仏陀の生涯(2)
「あなたにとって満島くんは、どんな存在なのかしら?」
『丈くんは友達です。絵を教えてくれた、先生でもあります。一緒にいて安心する、お兄ちゃんみたいな存在でした。丈くんの後ろに幽霊が見えたっていうのは、嘘です。丈くんは本当に純粋な人。悪い霊なんてひとつもついていない。あの時はあなたが怖くて、早く帰って欲しくてあんなことを言いました』
華は思ったよりもすらすらと、本心を語った。一度腹が決まってしまえば、正直なタイプの人間のようだ。先生に持った感想を、オブラートに包まないあたりも意志の強さを感じる。軽くディスられた先生は、そこには踏み込まず先を進める。
「満島くんに酷いこと言われて、喧嘩したことがあったそうじゃないの? 一か月も口を聞かなくて、ミルキーを餌にやっと仲直りしたって言ってたわよ」
『ああ』
華は小さく笑った。
『丈くんは私のこと嫌いじゃないって知ってたから、拗ねてみせたんです。そりゃ、ショックでしたけど。絶対仲直りできるって分かってました。人を気遣ったりしない丈くんが、私の幼稚園の頃の好物を大量に買ってきて謝ったときは、逆にほっこりしました』
なるほど。まだ子供とはいえ、華はしっかり「女」だったわけだ。それに振り回された満島は、悲しき「男」だ。
先生は何事か考えるように、少し黙った。豊満な胸の下で組んだ腕を、指先でパタパタと叩き出す。
「お兄ちゃんみたいって言ったけど、あなたには実のお兄さんがいるわよね? あまり仲がよくないの?」
『ああ、いいえ。お兄ちゃんは大好きです。優しいし、私のことも可愛がってくれました。ただお兄ちゃんもお父さんも普通の人で、私のことを理解してはくれなかった。幽霊の話をすると、別の明るい話題に話を切り替えようとするんです。発田のおじいちゃんみたいに、私の話を信じて聞いてくれなかった』
華の家族に対する評は、私の抱いていたイメージとは違っていた。満島が、華は疎外感を感じていたと言っていたので、もっと寒々しい関係かと思っていたのだ。意外と、普通に円満家庭だったみたいだ。
「発田さんだけは、あなたの話を信じてくれたのね?」
先生は質問をやめない。
『発田のおじいちゃんは……』
華はここで、声を詰まらせた。発田玄治の死を思い出し、感慨がこみ上げたかもしれない。
『発田のおじいちゃんだけは、心から私の話を聞いてくれました。今まで誰も、そんな風に私に接してくれた人はいなかったんです。みんな奇異な目で見るか、疎ましがるか、心配するか、困るかでした。丈くんでさえ、幽霊の話は嫌がりました。ただ丈くんは、幽霊の話と私のことは完全に切り離して接してくれたんで、居心地は良かったんですけど……』
華はここで、一つ溜息をついた。
『とにかく、幽霊の話込みで私のことを受け入れてくれたのは、発田のおじいちゃんが初めてでした。家族も、先生もカウンセラーも、理解は示してくれるけど「できれば直したい」と思っているのは分かりましたから。だから発田のおじいちゃんは、私の心のよりどころでした』
「満島くんはお兄ちゃんで、発田さんはお祖父ちゃんみたいに思っていたってこと?」
『……いえ、それとはちょっと違います。発田のおじいちゃんは私にとって、救いの神様みたいな存在でした』
満島は発田玄治をお釈迦様にたとえ、華は神様だという。近所では煙たがられる頑固じじいで、紅子のヒモのチンピラ。発田という男は、実際はどんな人物だったのだろう? 少なくとも昨日の夢に出てきたような、下卑た脅迫者ではない気がしてきた。
「あなたには、実のお祖父様もいらっしゃるわね」
『ええ。お祖父ちゃんのことも、もちろん大好きですよ。私のこと心配してくれるし、優しくしてくれるし』
「発田さんが殺された時分も、あなたの様子を見に来てくれてたんでしょう?」
『……発田のおじいちゃんは、殺されていません』
華が、低い声で訂正を求めた。先生は肩をすくめる。
「弁護士のくせに、不確定なことを言っちゃったわね。不本意ながら謝るわ。撤回するから、質問に答えてくれるかしら? あなたのお祖父様は、発田さんが亡くなった頃、あなたの家に出入りしていたの?」
『はい。非常勤の仕事をしてたので、たまにでしたけど。月曜日は私が、おじいちゃんの家で晩ご飯を食べていました。私はお祖父ちゃんに、発田の家に出入りしていることは隠してましたが、多分気づいていたと思います。ただ、止めたりはされませんでした。見て見ぬ振りをしてくれていました』
私はここで、容疑者の一人を見落としていたことに気づいた。華のお祖父さん。盲点だったが、絶対ないとは言えない。発田と華の交流で、華に悪影響が及ぶと心配して殺した、とか。それにお祖父さんは、紅子に懸想していたふしもある。それが殺害の動機に結びつくのか不明だが、彼だけ容疑者から外すのは不平等な気がしてきた。
発田は殺されたのではないと華も満島も言っていたが、ついつい犯人捜しをしてしまう自分を嗤う。先生の質問は続いている。
「あなたが発田さんのお宅に出入りしだした、きっかけは何なの?」
『紅子さんの霊に、頼まれたからです。隣の家のおばあちゃんなんですけど、優しくて可愛くて好きでした。うちのお祖母ちゃんとかは嫌ってて、付き合うなって言われてたんですけど。会うと頭を撫でてくれて、ニコニコしてて悪い人には見えなかった。紅子さんが亡くなったとき、私の夢枕に立ったんです。発田のおじいちゃんは、近所付き合いが苦手ですぐ自暴自棄になるから、助けて欲しいって。紅子さんがいなくなったら、生きる気力を無くしてしまうかもしれないって。紅子さんに頼まれたとき、変な話ですけど、私嬉しかったんです。いつも守られてばっかで何もできない子供の私を、頼ってくれたことがです。おじいちゃんを守る使命みたいなのを与えられて、私は嬉しかった。だから発田のおじいちゃんに邪険にされても、絶対諦めなかった。おじいちゃんに元気で長生きしてもらうために、私はどんなことでも……』
一気に喋った華は再び、声を詰まらせる。なるほど、華は発田を、ただ自分の理解者として大事にしていたわけでは無かったのだ。紅子の幽霊の話を信じるかはともかく、発田玄治に生きる希望を与えることが、華の生きがいのようなものになっていたのだろう。
先生はその言葉の意味を吟味するように、またしばらく黙る。今度は長い。止まっていた指先のタップを再び再開していた。何事か、考えている。
「紅子さんね。名字は蓑田さんだか発田さんだか八雲さんだか知らないけど。誰も彼も彼女の話をするから、気になっちゃうわよ。華ちゃんからみて、彼女はどんな存在だったの?」
『さっきも言いましたが、優しくて可愛いおばあちゃんでした。男性関係で色々言う人もいたけど、私からみたら優しいただのおばあちゃんでした。でも生きているうちは、そんなに仲良くしていませんでした。だからなんで私の夢枕に立ったのかは良く分かりません。亡くなってからは、発田のおじいちゃんと三人で良く遊びました』
それは、幽霊と遊んだという意味だろう。怖い。怖すぎる。先生は幽霊話を掘り下げることを嫌ったのか、紅子の話はそこで止めた。それから、何か聞き忘れたことはあったかしら……とつぶやき、
「そうそう。ご家族の話を伺ったついでに、まだ話に出てきていなかったご家族についても聞いておきましょうか。平等に。あなたにとって、お母様はどんな存在なのかしら?」
『母は……』
華はそこで何故か、少し言いよどんだ。言葉を選んでいる。私は少し気になったが、続く言葉に虐待された子供のような、嫌悪感や恐怖感は感じなかった
『母は、弱い人です。私も似てるところがあるんだけど、気持ちをはっきり言葉にできないんです。優しいし、叱られたこともないんですけど、お母さん子かって言われると……。母は、私が幽霊の話をしても、注意しない代わりに悲しそうな顔をします。発田のおじいちゃんのことも怖がっていたので、私がおじいちゃんと会っているのも嫌みたいでした。でもはっきり言わないんです。いつも困った顔で、遠回しにやめて欲しいと伝えてくるんです。私は子供ながら、それが分かっていました。それでも私は、おじいちゃんや紅子さんと遊んだり、丈くんに絵を教わったりするのが楽しかったので、やめられませんでした。今思えば、お母さんを傷つけていたのかもしれません』
「お母様は、あなたが発田さんのお宅に出入りしていたのをご存じだったのね? 満島くんと仲良くしていたことも?」
『はい。お母さんの仕事がお休みの日は、たまに丈くんは家に来たりしてましたから。お母さんがお茶とお菓子を用意して、たまには一緒に話したりしました』
「どんな話をしたの?」
『普通の雑談です。内容まではよく覚えていません。お母さんが、私と丈くんの絵を褒めてくれたり……。ただ、発田のおじいちゃんの話だけはしませんでした。母は、おじいちゃんの名前を口にするのも嫌みたいでした。丈くんもすぐにそれに気づいて、おじいちゃんの話題は避けていました。そうそう、丈くんとお母さんは、よく難しい話で盛り上がっていました。丈くんは頭がいいし、母も勉強熱心で、大学も出ています。私には理解できない話でしたが、二人はそういう難しくて深い話が好きみたいでした。電話でも、よく話していました』
「そう」
ひとつ頷いた先生は、重いバストの下で組んでいた腕を解き、凭れていた机から降りた。
「聞きたいことは、だいたい聞けたわ。ありがとう」
『……あの』
華は戸惑った声で、話を切り上げようとする先生に縋り付いた。
『丈くんは、捕まらないですよね? 発田のおじいちゃんを殺してなんかいませんから』
「まあね。あなた(、、、)が(、)一番(、、)良く(、、)分かって(、、、、)いる(、、)でしょうしね」
『…………』
「あ、そうそう。おまけで一つ聞いていい?」
『はい』
「あなたのバイト先は、駅前のあの薬局ね」
『はい』
「お母様が、レジ打ちのパートをしていたのも?」
『ええ。就職が上手くいかなかった私を雇ってくれるよう、バイト先の店長さんに母が頼んでくれたんです』
「そう。やっぱりね。ありがとう」
先生は今度こそ話を切り上げると、電話のフックを押した。




