第37話「葛藤」
エスクの父親の件があり、学校は緊急会議のため正午で臨時休校となった。
「何故、母子が暴力を振るわれているのを承知で、父親に居場所を教えたのですか?!」
ロアリィが職員室で教頭に怒鳴られていた。
隣大陸の姫で王子の婚約者であることを忘れ、職員らが怒り心頭になるほどのミスだったのだ。この緊急会議にはフィトラグスも参加した。
「申し訳ありません。あのお父様なら話し合いが出来ると思ったので……」
彼女がそう答えると、職員室が余計に不穏な空気に包まれた。
今の発言はフィトラグスも理解しがたかった。
「私が行った時、父親は話が通じる者には見えませんでした。ロアリィ様はどう見て、話し合えると判断されたのですか?」
彼に聞かれ、ロアリィは毅然として答えた。
「話し合いは大切だと思ったのです。この間、フィトラグス様はおっしゃったではありませんか。“独断ではなく、一度ティーチェル先生に相談してから決めた方が良い”と。わたくし、あれからティーチェル先生に相談して動き出したら色々と上手くいくようになったので、ご家族も話し合われた方がいいと思ったのです」
「それで、会わせたのですか……?」
フィトラグスとしては家族間ではなく、父親が学校に来た時点で職員らに相談してほしいと思っていた。
話を聞いていた教頭が思いきり机を叩いた。
「そんな綺麗事で収まる問題じゃないんです!! その程度で何とかなるなら、この世からとっくにいじめや差別など無くなっております!」
再び怒鳴られたロアリィは「申し訳ありませんでした!」と深く頭を下げた。
隣で聞いていたフィトラグスも一緒に頭を下げた。今回の行為は自分の発言にも責任があると感じたからだ。
その時、職員室のドアが勢いよく開くと、十人ほどの保護者が入って来た。
「お取込み中、失礼いたします! エスク君の件、聞きましたよ!」
保護者たちは職員の許可も得ず、ドカドカと部屋になだれ込んで来た。
「暴力を振るう父親に母子の居場所を教えるなんて、いくらお姫様でもひど過ぎませんか?!」
「他には、みんなが見ている前で児童を叱ったそうですね?!」
「それから、悪口をわざわざ本人たちに伝えたんですって?!」
「今日も、フィトラグス様とともに戦った方々を泥棒扱いされたそうですね?!」
「作文を他の子に間違えて返したり、テストの答えを子供たちに配ったり!」
「実験で爆発も起こしたそうですね?!」
「そんな方があと二日も学校にいるなんて、我々としては心配極まりないのですよ!!」
男女関係なく保護者たちが口々にロアリィを非難し始めた。
突然の事態に、教頭と他の職員が慌てて諫める。
「み、皆さん、ちょっと落ち着いて下さい!」
「ロアリィ先生には今厳しく言い聞かせているところです。残り二日、このようなことがないように……」
「もし、死者が出たらどうするおつもりですか?!」
保護者の一人が遮った。特にエスクの件は、助けが遅れていれば命取りになっていたかもしれない。
あと二日だけでも皆、保護者としては心配だったのだ。
「フィトラグス様、本気でこの方と結婚なさるおつもりですか?」
次はフィトラグスへ意見が求められた。
いきなり話を振られ、驚きの声を小さく上げるしか出来なかった。
「まだ来たばかりでも、子を持つ我々は不安でいっぱいです!」
「いくら我が国と同盟を結んでいても、相手を選ぶ権利はあると思います」
「今一度、国王様とご相談なさってはいかがでしょう?」
「もし結ばれるとなれば、私はこの国から出て行きます!」
彼が返事出来ずにいると、保護者たちはこの後も口々に言い続けた。
結局この会議の後、フィトラグスとロアリィは帰されることになった。
◇
ロアリィが引き起こした問題はすぐさま、彼女の国のラヨール国王へも伝えられた。
報告を受けた彼が早速、魔法を使った通信で連絡をして来た。
「申し訳ありませんでした!」
会話が始まる早々、彼は頭を深く下げて謝罪して来た。
ダトリンドは驚いた目で相手を見た。自国の民が、預かっている他国の姫を責め立てたことで自身から謝ろうと思っており、同盟の解除も覚悟していたところだった。それなのに、逆にあちらから謝罪があったからだ。
ラヨールは頭を上げると、ロアリィについて話し始めた。
「ロアリィは昔からそそっかしく、幼少期からどんなに躾けても直らなかったのです。今回も”教師になりたい”と本気で言っていましたが性格上難しいと思い、正式ではなく一週間だけ教育実習をさせたのです。それでも、問題を起こしてしまいました。こうなったのはすべて、判断が甘かったわたくしの責任です。本当に、申し訳ありませんでした……!」
ラヨールは再び頭を下げた。
「ラヨール様、頭をお上げになって下さい」ダトリンドの言葉で、相手はゆっくりと顔を上げた。
「こちらこそ、大切な姫様を国民たちで傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。父親に見つかった子供も母親も、フィトラグスのおかげで大事には至りませんでした。ですが、保護者の方々からはすっかり信用を無くしてしまいました……」
「子を預ける大人たちが怒るのも無理はありません。もしや、フィトラグス様の結婚に関しても言われたのでは?」
ダトリンドは「はぁ……」と曖昧に返事をした。
フィトラグスからは結婚反対の声もあったことをすでに聞いていたが、ラヨールに伝えるのは心苦しかった。
「婚約を破棄されても、同盟はそのままでもよろしいでしょうか」
察した相手から思わぬ言葉が出て、ダトリンドは再び驚きの目で相手を見た。
インベクルにとっても子供は宝で、その宝を傷つけたとなると国民から非難されるのは仕方がないことだとラヨールは思っていた。いずれ結婚の話へ絡むことも。
それでも彼はインベクルとの同盟は変えないでいてくれる。ダトリンドは心から彼の優しさに感謝するのであった。
◇
フィトラグスは自室でロケットペンダントを開けて、亡き婚約者・セスフィアに想いを馳せていた。
二人は物心がついた頃にはすでに一緒で、意気投合し会う度に仲良く遊んだ。
セスフィアはフィトラグスより一個年下だがしっかりしており、いつも姉のように彼を導いていた。
ところが彼女は難病に掛かってしまい、余命宣告までされた。
絶望するフィトラグスに追い打ちを掛けるように、父から「婚約破棄」が提案された。
フィトラグスは「最期までセスフィアの婚約者でいたいんだ!」と抗議したが、ダトリンドは「死に行く者と結ばれても、お前のためにはならん!」とつっぱねた。
婚約破棄から数ヶ月後、セスフィアは短い生涯を終えた。
フィトラグスが十五の時だった。
子供の頃からわかち合って来た者を亡くしただけでなく、父に無断で婚約を破棄されたことが気に入らず、フィトラグスは荒れるようになった。
かつて、菓子界という異世界を旅した時に「両親や従者たちに悪態をついた」とユアたちへ話していたことがあったが、セスフィアの死も原因の一つとなっていた。
若くして悲しい別れを経験したフィトラグス。
しかし数年後、新たな出会いもあった。弟・ノティザの誕生だった。
幼い彼を見て、自身がいかに大切にされて来たかを知ることが出来、弟との触れ合いでセスフィアがいない悲しみを和らげることが出来た。
もちろん、完全に和らいだわけではない。
ノティザと過ごしていても、彼女を思い出さない日は無かった。
しかし、そのノティザは修行のためにいなくなり、セスフィアに会いたい気持ちが再び募っていた。
顔がよく似たロアリィが現れた今だから余計に……。
物思いにふけていると、ダトリンドが部屋をノックして入って来た。
フィトラグスは急いでペンダントを隠すが、父にはバレていた。
「セスフィア様のこと、本当に申し訳なかった」
突然謝罪を受け、フィトラグスは息をのんだ。
「ずっと気掛かりだったのだ。あの後、お前が荒れ出したことと言い、ロアリィ様と顔がとても似ていることと言い、お前があの方に会いたがっているのではないかと。あの時はセスフィア様側から申し出があったのだ。“婚約を破棄して欲しい”と……」
「セスフィアから?!」
衝撃の事実を知り、フィトラグスは驚愕した。
「国王様の話では彼女も余命宣告を受けたその場で、自身の死を悟られたと同時にお前の将来を案じたそうだ。だから“自分のことは忘れて、フィトラグスには新しい幸せを見つけて欲しい”とおっしゃっていたそうだ」
ダトリンドが言い終える前から、フィトラグスの目から涙が溢れていた。
「どこまで、俺の心配してたんだよ。自分の方が危なかったのによ……」
ダトリンドは涙を流す息子へ自身のハンカチを差し出しながら言った。
「報告が今になって申し訳ない。結婚のことはお前が決めなさい。もう大人なのだから、すべて委ねる。婚約を破棄しても同盟は解除されないから、安心しなさい」
いつもは厳しい父だが、今日は優しい口調で言った。
そしてフィトラグスの返事を待たずに、静かに部屋を出て行くのであった。




