花と、薬草園の奇跡
王都から呼び寄せられた一流の仕立て屋や商人たちが去った数日後。
アルデンツィ公爵邸は、かつてない華やぎと温もりに包まれていた。
「奥様。息を呑むほどお美しいですわ」
仕立て直された広大な私室で、侍女たちが感嘆の声を漏らす。
鏡の前に立つレティシアは、自分自身の姿に思わず目を疑う。
実家では義妹のお下がりの色褪せた古着ばかりを着せられ、髪の手入れをする時間すら与えられていなかった。
だが、鏡に映っているのは淡い夜空色の上質なシルクドレスをまとい、丁寧に梳かされたプラチナブロンドの髪を優雅に結い上げたまぎれもない高貴な淑女だった。
肌は透き通るように白く、大きなエメラルドグリーンの瞳が着飾った装飾に負けないほど凛とした輝きを放っている。
胸元には、磨き直されて銀の輝きを取り戻した母の形見のペンダントが誇らしげに収まっている。
「レティシア、入るぞ」
扉が開き、執務着姿のギルバートが入ってきた。
一歩足を踏み入れた途端、まるで凍りついた彫像のようにピタリと足を止めた。
「閣下」
レティシアが少し不安そうに小首を傾げる。
「おかしなところはございませんでしょうか。あまりに贅沢な衣装で私には不相応ではないかと」
ギルバートは無言のままゆっくりと彼女に歩み寄った。
氷青色の瞳は大きく見開かれ頬がわずかに赤らんでいる。
普段は感情を一切読ませない彼があからさまに動揺している。
「不相応なものか」
低く掠れた声で呟き、レティシアの白く滑らかな手の甲を取り恭しく唇を落とした。
公爵としての礼儀を超えた熱のこもった仕草に胸がトクンと跳ねる。
「美しい。言葉を失うほどだ。これまではお前という宝石に泥を塗りたくって目を塞いでいただけだったのだな」
「閣下。ありがとうございます」
ギルバートの嘘偽りのない賞賛に、レティシアの頬が桜色に染まる。
冷酷と噂されていた男が、こんなにも柔らかな眼差しを向けてくれる。
その事実がたまらなく愛おしい。
だが、レティシアの素晴らしさは美貌だけに留まらなかった。
「奥様。薬草園の苗がもうこんなに芽吹きました」
ドレスから動きやすい上質な平服に着替えたレティシアは、屋敷の裏手にある広大な庭園へ向かった。
長年放置され、冷害と魔獣の毒気で枯れ果てた荒れ地だった。
レティシアが手入れを始め、土壌の質を魔法と薬草の知識で見極め、適したハーブを植え替えた数日で青々とした生命力を取り戻していたのだ。
「ええ、順調ね。この雪解草が育てば、冬の間の皆のしもやけにとてもよく効く軟膏が作れるわ」
レティシアは公爵夫人の身分になっても、威張ることも着飾って座っていることもなかった。
土に触れ、使用人たちに優しく声をかけ体調を崩した門番には特性の煎じ薬を渡し、厨房のコックには香草を使った疲労回復のレシピを教えた。
実家で虐げられながらも培った家事の実務、他人の痛みに寄り添う優しさ。
屋敷の使用人たちは皆口を揃えてこう言うようになった。
「前の冷え切っていた屋敷が嘘のようだ。レティシア様こそ天使だ」
「あんな素晴らしいお方を下女扱いして手放した伯爵家の目は一体どんな節穴だ」
屋敷中の誰もが、レティシアに心酔していた。
夕暮れ時、庭園のベンチでひと息ついていると、仕事を一段落させたギルバートが温かいショールを持って現れた。
「風が冷たくなってきた。風邪を引くぞ」
「閣下自らショールを掛けてくださるなんて。お優しいですね」
「お前限定だ」
ギルバートは少し照れくさそうに視線を逸らしながら、レティシアの隣に腰を下ろした。
彼の身体からは、かつて暴走寸前の禍々しい魔力の気配は完全に消え失せていた。
レティシアの淹れるお茶と、彼女が傍にいる安らぎによって安定していたのだ。
レティシアの胸元にある銀のペンダントに目を留める。
「亡くなったお母上の形見だったな」
「はい。どんなに辛い時もペンダントを握りしめると、母が誇りを捨ててはだめよと励ましてくれている気がして」
「そうか」
ギルバートはペンダントに指を伸ばしかけ、何かを感じ取ったように目を細めた。
魔力の探知に長けた彼には、ペンダントの奥底に、ただの装飾品ではない非常に純度の高い、失われた古代の魔力が封印されているのが微かに感じられた。
バタバタと激しい足音を立てて、執事のセバスチャンが庭園に駆け込んできた。
王都からの至急の報告書が握られている。
「旦那様。王都の財務監査局より報告が入りました、伯爵家の査察が完了したとのことです」
ギルバートは鋭い笑みを浮かべ、レティシアの肩を抱き寄せた。
「ようやく届いたか。レティシア見届けるといい。お前を虐げてきた者たちが自らの罪で身を滅ぼす瞬間を」
いよいよ、因果応報の時が幕を開けようとしていた。




