第32話「失態」
翌日、インベクル初等学校へ向かう馬車の中。
昨日ドジをして生徒を泣かせたり怒らせたため、ロアリィは今から緊張していた。隣に座るフィトラグスが彼女を元気づけた。
「ご心配なさらないで下さい。昨日は初日と言うこともあり、緊張で頭が真っ白になったのでしょう」
昨日ロアリィは作文を間違えて他の子に返却、テスト用紙の答えを複写してテストに臨む生徒に配るなどのミスをしていた。
本人もそれを気にしており、今日はミスなく頑張ろうと心掛けていた。
◇
学校に着き、職員室へ向かって歩いていると……。
「おーじさま~!」
「おはよう、おーじ様!」数人の子供たちがフィトラグスへ群がって来た。
「おはよう、みんな。朝から元気だな!」
挨拶を返したフィトラグスは子供たちに屈んで目線を合わせ、彼らの対応をし始めた。
それをロアリィは微笑ましく見ていた。
話の最中、フィトラグスたちの向こう側に見覚えのある顔が映った。昨日の放課後、長財布を盗んだ疑惑を掛けられたビティムだった。
先日のことを引きずっているのか、床に視線を落としながら歩いていた。明らかに元気がなかった。
ロアリィはフィトラグスたちの前を通り過ぎ、登校する生徒の間を縫いながらビティムに声を掛けた。
「おはようございます、ビティムさん」
ビティムはロアリィを見るなり、体を震わせ「お、おはようございます……」と小さく言った。
「声が小さい! 朝はすべての始まり! 元気よく声を出しましょう!」
ロアリィは大声を出し、ビティムへ注意をした。彼女の声量に驚き、登校して来る生徒が次々と足を止めて二人を見た。
視線を感じたビティムは恥ずかしくなった。
「それより昨日の件、反省しましたか?」
突然聞かれたビティムは、おそるおそる相手の顔を見た。
生徒から返事が無いので「忘れたのだろう」と思ったロアリィはつい……。
「ティーチェル先生の財布を盗んだことですよ!」
通り過ぎようと思っていた生徒たちが足を止めた。
その声量と内容で立ち止まった生徒がいるにもかかわらず、ロアリィは言い続けた。
「もうあんなことをしてはいけませんよ! 泥棒は正義に背いていますからね!」
ビティムはロアリィの発言と周囲の視線に耐えられず、泣きながら学校を出て行ってしまった。
「どうされたのですか?!」
騒ぎに気付き、フィトラグスが子供との話を中断してやって来た。
「ビティムさん、昨日ティーチェル先生の財布を盗んだのですよ。それで戒めのために叱っておりました」
ロアリィは自信たっぷりに発言した。
それを聞いたフィトラグスはため息をついてから言い始めた。
「ここで言うことないのでは……? 登校時間で色んな生徒が往来しておりますし、みんなの前で言うと彼女が可哀想ですよ」
「でも、朝一番に伝えた方がいいと思いまして……」
「ビティムは悪くないよ!」
二人の背後から男児の声がした。
ロアリィが受け持つクラスのエスクという名の少年が立っていた。
「おはようございます、エスク君」
「あの子が悪くないって、どういうことだ?」
どんな時でも挨拶は欠かさないロアリィとは違い、フィトラグスは真っ先に彼の発言が気になった。
エスクは説明してくれた。
昨日の放課後、ビティムがリーダー格の女子四人に囲まれ、「ティーチェルの財布を持っててくれ」と頼まれたこと、居残りが終わったらその財布でみんなで遊びに行くことを。そして……。
「ビティムは“預かりたくない”って断ったんだ。悪いことをしたくなかったと思うし、ティーチェル先生が好きだから。逆に、誘って来た女子らはティーチェル先生が嫌いなんだ。だから財布を盗んで、金を使おうとしたんだよ!」
「話してくれてありがとう。学校にあんな考えの子たちがいるとは……」
フィトラグスは王子として卒業生として、在校生に落胆した。
彼としては、祖国にそんな生徒はいないと信じたかったのだ。
次にエスクはロアリィへ向いた。
「ロアリィ先生。昨日ビティムの話、聞いてあげた? あいつ、気が弱いからちょっと脅されただけでビビってしまうんだ」
「聞けていませんでした……」
ロアリィはエスクからの指摘で大切なことを思い出し、悔やみながら答えた。
「ちゃんと聞いてあげて。先生がみんなの前で叱るとあいつ、もっと追い詰められちゃうんだよ。そうでなくても、フィトラグス様の婚約者ってだけで目立ってるんだから。気を付けてね」
エスクはそこまで言うと、去って行った。
ロアリィは「またやってしまいました……」と自身を責めるのであった。
「五年ぐらいになると、子供も悪知恵がついて来ます」さりげなく彼女を励ますフィトラグス。
だが内心では「セスフィアだったら、こういう時どうしていただろう?」という考えが過ぎった。
◇
フィトラグスが城へ戻り、一限目が終わった後の休み時間のことだった。
廊下でエスクが他のクラスの男児二人に行く手を塞がれていた。
「お前、母ちゃんと一緒に逃げて来ただろ?」
「お前の父ちゃん、犯罪者だもんな!」
「関係ないだろ! そこどけよ!」
エスクは負けじと言い返すが、男児二人は道を譲ろうとしなかった。
「今、父ちゃん何してんだよ?」
「政府に捕まってるんじゃないか? お前と母ちゃんに暴力振るったもんな!」
二人はけらけらと笑い飛ばした。
エスクが思わず拳を握りそうになったが、すぐに思い直してやめた。目の前の二人を殴ると「やっぱり、父ちゃんと一緒だな!」と言われることが目に見えていたからだ。
「何をしているのですか?」
三人の前をロアリィが通り掛かると、今までふざけていた二人は突然背筋を伸ばしながら顔を強張らせた。
王子・フィトラグスの婚約者であろう者が教育実習に来ているのだ。クラスの者は昨日の一日で少しだけ慣れたが、他のクラスの者は初対面だった。
男児二人はエスクをからかっている時の元気な様子から一変し、うつむいた。
それをいいことに、エスクはロアリィに二人の悪行を彼女に話した。
「これはいじめですね。担任の先生にはわたくしから報告いたします。お昼休み、反省文を書いていただきます。エスク君にも謝って下さい」
ロアリィが毅然とした態度で言うと、男児二人は気落ちしながら「ごめんなさい」と謝った。
「いつも、あのようにいじめられていたのですか?」
男児二人が去った後、エスクと共に教室へ向かいながらロアリィが尋ねた。
「いじめって言うか、からかわれてたんだよ。俺と母さん、去年インベクルに越して来たんだ。理由は父さんだ。いつも俺や母さんに暴力振るって来たから……」
エスクと母は父親から逃げるため、密かにインベクルへやって来た。
ずっと秘密にするつもりだったが、当時の担任が家庭の事情を話してしまったことから学校中に知れ渡ってしまい、からかわれて来たのだ。
「ひどいですね。本来なら守られるべきなのに……。辛かったでしょう?」
ロアリィが寄り添おうとすると、エスクは静かに怒りを見せ始めた。
「辛いなんてもんじゃないよ。俺も母さんも何も悪いことしてないのに、父さんから暴力振るわれて、学校に来たら笑われて……!」
彼の目から涙が溢れ始めた。
「そもそも、おかしいよ! インベクルは”正義の国”だって言うけど、全然違うじゃないか! 俺らみたいな家族が守られなきゃいけないんじゃないの? 何であんな意地悪な奴らが許されてんだよ?!」
「ゆ、許しませんよ。あの子たちにはちゃんと謝ってもらったし、反省文も書かせますから……」
「あいつらは自分たちが幸せだから、俺の気持ちなんてわからないんだ! あんな奴ら、この国にいて欲しくないよ!」
「もうそんな言い方はやめましょう? もうあなたがひどい目に遭わないように、わたくしも頑張りますから……」
泣きながら愚痴を言うエスクに圧倒されながらも、ロアリィは彼をなだめながら教室へ戻って行った。
◇
次の休み時間、ロアリィが職員室に戻るとティーチェルから呼び出しがあった。
「先ほど、ビティムさんのお母様から連絡がありました。昨日の財布の件、彼女はそそのかされたらしいです」
「は、はい……。エスク君が教えて下さりました」
「私も知らずに彼女を怒ってしまいましたが、ロアリィ先生も気を付けて下さい。気が弱い子は仕返しが怖いために黙ってしまい、泣き寝入りすることがあります。叱る前にじっくり、話を聞かないと」
「すいませんでした……」
◇
次の時間は理科の実験を行った。
ロアリィはミスの連続で頭がいっぱいになり、薬剤を間違えて入れてしまい、小さな爆発を起こした。
幸いケガ人はいなかったが火が出たため、授業は中止になった。
昨日から失敗続きのロアリィ。
まだ二日目だが「次こそ絶対、失敗しないように……」と改めて強く誓うのであった。




