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ホテル最上階。
間接照明が淡く照らす寝室には、静かなジャズだけが流れていた。
天宮篝は、ウィッグの毛先を指先で弄びながら、久我誠一の隣で静かにグラスを傾けていた。
清楚なブラウス。少し幼さを残した化粧。
男が最も優越感を抱き、警戒を解く「無垢な女子大生」の仮面。
「ねえ、久我先生」
篝は潤んだ瞳で見上げる。
「先生って、女性支援の政策をたくさん掲げてらっしゃるじゃないですか。私、本当に尊敬していて……。あ、そうだ。『女性完全保護課』の天宮篝総司令官のことも、お仕事でよくご存知なんですか?」
酒も回り、完全に気を良くしていた久我は、鼻で笑うように口元を緩めた。
「ああ、彼女か。まあ世間では色々言われているが……本当のところを言えば、親子ではあるよ」
「えっ……親子、ですか?」
驚いたふりをして、篝は身を乗り出す。
久我は満足げに背もたれへ寄りかかった。
「私が政治活動で忙しくなってしまってね。母親とも離婚して、どうしても距離ができたんだ。だが、今でも大切な娘だよ。彼女が国の機関で活躍しているのも、私の背中を見て育ったからじゃないかな」
愛情深い父親の顔。
世間が見れば、感動すら覚えるような“完璧な父親像”。
だが篝の指先は、グラスを握る力でわずかに白くなっていた。
「……そうなんですね」
篝は静かにグラスを置く。
その声から、先ほどまでの甘えた響きが消えていた。
「私、篝様の大ファンで、彼女の過去も色々調べたんです」
篝はゆっくり顔を上げる。
「十歳の時、父親からの執拗な性暴力から逃げ出して、自力で施設へ辿り着いたって」
真っ直ぐに、久我を見据える。
「……ということは」
空気が凍った。
「その犯人って、久我さん。あなたなんだね?」
久我の顔から、一瞬で血の気が引く。
「お、お前……何者だ……!?」
篝は答えない。
頭からウィッグを剥ぎ取る。
留め具が弾け、美しい黒髪が肩へ流れ落ちた。
さらに、幼く見せていた化粧を乱暴に拭い去る。
現れたのは――女性完全保護課総司令官、天宮篝。
その人だった。
「久しぶりね、お父さん」
「か、篝……っ!?」
久我は総毛立ち、ベッドの上を這うように後退る。
その瞬間。
篝の瞳に、狂気の炎が宿った。
彼女は躊躇なく、自らのブラウスの胸元を掴み、力任せに引き裂く。
ボタンが弾け飛び、布が裂ける音が寝室へ響いた。
「――助けて!! 殺されるー!!」
悲鳴と同時に、篝は乱れた姿のまま扉を蹴り開け、廊下へ飛び出す。
「待て! 違う、待ってくれ!」
訳も分からぬまま、久我は本能的に追いかけていた。
その瞬間。
通路の陰に潜んでいた東雲真琴のカメラが、凄まじい連写音を響かせる。
フラッシュが、狼狽した久我の顔を白日の下へ晒した。
「なっ……!?」
混乱した久我の背後から、二つの影が飛び出す。
「そこまでや、クズ男」
玲が鮮やかに右腕を極める。
同時に朱音が左腕を抑え込み、久我の身体をホテルの絨毯へ叩き伏せた。
「離せ!! 卑怯だぞ篝!! こんなことして許されると思っているのか!? 私は次期市議会議員だぞ!!」
床へ押さえ付けられながら、久我は狂ったように叫ぶ。
その姿を見下ろしながら、篝はゆっくり振り返った。
乱れた服も直さない。
その口元には、朱音が今まで見たこともないほど歪んだ笑みが浮かんでいた。
「許されると思ってるのか、ですって?」
篝は静かに歩み寄る。
「私が受けた屈辱を、これから一生かけて返してあげる」
久我の目が恐怖で見開かれる。
「安心しなさい。国家出生支援センターで、あなたみたいな汚れた男の遺伝子を残させる気はない」
篝は冷たく言い放つ。
「女性たちに奉仕するだけの言葉を発しない家畜よ」
「ひっ……!」
「あと、センターから例え逃げ出してもこの記事を見て世間が代わりに断罪してくれる…。”救世主を壊した外道の存在“とね…」
久我の身体が恐怖で震え始める。
政治生命も、男としての尊厳も。
そのすべてが、一瞬で崩壊していく。
「や、やめてくれ……! 頼む……! 本当に……!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、久我は懇願する。
「篝……私は、お前の父親だろ……!」
それを見た瞬間。
篝の頬を、大粒の涙が伝った。
だがその口元は、笑っていた。
「……そう」
喉の奥から、震える声が漏れる。
「それ、それよ……」
恍惚としたように、篝は久我を見下ろした。
「その絶望した顔、ずっと見たかった……!」
涙を流しながら、篝は笑う。
「私もずっと言ってたわよね? 『やめて、お父さん。お願いだから』って」
篝の声が震える。
「でも、あなたは笑ってた」
その光景を横で見ていた朱音は、身体の震えを止められなかった。
久我の罪は、絶対に許されるものではない。
裁かれるべき悪だ。
――だけど。
目の前で他人の破滅を歓喜と共に味わう天宮篝の姿は、本当に“正義”なのだろうか。
その瞳に宿るものは、救済者の光ではない。
底なしの憎悪だった。
翌朝。
東雲真琴の記事は、日本中を駆け巡った。
天宮篝は、「実の父親という怪物から生還し、女性たちを守るために戦う悲劇の救世主」として熱狂的に称賛される。
一方で久我誠一は、弁解の余地すら与えられないまま、社会的にも政治的にも徹底的に叩き潰されていった。
そして。
女性完全保護課は――。
誰も逆らうことのできない、“絶対の正義”へと変わり始めていた。




