11
休日の朝。
朱音は無表情のまま電車に揺られていた。
窓ガラスに映る自分の顔は、ひどく冷たい。
膝の上のバッグへそっと触れる。
中には果物ナイフが入っていた。
国家出生支援センター。
久我誠一は、今日もそこで生きている。
啓太は死んだのに。
「……全部、あいつのせいだ」
小さく呟く。
その声には、自分でも驚くほど感情がなかった。
◇
国家出生支援センター前。
高層ビルを見上げながら、朱音はバッグへ手を入れた。
その瞬間。
「朱音ちゃん!!」
背後から腕を掴まれる。
振り返ると、息を切らした真琴が立っていた。
「……真琴さん」
「休日なのに出勤なんてダメだよ!」
妙に明るい声だった。
「気分転換も仕事のうち!」
朱音は何も答えない。
真琴は一瞬だけ朱音の目を見て、表情を曇らせた。
「……ほら、乗って」
道路脇の車を指差す。
「海でも見に行こ」
◇
海は灰色だった。
冷たい風が吹き、波の音だけが静かに響いている。
二人は堤防へ腰掛けた。
沈黙。
真琴が缶コーヒーを開けながらぽつりと言う。
「……目、ヤバかったよ」
「……」
「篝二号になるとこだった」
「一緒にしないで!!」
朱音が立ち上がる。
「あんな人殺しと!!」
呼吸が乱れる。
「久我が……久我があんな化け物作らなかったら……!」
涙が溢れる。
「啓太が死ぬことなかったのに!!」
風が強く吹いた。
「皆壊れてく!!」
「男も女も、疑い合って!!」
「もうこんな世界――」
乾いた音が響いた。
真琴の平手が朱音の頬を打つ。
朱音の身体が崩れ落ちた。
頬が熱い。
呆然と見上げると、真琴は泣きそうな顔をしていた。
「篝も……かわいそうになぁ……」
朱音が固まる。
「あの子の辛い時に、こうやって抱きしめてくれる人がいたら違う未来が…」
真琴は震える声で言う。
そして、朱音を強く抱きしめた。
「朱音ちゃん」
背中を優しく撫でる。
「あんただけは一人にさせない」
その瞬間。
朱音の中で張り詰めていたものが崩れた。
「……っ、ぁ……」
声にならない。
子どもみたいに泣いた。
啓太が死んだこと。
誰も救えなかったこと。
自分まで誰かを殺そうとしていたこと。
全部溢れた。
◇
「……少し落ち着いた?」
車へ戻ると、真琴が優しく笑った。
「なら、会わせたい人がいる」
◇
一方その頃。
玲、花梨、篝はお好み焼き屋へ来ていた。
鉄板の上でソースがじゅうじゅう音を立てる。
「篝ちゃん見て!」
花梨が笑う。
「ハートみたい!」
焼けた生地を指差している。
篝は少しだけ笑った。
「ほんとね」
玲はその様子を見て安堵したように息を吐く。
「ここんとこ、篝ずっとメディアやったからなぁ」
「あなたたち親子との時間も久々ね」
篝が小さく笑う。
その顔だけ見れば、 どこにでもいる優しい女性だった。
花梨は嬉しそうにパフェを頬張る。
「ねえねえ、今日ね!」
「ん?」
「たくやくん、一人だけ違うお部屋だったの」
玲が顔を上げる。
「そうなん?」
「うん……」
花梨は少し寂しそうだった。
「皆と別で、一人だけ……」
玲が困ったように笑う。
「それはかわいそうやなぁ」
だが。
「そう。それはいい判断ね」
篝が静かに言った。
空気が止まる。
「男って危険だから」
花梨がきょとんとする。
「……え?」
「男の子は将来、女の子を傷つける側になるかもしれない」
篝は真剣だった。
「小さい頃から距離感を教えるのは大切よ」
花梨の顔から笑顔が消える。
「たくやくん……優しいよ?」
「今はね」
篝は自然に返した。
悪意はなかった。
本気で“守るため”に言っていた。
だからこそ怖かった。
「ちょっとあんた!!」
玲が思わず声を荒げる。
鉄板の音が響いた。
「こんな子どもに何教えてんねん!!」
篝が僅かに目を見開く。
「私は、花梨ちゃんを守ろうと――」
「男の子全員を怖がらせて、それが守ることなん!?」
玲の声が震える。
花梨が怯えた顔で玲へしがみついた。
篝はその様子を見つめた。
まるで、自分が拒絶された子どもみたいな顔で。
◇
真琴に連れて来られたのは、小さなマンションだった。
部屋には資料と原稿が山積みになっている。
奥から女性が現れた。
「え!?朱音が何でここに?」
その女性が驚くのも無理はなかった。
彼女は朱音の親友・美咲であった。
真琴が言う。
「この子、私の記事や本のゴーストライター」
「……え?」
「篝の記事や著書も、美咲がかなり手伝ってくれてる」
朱音は驚く。
美咲は呆れてしまう。
「もう、真琴さん何も説明せず連れてきましたね」
「へへ、ビッグサプライズでしょ?」
真琴は手を軽く合わせるが楽しそうだ。
美咲は観念して話し始めた。
「あの事件の後、やっぱり家から出るの怖くてね…家でできる仕事があればって模索してたの」
過去の美咲よりも穏やかな顔になっていた。
「文章を書いたら、“励まされました”って言ってもらえて」
少しだけ笑う。
「私でも誰かの役に立てるんだって思えた」
真琴が笑った。
「で、私が引っ張り出した」
「無理やりですけどね」
小さく笑い合う二人を見て、朱音の胸が少し温かくなる。
美咲は朱音へ向き直った。
「ありがとう、朱音」
「……え?」
「朱音がずっと誰かに寄り添える人だって、真琴さんから聞いたよ」
優しい声だった。
「そういう人がいてくれたから、私は生きて仕事ができている」
朱音は顔を覆った。
「……もう、あんだけ泣いたのに」
また涙が溢れる。
◇
しばらくして。
真琴がふと思い出したように口を開く。
「そういや、変なことがあったのさ」
「?」
「久我をセンター送りにした時、戸籍調べたんだよね」
真琴は真顔になった。
「篝と久我…親子になった記録がない!」
朱音が顔を上げる。
「……え?」
「母親との婚姻記録もない」
美咲も驚いた顔をした。
「じゃあ……篝さん、本当は……」
真琴は静かに頷く。
「“天宮”って旧姓も出てきた」
朱音の胸がざわつく。
「篝の母親と、本当の父親」
真琴が静かに言う。
「調べてみない?」
◇
帰り道。
車窓から見える夜景を、朱音はぼんやり見つめていた。
少し前まで、 全部壊してしまいたかった。
でも今は違う。
「……今からでも」
ぽつりと呟く。
「篝さん、止められるかな」
真琴が小さく笑う。
「止めるんじゃないでしょ?」
赤信号で車が止まる。
「”助ける“でしょ?」
朱音は静かに目を閉じた。
テレビの中で微笑む篝。
その奥で。
ずっと泣いている少女がいる気がした。




