↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/23

第十話 石は、名前をもらった

 石は、名前を待った。


 名前。

 自分だけの言葉。

 エリアスが考えてくれる言葉。


 待つ。

 待つは、やはり少し苦しい。


 けれど、エリアスが来るなら好ましい。

 エリアスが名前を持ってくるなら、とても好ましい。


 石は、前の日に教わった言葉を何度も思い出した。


 言葉は、石の中で小さな石のように並んでいた。

 一つずつ形が違う。

 重さも違う。


 触ると浮くものもあった。

 触ると沈むものもあった。


 エリアス、という言葉はよく浮いた。

 名前、という言葉も浮いた。

 怖い、という言葉は沈んだ。

 嫌いではない、という言葉は、沈んでから浮いた。

 複雑、という言葉は、沈むのと浮くのが一緒にあった。


 石は、それらを何度も並べ直した。

 まだ頭はあまり良くなかった。

 けれど、前よりは少し考えられるようになっていた。


 考える。

 それも、エリアスがしていたことだ。

 眉を寄せて、緑の目を少し細めて、言葉を探す。


 エリアスはよく考える。

 石も考える。


 同じ。

 好ましい。

 とても好ましい。


 朝の光が洞窟に入った。

 石は口を閉じていた。


 エリアスとの約束だった。


 大きな声を出さない。

 口を大きく開けない。

 待って、と言われたら待つ。


 約束。

 守ると決めること。


 石は約束を守りたかった。

 約束を守れば、エリアスは怖がらないかもしれない。


 エリアスが怖がらない。

 好ましい。

 とても好ましい。


 昼に近付いた頃、風の中に匂いが混じった。


 石の中の何かが浮いた。


 来る。

 エリアスが来る。

 名前が来る。


 足音が近付いた。

 昨日より、少しだけ早い足音だった。

 でも、入口の前で一度止まった。


 石は見た。


 エリアスは洞窟の入口に立っていた。

 今日は金属の棒を持っていなかった。

 ランタンと、革鞄だけだった。


 石は、それを見て浮いた。


 金属の棒がない。

 エリアスは、石を叩くものを持っていない。

 きっと、逃げる準備が少し減った。

 好ましい。


 けれど、エリアスの肩はまだ少し硬かった。

 目も慎重だった。

 怖いは、やはりまだある。


 でも、来た。

 怖いけれど来た。

 複雑。


 石は覚えたばかりの言葉を思った。


 エリアスは洞窟に入る前に、小さく息を吸った。


「……おはようございます。」


 おはよう。

 石はその言葉を知っていた。

 エリアスが時々言う。

 たぶん、会った時の言葉。


 声を出していい時か、少し迷った。


 挨拶。

 それは返した方がいいのだろう。

 返さないと、エリアスが困るかもしれない。

 困るは、少し好ましくない。


 石は口をほんの少しだけ開けた。

 歯を見せないように。

 暗い奥を見せないように。

 小さく。


「おはよう。」


 エリアスの肩が少し動いた。

 けれど、逃げなかった。

 口元が少し緩んだ。


「はい。昨日より小さい声ですね。」


「大きい声、好ましくない。約束。」


 エリアスは目を瞬かせた。

 それから、少し笑った。


「覚えていたんですか。」


「覚えた。忘れる、好ましくない。」


「そうですね。ありがとう。」


 ありがとう。

 また石に向けたありがとう。

 石の中の何かが大きく浮いた。

 ありがとうは、何度聞いても好ましい。


 エリアスは洞窟の入口より少し奥に入って座った。

 石からはまだ離れている。

 でも、昨日より少しだけ近い。


 近い。

 好ましい。


 石は目を動かしたくなった。

 もっと見たい。

 近くのエリアス。


 でも、急に動かすと怖がる。

 石はゆっくり目を動かした。

 エリアスがそれを見て、小さく頷いた。


「ゆっくり。上手です。」


 上手。

 好ましい言葉。

 石は浮いた。


「上手、好ましい。」


「はい。とても好ましいです。」


 エリアスがまた石の言葉を使った。

 とても、とても好ましい。


 エリアスは鞄から紙を出した。

 紙の上には、昨日の記録らしい線と文字があった。

 それから、小さな本も出した。

 古そうな本だった。

 表紙は茶色で、端が擦り切れている。


 石は本を見た。


 本。

 言葉がたくさん入っているもの。

 エリアスが時々持ってくるもの。


 石はまだそれがなにかよく分からない。

 けれど、本を開く時のエリアスは、いつも少し楽しそうだった。

 だから、本は好ましいものかもしれない。


 エリアスは本を開き、少し照れたように言った。


「名前を考えてきました。」


 石の中の何かが、大きく浮いた。


 名前。

 自分だけの言葉。

 エリアスが考えてくれた言葉。


 来た。

 名前が来た。


 石は口を開けそうになった。

 けれど、約束。

 大きく開けない。


 石は口を閉じたまま、目だけでエリアスを見た。

 エリアスは一瞬、石の目を見て固まった。

 それから、小さく笑った。


「……そんなに見られると、緊張します。」


 緊張。

 知らない言葉だった。


「きんちょう?」


「失敗したらどうしようかと思って、体が硬くなることです。」


 失敗。

 体が硬くなる。

 緊張。


 エリアスは緊張している。

 名前を言うのに。

 石のために。


 石は沈んで、浮いた。

 エリアスが硬くなるのは好ましくない。

 でも、石のために考えたから硬くなるのは、少し好ましい。


 複雑。


「緊張、しなくていい。」


 石は言った。

 エリアスは少し驚いた顔をした。

 それから、苦笑した。


「君にそう言われるとは、思いませんでした。」


「エリアス、硬い。好ましくない。」


「……ありがとう。」


 ありがとう。

 また石に向けたありがとう。

 石の中はまたふっと浮いた。


 エリアスは本の一ページを指で押さえた。


「少し単純かもしれませんが、古語から拾うのはどうかと思いまして。……小さな石や、石の欠片を意味する言葉らしいのですが。」


 古い言葉。

 小さな石。

 石の欠片。


 自分は小さくはない。

 でも、石だ。

 欠片ではない。

 でも、石だ。


 エリアスが考えた。

 それだけでとても好ましい。


 エリアスは少し息を吸った。


「セラ、というのはどうでしょう。」


 セラ。

 石の中に、新しい音が入った。


 セ。

 ラ。


 短い。

 柔らかい。

 エリアスの声で言われた音。

 自分に向けられた音。


 セラ。


 石は動かなかった。

 動けなかった。

 体はいつも動けない。

 けれど、それとは違った。


 石の中のものが、一度全部止まった。

 それから、大きく浮いた。


 セラ。

 名前。

 自分だけの言葉。

 エリアスがくれた言葉。


 石は口を少しだけ開けた。


「セラ。」


 声が出た。

 エリアスが頷いた。


「はい。セラ、です。」


「セラ。」


「君の名前に、どうでしょうか。」


「石の名前?」


「君の名前です。」


 君。

 セラ。


 石は、体の中でその音を何度も繰り返した。


 セラ。

 セラ。

 セラ。


 石でもある。

 けれど、たくさんある石ではない。

 エリアスが呼ぶ、自分だけの名前。


 セラ。


「セラ。」


 石はもう一度言った。

 エリアスが少し困ったように首を傾げた。


「気に入りませんでしたか?」


 気に入る。

 知らない言葉だった。


「きにいる?」


「好ましい、と思うことです。」


 好ましい。

 名前が好ましい。

 エリアスがくれた。

 とても好ましい。


「気に入った。とても。」


 石は言った。

 エリアスの顔が明るくなった。

 石の中も明るくなった気がした。


 光とは違う。

 入口から来る光ではない。

 けれど、明るい。

 石の内側が、少し明るい。


「よかった。」


 エリアスが言った。


 よかった。

 それも好ましい言葉。

 石は覚えた。


「エリアス。」


「はい。」


「セラ。」


「はい。セラ。」


「エリアス。」


「はい。」


「セラ。」


「……はい。」


 エリアスが少し赤くなった。

 前にも見た顔だった。

 呼ばれると赤くなる顔。


 嫌ではない。

 たぶん。

 石はそれを覚えた。


 名前を呼ぶ。

 返事が来る。


 エリアス。

 はい。

 セラ。

 はい。


 声が行って、戻る。

 同じ。


 好ましい。

 とても好ましい。


 エリアスは照れたように視線を逸らし、紙に何かを書いた。


 名前、決定。セラ。


 紙にそう書いたのだろうか。

 石は読めない。

 けれど、エリアスが自分の名前を書いたことは分かった。


 記録。

 忘れないためのもの。

 エリアスは、セラを忘れないように書いた。


 石はまた浮いた。


 忘れない。

 大事。

 名前。

 セラ。


 石は、何度も体の中で言葉を転がし、少年を見詰めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。