第4話「前触れ」
今から約二ヶ月前、四月に入ったばかりのフィーヴェのインベクル王国。
ディファートを受け入れる体制を作るフィトラグスに新たな試練が訪れた。
「それじゃあ、気を付けるのよ」
彼の母であり女王のクイームドが、フィトラグスの歳の離れた弟・ノティザへ目の高さを合わせて声を掛けていた。
「うん」
ノティザが静かに、子供らしい返事をすると……。
「“はい”だろう! 相手が母でも敬語を使わねばならん!!」
フィトラグスらの父であり国王のダトリンドが、ノティザを叱りつけた。
国王は礼儀作法にたいへん厳しく、今年七つになる息子に対しても怒号を上げる。
「今日ぐらい、いいじゃありませんか。ノティザの門出ですよ。しばらく会えなくなるのですから、許してあげましょう」
クイームドが水を注すと、ダトリンドは納得したのか何も言わなくなった。
インベクル王国には昔から、七歳になる王家の者を修行に行かせる習わしがあった。
フィトラグスの弟・ノティザは今日から住んでいた城を発ち、修行のための島へ一年間、身を置く。
これは立派な王子または姫になるための修業であり、一日でも家族に会うことは許されなかった。
弟を溺愛するフィトラグスは、今から寂しくて仕方が無かった。
「ノッティー。辛くなったら、いつでも帰って来ていいからな」
思わず、そんな言葉が口からついて出た。
「フィトラグス、甘やかしてはならん! これはノティザが一人前になるための大事な修行だ! お前も七つの時に出たのだ! 忘れたか?!」
「……覚えております」
父に声を上げられ、思わず委縮するフィトラグス。
「寂しいのはわかりますが、インベクルの王家として生まれた者は必ず通る道。私も、幼いあなたを見送る時、心苦しかったことを覚えています」
クイームドの後でノティザが元気よく言った。
「おにいちゃん! ぼく、りっぱなおーじさまになって、かえってくるよ! だから、しんぱいしないでね!」
本来は先に修行を終えたフィトラグスが励ますべきだが、旅立つノティザから逆に元気付けられた。
最後まで無邪気に笑う幼い弟を、フィトラグスは涙を堪え、笑顔で送り出した。
弟がいなくなってから、体感時間がとても長く感じられた。
まだ半日しか経っていないのに、もう一ヶ月も過ぎた感じがしたのだ。
いなくなった弟をたびたび思い出しては、仕事が手につかなくなっていた。
自身が十六の時に生まれた歳の離れた弟。
年下の子供はたくさん見て来たが、家族の中では初めてだった。
当時の彼も大人に近い年齢だったので、生まれて来た弟をたいそう可愛がった。
ノティザが大きくなると二人でしゃべったり、一緒に遊んだりもした。
魔王ディンフルに国を奪われるまでは、毎日楽しく過ごしていた。
「ダメだ! 一番つらいのは家族と離れたノッティーだ。俺が落ち込んでどうする? ノッティーも今日から頑張るんだ。俺も頑張らないと!」
我に返ったフィトラグスは自ら奮起し、仕事で使う書類に再び目を通し始めた。
◇
時は戻って初夏、リアリティアのとある弁当屋。
ユアはミラーレでの経験を活かし、順調に仕事をこなしていた。
店員や店長ともすっかり仲良しで、一部の店員とはイマストの話で盛り上がった。
しかし最近、気になることが出て来た。
「ユアちゃん、こんにちは!」
二十代ほどの若いカップルが愛想よく挨拶した。
二人は半月ほど前から毎日来てくれるが、弁当ではなく働くユアを見続け、時々女性の方が彼女を見ながらスマホに何かを打つ様子が見られた。
商品は来る度に買ってくれるが、長時間も居座るため店側はモヤモヤしていた。
おそらく、ユアが強制的に映された動画の影響だろう。
今年一月から一ヶ月ほど、ユアはリマネスに無理矢理撮影された映像を動画として上げられていた。
社長令嬢(当時)が上げるのが珍しかったのと、リマネスのプロデュース力もあって動画は瞬く間にバズっていった。
このことから、ユアは不本意に人々から知られるようになったのだ。
店長も店員も、寮の皆も動画のことは知っているが、最後に行った生配信でリマネスが悪者だとわかると、ユアに同情していた。
しかし何故関係しているのかわかったかと言うと、そのカップルが動画のことを口にするからだった。
特に店に来始めた時は、それについて何度も聞かれた。
ユアにとっては黒歴史であり、安易に答えると業務にも支障が出ると思い、断って来た。
質問をされなくなってからは、「動画の時より生き生きしてるね」という言葉を掛けられた。
相手は客なので感情的に臨むわけにはいかず、愛想笑いするしかなかった。
このカップルは店員たちからも既に知られていた。
今のところ大きな問題はなく商品も買ってくれるのだが、ユアの精神は疲弊している上、カップルが長居することで他の客も弁当が見られないなど、明らかに迷惑が掛かっていた。
今日も彼らはユアが働く姿をじっくり観察すると、一番安い惣菜だけ買って帰って行った。
さすがにしつこいので、店長に今後のことを相談した。
「ユアちゃんは愛嬌あるから店先に立って欲しかったけど、当分は厨房メインでやってもらおうかな」
「ありがとうございます。でも、辞めなくて大丈夫ですか? 私がいることで、ご迷惑ではないでしょうか?」
ユアは相談する前、「辞めて欲しい」と言われると思い、身構えていた。
担当が変更になるだけは予想外だったので、つい聞いてしまった。
「辞めるなんて言わないでよ! ユアちゃんはうちの店にいてもらいたいんだよ! 大丈夫。僕と他の店員で守って行くから、安心して働いてよ!」
これも予想外の反応だった。
聞いていた他の店員もこちらを見て、にっこりと笑った。ここにいる全員が味方だと確信し、ユアは心から安堵するのであった。
仕事を終え、ユアが帰宅しようとすると厨房の奥から話し声が聞こえて来た。
「店長、本気ですか?」
五十代ほどのベテランのおばさん店員が、店長へ疑惑の声を向けていた。
「しょうがないじゃないか。ユアちゃん、他の新人さんよりも慣れてるんだから。出来れば、うちで働き続けてもらいたいよ」
店長も店員も覗き見られていることに気付かず、話し続けた。
店長は本当にユアを働かせたく思っていた。先ほど本人へ言った言葉はウソでは無かった。
「私もユアちゃんには働いてもらいたいわ。でも、このまま雇っているとあのカップル、これからも来続けますよ。現にあのカップルが怖くて、新しく入った子たちが辞めたんですから」
ベテラン店員の言葉にユアは衝撃を受けた。
確かにカップルが来てから、入った新人が次々と辞めていた。
ユアには「自己都合」と告げられて来たが、あの二人が原因だとは思わなかった。
ユアは店長たちへ顔を出さず、物音を立てないように店を出た。
◇
「警察へ行った方がいいよ!」
女子寮「アクセプト寮」へ戻ったユアはこのことを友人たちに相談した。
ここへ入ってから空想好きで意気投合し、すぐに数人の友達が出来た。
おっとりしているがユアに負けないぐらい空想が好きなタハナ、小さい頃から空想のヒーローに憧れている気が強いラッカ、同じく空想が好きで将来はその関係の仕事に就こうと考えているぽっちゃり体型のタイシ。
ユアの相談を受けて、警察行きを勧めたのはラッカだった。
「普通に警察案件でしょ?! 言えばすぐに助けてもらえるよ!」
ラッカに続いて、タハナとタイシも言った。
「私も行った方がいいと思う。女の人はユアの様子を見ながら、スマホに打ってるんだよね?」
「どこかに情報提供してるかもしれない。早い方が良いよ」
心配してくれる友人たちへユアは心から感謝した。
「みんな、本当にありがとう。本当にいい友人を持ったよ!」
「大袈裟だな!」友人三人が笑う。
「友人と言えば、ユアってグロウス学園から来たよね? その時の友達って、今はどうしてるの?」
突然タイシが話を変え、ユアの友人について聞き始めた。
他の二人も興味津々だった。
「さ、さあ……? 上手くやってるんじゃない?」
たどたどしく答えるユア。その目は何故か泳いでいた。
「おっつー!」
ユアたちの元に、金髪に明るい茶髪に目立ったネイル等、派手な見た目をした女性が三人やって来た。
彼女たちはいわゆるギャルで、空想で盛り上がるユアたちとは真逆の存在だった。
声を掛けたのは、グループのリーダー・ソウカ。
隣に立っているのは彼女の側近的な存在・ヒース。
後ろでにやけているのはお調子者のズノ。
「相変わらず盛り上がってるね、空想組! 今日はどんな話してるの~?」
ソウカが明るく尋ねるも、ユアたちは喜べなかった。
空想組は学生時代、ギャルの見た目をした生徒から嫌がらせを受けて来た。そのせいもあって、全員ギャルには苦手意識があったのた。
唯一ソウカは悪意なく接して来るが、あとの二人は違った。
「話し掛けてるのに無視? 気分悪。だから空想組は嫌いなんだよ!」
ずっと仏頂面のヒースが吐き捨てるように言った。
続けてズノも「暗いもんね~!」と笑いながら言った。
すると空想組で唯一気が強いラッカが立ち上がり、ヒースへ盾突いた。
「嫌いでけっこう! 私たちだって、あんたたちギャルなんてお断りよ!」
ヒースはさらに苛つき、負けじと言い返した。
「あんたらがいると寮ん中、暗くなるんだよ! 何なの? 誰かが描いた絵で盛り上がったり騒いだりして! 実物しない奴を推すなんて暗い奴のすることじゃん! キモいんだよ!」
「あんたらのケバいメイクの方がキモいわよ!」
「何だと?!」
この春からアクセプト寮ではラッカとヒースの論争は日常茶飯事だった。
初めこそ言い合いが始まると他の利用者から注目を浴びていたが、一ヶ月も経つと「またか……」と逃げるように席を立ったり、見ないふりをする者が出て来た。
そこへ、寮母が食堂にやって来た。
「ラッカさん、ヒースさん、そのぐらいにしましょう」
彼女も慣れてきたのか、今では冷静に止めるようになっていた。
寮母に言われ、二人はそれぞれの席に着いた。
「食事の前に、今日から新しい方が入ることになりました!」
全員が着席するのを見届けてから寮母は大きな声で発表した。
アクセプト寮はこの春、ユアを含む多数の入寮者を受け入れたが、初夏になっても入寮希望者は絶えなかった。
「入って来て」の合図で食堂の入口から、こげ茶色のショートヘアに長身の女性が入って来た。
ユアより大人びて見えた。
「今日から入寮するアヨさんです」
寮母の紹介を聞いたユアは何故か硬直し、来たばかりのアヨを凝視し始めた。