワクと擬音を発する。
「中はどんな感じなんだろうね? それではレッツ、オープンセサミ~!」
「……なんでゴマ?」
オタク女の世界でも解明されていない呪文を聞きながら、そもそもアラビアンナイトを知らないゴブろーくんは、疑問符と共に玄関へと鍵を挿し込んだ。
一方のエルザも「わたしも意味は知らないよ」と無責任な解答を返し、なんだそりゃと扉が開くと、空いた窓から吹き込んだ風が二人の脇を駆け抜けていく。
「おお、すごい! ……すごい?」
脊髄反射で歓声をあげようとしたエルザが、実際の光景に半眼をまばたかせた。
自由に使ってと言われたものの、室内にはベッドとテーブルと、その他最低限の家財道具だけ。炊事場はなく、床板を外した地べたに囲炉裏が掘られている。
ランタンは見当たらず、南と東には板戸の窓が一ヵ所ずつ。補修が繰り返された壁は歪な模様を描き、囲炉裏の脇にも火の粉で焦がした敷物が残されたままで。
言うなれば、それは至って普通。外観ほど朽ちても寂れてもいないが、かと言って住み良いと感じるには、なかなかに築年数がかさんだ物件だった。
掃いても払っても取りきれなかったのだろう蜘蛛の巣を見上げたエルザは、ゴブろーくんから胸を離すと、博物館を見学する子供のように内装を見回す。
「わたしの村は家族みんなで住むウチばかりだったから、こういうちっちゃい家って新鮮かも。でも思ったよりキレイだね。オジサンが片付けてくれたのかな☆」
部屋の中央を陣取るカーペットの刺繍を覗き込みながら、エルザはその上でくるりと躍るようなステップを踏んでみせた。
だがゴブろーくんにその愛らしさに気づく余裕はなく、ようやく背後霊から解放された彼は、溜息を吐きつつ置かれていた椅子にズタ袋を下ろす。
「これなら掃除らしい掃除をする必要もないね。……宿代を楽に稼ぎたいキミには残念な話かもしれないけど」
食事中にエルザが閃いた一石二鳥のアイディアとは、彼の入居のお手伝いをして小遣いをもらうことだった。
彼女の身の上やお財布事情を鑑みて、ゴブろーくんも渋々と臨時のハウスメイドとして雇うことにしたのだけれど。
どのみち初めから乗り気ではなかったことだしと嘆息を押し殺した彼は、適当にお駄賃をあげて追い払えばいいやと空の水瓶を覗き込む。
「じゃあ、さっそく水汲みをお願いしてもいいかい。時間も遅くなってきたし、できるところまで入れてくれれば、それで十分だから――」
「了解、お水だね。パパッと汲んでくるから、ゴブろーは一息吐いていいよ~☆」
フンスと真顔のまま頷き返したエルザは、彼の頼みを聞くが早いか、水瓶の脇に掛かっていたダッフルバッグ型の運搬用革袋を手に取った。
どころか、もうひとつ予備の袋と頭上には洗濯桶まで載せると、彼女は三つ編みをなびかせながら徒競走みたいな勢いで小屋の外へと駆け出していく。
「ちょっと、そんなに持って行っても運んで来れるわけ……」
後ろ姿はバッグを担ぐというか、もはやバッグに担がれているような有様だったが。まあ、さすがに水が入ればその総重量に気づくだろうと、ゴブろーくんは引き留めようと伸ばした腕で頭を掻いた。
とりあえずは寝具の骨組みが腐っていないかを確認し、年代物のせんべい布団も軽く叩いてホコリとダニを追い出して。
そういえば囲炉裏の薪も調達して来なくてはと、日が落ちきる前にやることをまとめていたところに、バタバタバタと駆け足の音色が近づいてくる。
「ゴブろー、ただいま~。……うっし、あと一往復もすれば溜まりそうだね」
ずいぶんと早いご帰還だと、苦笑で彼女を出迎えようと顔を向けたゴブろーの眼前で、エルザは二つの袋と頭の桶にタプタプと溜まった水を瓶へ流し込んだ。
重さもさることながら、それだけの水を井戸から汲み上げるだけでも相当な労力が必要だろうに。エルザは息切れる様子もなく半眼を瞬かせると、空になった袋をもう一度両肩に引っ掛ける。
「それじゃあもう一回、行ってきま~す!」
「………………」
最悪“水生成(クリエイト・ウォーター)”でチョロチョロ補充すればいいや。とタカを括っていたゴブろーくんは、再び飛び出す三つ編みに言葉を失っていた。
そうして呆けている間にも帰ってきたエルザが水瓶を満杯にしてしまい、袋を壁に戻した彼女は、ボール遊び中の大型犬のような気勢で両手を握り締める。
「ゴブろー、終わったよ! さあさあ、次は何をすればいいんだい!!」
「ちょっと待って!? 分かったから胸を押しつけてくるのはヤメなって?!」
壁ドン感覚で画面端へと追い込まれたゴブろーくんは、ちょうど程良い位置で視界を塞いでくる豊満に、幼少時代に還ったような赤ら顔で壁と一体になった。
――ここで彼の名誉のために補足しておくが、べつにゴブろーくんは魔族並み外れたおっぱい星人というわけではない。
ゴブリン族には授乳による子育てが存在しない。乳首らしき器官はあるものの、それは進化の名残りにすぎず、性感帯としての実用性しかないのだ。
そのためか、彼女らの胸はほとんど膨らむことがない。つまりゴブリンに貧乳巨乳の概念はなく、重要視されるのは子を護るための胸筋の篤さなのである。
「くっ……ううぅ…… ///」
だからこそ“柔らかくふくよかな胸”を目の当たりにしたことで、ゴブろーくんの男性本能は盛大にバグってしまった。
幼少期に私が抱擁しまくった弊害と思われているかもしれないが、これは彼がゴブリンが故に発生した、哀しき因果なのだ!(『などと供述しており……』)
「どうしたの、ゴブろー? 大丈夫?おっぱい揉む?」
「おっぱい揉みません! ///」
どうせなら、ひと揉みくらいさせてもらえばいいのに。緑肌を真っ赤に充血させたゴブろーくんは、むしろそんなエルザの誘惑で正気に返ることができた。
そして持ち前の体術で壁際からするりと脱出すると、残念そうに半眼をジトらせる彼女の手に、前もって準備しておいた銀貨を一枚握らせる。
「はい、水汲みの報酬! ……これだけあれば今夜の宿には困らないでしょ。その後は自分でギルドに頼んで何とかするんだね」
「わたしまだ水しか汲んでないよ? ご飯を奢ってもらったお礼もあるし、井戸もすごく近かったから体力的にも全然よゆ~よゆ~☆」
実家の村には井戸がなかったから毎朝川を往復していたのだと、エルザは本当に何でもないことのようにダブルバイセップスを構えた。
彼女が気にすべきは距離の問題でないと思ったけれど。60リットル以上の水を溢すことなく軽快に二往復したという事実に、ゴブろーくんは冷静さを取り戻す。
「食事を奢ったのはオレの勝手だし、ちゃんと仕事をこなしたんだからこれは正当な報酬だよ。キミも冒険者なんだから、出されたモノは遠慮なく貰いなさい」
「……」
受付嬢からの受け売りではあったが、ゴブろーくんのススメを聞いたエルザは、手の中の銀貨を見下ろして黙り込んだ。
かと思うと、その銀貨をギュッと握り締め、彼に向かって瞳を星で輝かせる。
「ゴブろー、魚って食べたことある? ――お魚料理、好き?!」
「へ? いやまあ、何度か食べたことくらいあるけど……?」
お辞儀するように上体を屈めてグイグイと半眼を押しつけながら、エルザは畳みかけるように質問を連続させた。
そして、ゴブろーくんがワケも分からないまま頷き返すと、ムフーッと荒い鼻息でアルカイックしつつ一方的に身体を起こす。
「そっか分かった! わたし、ちょっち行ってくるね☆」
どういうことかと尋ね返してはみたけれど。エルザは能天気なサムズアップだけを残し、三度小屋から飛び出していってしまった。
またしても一人置いてきぼりにされたゴブろーくんは、頭をひと撫でして混乱を落ち着け、それから盛大な溜息を吐いて肩を竦める。
「……まったく。……本当になんなんだかね、あの子は」
舞い上がった埃を払いつつ、遠ざかっていく三つ編みを見送るゴブろーくん。
その頬が愉しげに緩んでいることに、彼は最後まで気づくことが出来なかった。




