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先ほどの母親は警備員2人と共に女性完全保護課を後にした。
朱音はその姿をしばらく目で追っていた。
「羽村さん、大丈夫?」
朱音は話しかけられてハッと我に返った。
「申し訳ございません。うまく言えないですが、圧倒されちゃって…」
先ほどの男の絶叫が、まだ耳に残っている。
篝はその朱音の様子を察したのか、優しく背に手を置いた。
「初日に大変だったわね。少しずつ、慣れていくといいからね」
まるで母のような温かい手だった。
先ほどの男と母親への対応とまるで別人であった。
「……あの男性は、本当に国家出生支援センターへ?」
「ええ」
篝は淡々と頷く。
「性犯罪加害者には、社会へ償う義務があるわ」
償う。
その言葉に、なぜか小さな違和感が引っかかった。
だが朱音はそれを飲み込む。
自分はまだ新人だ。
何も知らない。
そう言い聞かせようとした時だった。
「せっかくだから見ていく?」
篝が微笑む。
「国家出生支援センターを」
◇
女性完全保護課本部の地下。
厳重なセキュリティゲートを抜けた先に、その施設はあった。
朱音は思わず目を瞬かせる。
「……病院?」
そこは想像していたような薄暗い監獄ではなかった。
白い壁。
清潔な床。
柔らかな照明。
廊下には観葉植物まで置かれている。
壁面モニターには穏やかな女性のナレーションが流れていた。
『あなたの新しい家族を、国が支援します』
篝が歩きながら説明する。
「ここを利用する女性は年々増えているわ。不妊治療の一環として勧められるケースも多いの」
「不妊治療、ですか?」
「夫が検査に非協力的だったり、DVや性暴力被害のトラウマで男性との接触が難しい女性もいるから」
篝の口調は、あくまで穏やかだった。
「ここは多くの女性を救っているのよ」
すれ違った女性スタッフたちが、篝へ敬礼する。
そこまでは、何の違和感もない普通の、清潔な病院だった。
——だが、さらに奥の、重厚な鉄の扉を開けて階段を降りた瞬間、空気が一変した。
ひんやりとしたコンクリートの冷気と、かすかな消毒液の匂い。
薄暗い一本道の廊下が、奥へ奥へと伸びている。
朱音の胸の内で、理由のない恐怖が急速に膨らんでいった。
「ここよ」
案内された部屋の前で、朱音は足を止めた。
ガラス窓の向こう。
数人の男性が無言で並ばされていた。
全員、首元に番号付きのタグを付けている。
名前ではなく、番号。
その光景に、朱音の背筋がひやりと冷えた。
「彼らは提供者。食事や健康管理は徹底されているわ」
篝は資料をめくる。
「高タンパク食、定期検診、睡眠管理。優秀な競走馬と同じ。体調管理は重要なの」
「……馬?」
「ええ。良質な種を維持するためには体調管理が重要だから」
あまりに自然な口調だった。
まるで本当に家畜の説明をするみたいに。
「次の部屋を見ましょうか」
案内された先で、朱音は息を呑んだ。
先ほどの男だった。
ベッドへ拘束され、力なく天井を見つめている。
腰から下は衝立で隠されていた。
その向こう側に、数人の女性たち。
白衣の医師たちが淡々と指示を飛ばしている。
「番号E-127、本日三件目です」
「ストレス値上昇。鎮静剤を追加してください」
男が涙を流しながら首を振る。
「やめてくれ……っ」
掠れた声。
「頼む……もう……セックスなんてしたくねぇよ……」
朱音の胃がきりきりと痛み始める。
だが周囲の職員たちは誰も反応しない。
まるで機械音でも聞いているみたいに。
「不能になる個体もいるの」
篝が静かに言った。
「そういう時は看守が矯正するわ」
篝がそう言うや否や、鈍い音が響いた。
誰かが殴られる音。
朱音の肩が震える。
「……これが、償いなんですか」
気づけば口から漏れていた。
篝は不思議そうな表情で朱音を見る。
「女性の安全を守るのは大切です。でも……これは、やりすぎなんじゃ……」
言葉が続かない。
篝はしばらく黙っていた。
やがて静かに、ガラス越しの男たちを見つめる。
「朱音は優しいのね」
その声は責めるでもなく、どこか寂しげだった。
「でも、経験していないから仕方ないわ」
「……え?」
その後の篝の言葉は朱音の心を抉った。
「私は幼い頃から父に性的虐待を受けていた」
朱音の呼吸が止まる。
篝は淡々と続けた。
「逃げ場所なんてなかった。助けも来なかった」
静かな声だった。
怒鳴りも泣きもしない。
だからこそ重い。
「ねえ、朱音」
篝が初めて彼女を真っ直ぐ見る。
「幼くて、力もなくて、毎日身体を壊され続けていた私は……どうすれば良かったと思う?」
朱音は何も言えなかった。
それでも胸の奥の違和感だけは消えなかった。
着任初日の長い一日が終わった帰り道。
通りすがりの小さな女の子の声が聞こえた。
「ママ、男の人ってみんな怖いの?」
若い母親が、優しく娘の頭を撫でる。
「大丈夫よ。この国には天宮司令官と、女性完全保護課がいるから。悪い男の人は、みんなお留守にしてくれるの」
朱音はその会話を、すがるような思いで自分の胸に落とし込んだ。
これくらい、しなきゃいけないんだ。
親友の美咲のような被害者をこれ以上出さないためにも。
天宮篝は、この世界の救世主。
自分たちのヒーローなのだ。
そう、自分に言い聞かせた。
——胸の奥の、消えない小さな違和感から、必死に目を逸らしながら。




