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フェムユートピア-女性完全保護国家  作者: 小田原 純


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7/18

7

「篝、本当にかわいいな」


「生まれてきてくれて、本当にありがとう」


 幼い篝は、父の大きな腕の中で楽しそうに笑っていた。


 柔らかな陽射し。


 風に揺れるシャボン玉。


 隣では母が優しい眼差しを向けている。


「あなた、あんまり高くしたら危ないですって」


「大丈夫だよ。篝は強い子だからな」


「もう、あなたったら」


 三人の笑い声が、公園に溶けていく。


 温かい。


 優しい。


 胸が苦しくなるほど幸せな光景。


 ——その瞬間だった。


 ぱちん、と。


 シャボン玉が割れる音がした。


 世界が暗転する。


 冷たい部屋。


 薄暗い天井。


 酒臭い息。


「残念だったな」


 男が嗤う。


「前の父も母も、お前を捨てたんだよ」


 小さな篝の身体が震える。


「違う……」


「違わねぇよ」


 男の手が伸びる。


「お前は俺のもんだ」


「やめろ……」


 押し倒される。


 逃げられない。


 恐怖で声が出ない。


「やめろ! 私に触るな!!」


     ◇


 天宮篝は荒い息と共に目を覚ました。


 暗い執務室。


 机へ突っ伏したまま眠っていたらしい。


 胸が激しく上下している。


 額には汗。


 そして気づけば、頬を涙が伝っていた。


「……またこの夢」


 篝は震える指で顔を覆う。


「私に幸せな時間なんて……邪魔だ……」


 低く吐き捨てるように呟いた。


 その時。


「……また見たん?」


 静かな関西弁が背後から聞こえた。


 篝が顔を上げる。


 入口には、缶コーヒーを二本持った黒須玲が立っていた。


「ノックくらいしなさい」


「したで? あんた気づいてへんかったけど」


 玲は苦笑しながら一本を机へ置く。


「相変わらず寝不足やなぁ」


「仕事が多いだけよ」


「嘘つけ」


 玲は篝の目元を見つめる。


「昔からや。あんた、夢見ると無理やり仕事し始める」


 篝は答えない。


 代わりに資料へ視線を落とした。


 そこには一人の男の写真。


 整ったスーツ姿に、輝く歯を見せる笑顔。


 画面下にはテロップ。


『次期市議会議員候補 久我誠一』


 玲の表情がわずかに曇る。


「……とうとう見つけたんやな」


「見つけたんじゃない」


 篝は静かに言った。


「ずっと待ってたのよ」


「議員選挙のタイミングを?」


「ええ」


 篝の声は冷たかった。


「一番世間が注目している時に落とすのが、一番苦しいでしょう?」


 玲は何も言えなかった。


 篝は画面の男を見つめる。


「殺すだけなら簡単だった」


 静かな声。


「でも、それじゃ足りない」


 その瞳には、十数年分の憎悪が燃えていた。


     ◇


「羽村朱音、入ります!」


 朝の執務室へ朱音が駆け込んでくる。


 しかし空気の重さに思わず動きを止めた。


 篝はいつも通り微笑んでいる。


 だが、どこか違う。


 静かすぎる。


「おはよう、朱音」


「お、おはようございます!」


 朱音は慌てて敬礼する。


「今日は特別任務よ」


 篝が一枚の資料を差し出した。


「対象は市議会議員候補・久我誠一」


 写真を見た瞬間。


 朱音は小さく眉をひそめる。


 妙な違和感。


 篝がその写真を見つめる目が、あまりにも冷たい。


「女性支援を掲げて支持率を伸ばしている男よ」


「……調査対象なんですか?」


「ええ」


 篝は微笑む。


「昔から“女の子が好き”だったみたいだから」


 その言葉だけ、妙に感情が籠っていた。


     ◇


 その日の午後。


 女性完全保護課地下フロア。


 玲が大量の化粧品を机へ並べる。


「ほな始めるで〜」


「えっ?」


「潜入や潜入!」


 玲は楽しそうに笑った。


「今回、篝が直々に囮やるんや」


「総司令官自ら!?」


「止めたんやけどなぁ……」


 玲は小さくため息を吐く。


「絶対自分でやる言うて聞かへんかった」


 朱音は不安げに篝を見る。


 篝は鏡の前で静かに髪を整えていた。


 その横顔は、どこか異様だった。


 まるで獲物を前にした狩人みたいに。


     ◇


 一方その頃。


 都内某所のカフェ。


 一人の女性記者がICレコーダーを確認していた。


 東雲真琴。


 社会部所属。


 女性完全保護課を何度も特集し、“女性の救世主”として天宮篝を記事にしてきた人物だった。


 そのスマホへ、一件の匿名メッセージが届く。


『今夜21時。ホテル・クラウン。特大スクープになる』


 送り主不明。


 だが最後に一文だけ添えられていた。


『女を食い物にしてきた男が堕ちる夜です』


 東雲の目が細まる。


「……ったく、あの人記者使いが荒いなあ」


 東雲は苦笑しながらスマホを閉じた。


 だが同時に、胸の奥がざわつく。


 天宮篝が自ら動く時。


 それはいつも、“誰かの人生が終わる夜”だった。

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