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久我誠一をセンターに送ったあの日から数日後。篝の顔を、最近は毎日見る。
駅前の大型ビジョン。 ニュース番組。 動画サイト。 雑誌の表紙。
柔らかな笑顔で、彼女は語る。
「不安を感じたら、一人で抱え込まないでください」
「違和感は、あなたの心からのSOSです」
「どんな小さなことでも、相談してください」
画面の下には、大きく表示される。
【女性完全保護課 24時間相談受付】
大型ビジョンの前の女性たちが立ち止まり拍手をした。
スタジオの女性タレントが涙ぐみながら言った。
「篝さんみたいな人が声を上げてくれたから、私たちは安心して生きられるんですよね」
司会者も頷く。
「日本は変わり始めています」
その隣で。 男性アナウンサーだけが、妙に硬い笑みを浮かべていた。
◇
篝の父親・久我誠一が逮捕されたニュースは、日本中を駆け巡った。
長年に渡る家庭内支配。 娘への性的加害疑惑。
ワイドショーは連日それを取り上げ、 篝を「地獄から生還した女性」として祭り上げた。
彼女の著書、『声を上げた日』は爆発的に売れた。
映画化の話まで出ているらしい。
SNSには、篝の言葉を切り抜いた動画が流れ続けていた。
『“我慢”を美徳にしてきた社会が、女性を苦しめてきたんです』
『女性が恐怖なく生きられる社会を作りたい』
コメンテーターはこぞって篝を称賛した。
“新時代の象徴”“女性解放の旗手”“沈黙を破った勇気ある女性”
そんな言葉が毎日のように踊っていた。
◇
朱音は駅のホームで、小さく息を吐いた。
向かい側のベンチをふと見つめた。
スーツ姿の男性が、隣に女子高生が座った瞬間、 慌てたように立ち上がる。
まるで、「近くにいるだけで危険」だと言われたみたいに。
女子高生たちは、その様子を見てひそひそ笑った。
「あからさま〜」
「今どき男の人も大変だね」
でも、その目にはどこか警戒が残っていた。
◇
ある喫茶店では真琴、玲と花梨がお茶をしていた。花梨はキラキラした目でチョコパフェをほおばる。
「そっちはどないなん?」
「最近、男の記者かなり肩身狭そうだよ」
喫茶店で真琴が言った。
コーヒーを混ぜるスプーンの音だけが、やけに響く。
「取材断っただけで、“女性完全保護課に相談します”って言われた奴もいる」
「……」
「もちろん、本当に酷い記者もいるよ?」
真琴は苦笑した。
「でも最近、“女ってだけで正しい”空気が強すぎる」
玲は黙って窓の外を見た。
通行人の男が、前から来た女性を避けるように歩道の端へ寄る。
その様子が、妙に自然だった。
「……怖いな」
玲が呟くと、真琴は少しだけ目を伏せた。
「皆、怖いんだと思う」
その横で、花梨がぽつりと言った。
「ママ、保育所でね」
玲が顔を上げる。
「たくやくんが、“男に生まれて可哀想”って言われてたの」
「……え」
「ねえ?どうして”かわいそう”なの?」
玲はどう答えたら良いか困惑した。
「それって、お友達のママが言ってた?」
花梨がまっすぐに見つめてこくんと頷く。
「まだ5歳の子に、どう教えたらええんやろな…」
玲が助けを求めると真琴は花梨を見つめて問いかけた。「花梨ちゃんはさ、そのお友達が男の子のことどう思う?」
花梨は澄んだ目でまっすぐに答えた。
「たくやくんは優しいお友達だから花梨は好きだよ」
真琴は安心した目で見つめて花梨の頭を撫でた。
「花梨ちゃんはいい子だな。お母さんも安心だ」
真琴は玲に視線を移してウィンクして見せた。 玲は安堵し、花梨をそっと抱きしめた。
◇
朱音は自宅に着いた途端にスマホが震えた。
『母』
表示を見た瞬間、嫌な予感がした。
「もしもし?」
返事がない。
代わりに、掠れた呼吸音だけが聞こえる。
「母さん?」
『……朱音』
泣いていた。
『啓太がね……』
胸の奥がざわつく。
『亡くなったの』
意味が分からなかった。
「……は?」
『啓太が……自殺して……』
「なんで……」
声が、自分でも驚くほど弱かった。
電話の向こうで、母が泣き崩れる。
『保育園で……ずっと言われてたのよ……』
『“男性保育士は怖い”って……“子どもを任せたくない”って……』
朱音は立ち尽くした。
『園からも、“続けるなら保護者説明会を”って……』
『あの子は…保育士の仕事、本当に好きだったのに……』
脳裏に、啓太の顔が浮かぶ。
子どもの話をする時、啓太はいつも笑っていた。
「今日さ、園児に“先生のお嫁さんになる!”って言われた」
照れ臭そうに笑って。
「男でも保育士って、結構楽しいよ」
つい最近の啓太の笑顔が歪んで見えた。 歪んでいる原因が自身の涙であることに気づくのに 時間はかからなかった。
『ごめんねぇ……』『守ってあげられなくて、ごめんねぇ……』
母の泣き声が遠い。
感情が、追いつかなかった。
◇
しばらく朱音はテーブルから立ち上がれずにいた。
テレビをつけると、今見たくない顔の一つである篝が映っていた。
「女性が安心して暮らせる社会を――」
朱音は無意識にテレビを消した。
真っ暗になった画面に、自分の顔が映る。
啓太を追い詰めたのは誰なのか。この憎しみを誰にぶつけたら良いのか
朱音は混乱した。
啓太の保育所の保護者か。
男は危険だって空気を作った篝か。
篝に憎しみを植え付けた久我なのか。
「もう…考えるのは疲れた。全員消せばいいんだ…」
朱音は、暗い部屋の中でゆっくり顔を上げた。
その目に、もう迷いはなかった。
かつて朱音が恐怖した、 あの時の篝と同じ目だった。




