奇人VS変人(4)
「ちょっと良く分からないんだけど、私に何をしろって言うの?」
当然の質問をする。満島は先生の胸から振り切るように視線を外し、腕を組んだ。
「警察に事情を聞かれたとき僕の代理人として間に入って欲しい。警察なんていう下品な国家権力と口を聞きたくないし留置場はとんでもなく不潔だと聞く。僕は黴菌がこの世で一番嫌いなんだ」
満島は見立て通り、極度の潔癖症のようであった。ソファーにも浅く座り直し、接合面を極力少なくしている。
「刑法第二百六十条「他人の建造物又は艦船を損壊した者は、五年以下の懲役に処する。」あなたの落書きが建造物損壊罪に該当するとして、逃亡のおそれも罪証隠滅のおそれもほぼ無いあなたが逮捕されるとは考えにくいわね。留置場に入れられるなんて、妄想の類いよ。だいたい所有者が何も言わなければ、警察も動かないと思うわよ。落書きは「損壊」に当たる場合もあるけど、建物の美観を損ねたと認定できるか微妙だし。ちなみに簡単に取り外し可能な雨戸は建造物の一部に該当しないって判例もある。その場合は器物損壊罪になるんだけど、器物損壊罪は親告罪だし、捕まらないんじゃない? だとしたら私に、できることはないわね」
「今のところはな。でもいつ警察の捜査の手が僕に及ぶか分からない。僕が呼んだらすぐに駆けつけて欲しい。父の知り合いの情報では、そんなことができるのは、この事務所の管野恭香という女弁護士だけだと聞いた」
「まあ、すぐ駆けつけられる弁護士はそうそういませんからね。弁護士は忙しいんで。その点管野先生は概ねスケジュールが空いているから、大丈夫ですね」
私が口を挟むと、先生がアイラインのきつい目で、殺気のこもった視線を向けてきた。事務所の暇をネタにされるのが、先生は死ぬほど嫌いだ。
「私を使用人みたいに使おうなんて、良い度胸じゃないの」
ご機嫌を損ねた先生は、重いバストの下で腕を組み、依頼人に怒りの矛先を向けた。満島は動じず、手のひらをパーに開いて先生に示す。
「一回呼び出しに応じるたびに、五十万出そう」
私は目を輝かせた。
「やります」
「ちょっと、勝手に決めないでよ」
先生が慌てて止める。私は「まあ、まあ」と、先生をなだめた。
「先生。一回顔を出すだけで五十万円なんて、売れっ子キャバ嬢に勝ってますよ。ナンバーワンと言っても過言ではありません」
私の言葉に、先生は黙った。それから渋々と承諾する。マウンティングする生き物としては、ここで引き下がれないようだった。私もこの数年で、先生の操縦法が身についてきたようだ。
細々とした事情聴取と委任契約の説明を終えて満島がソファーを立ったとき、思いつきみたいな調子で先生が聞いた。
「ところで、なんで突然バンクシーの真似事なんて始めたのかしら?」
満島が、落書きをした理由。それは私のした質問と同義だったが、満島は何故か、虚を突かれたように立ち止まった。サングラスに指先を置いたまま、先生を振り返る。表情が分からないそんな彼を、先生はじっと見つめる。マスカラとアイラインで縁取られた、真っ黒で大きな瞳で。それはとても思慮深くも、何も考えていないようにも見えた。
「……あまりに殺風景なぼろ屋だったから、何か描きたくなったんだ。大きさも手頃だったし。描きたいときに、描きたい物を描く。ただ、それだけだ」
一瞬詰まった後、満島は私にしたのと同じ説明をした。先生は「ふうん」と言って視線を外す。満島は落ち着かない様子でモゾモゾした後、結局何も言わずに事務所を後にした。意味ありげな先生の態度に、満島を見送った私が理由を尋ねる。先生は、何も言わなかった。




