初恋物語(3)
満島は力のない声で、反論した。
「馬鹿を言うな。華は小学生だったと言っているだろう」
「良いじゃないの。あなただって、小生意気な中学生だったんだから。びっくりするほどの年齢差じゃないわ」
「邪推をするな。華は子供だったから発田のじいさんと僕で守っていただけだ」
「あら? だってあなた、私の面会を一度は断ったくせに、華ちゃんの名前を出したとたんにオーケーしたじゃないの」
先生はニヤニヤしながら満島をからかう。先生の魔法の言葉とは、それのことかと納得がいった。満島は観念した風に、宙を仰いだ。
「ほんとうに、妹のように思っていただけだ。ただ僕が華を特別視していたと指摘したいのなら、それは認める。僕にとって華は特別な存在だった。発田のじいさんに初めて会ったとき華もその場にいたんだ」
満島はいつもの早口ではなく、ポツリポツリと話し始めた。私は満島と会ってから初めて、彼が普通の男性に見えた。
「華は僕が初めて発田のじいさんに会ったとき、つまり僕がじいさんの庭に勝手に入って叱られたとき、じいさんの後ろで絵を描いていた。掃き出し窓を開けて怒鳴るじいさんの向こう、ダイニングテーブルに座って絵を描いていた。ぼんやりとした、無表情な子供だった。僕は子供の前で恥をかかされたことに屈辱を感じ、なお一層じいさんを憎んだ」
満島は沢山喋って喉が渇いたのか、コーヒーを一口飲んだ。だいぶ時間が経ったので、適温より少し温いはずだ。
「翌日じいさん殺害の絵を持って発田の家に行ったときも、華はいた。じいさんが褒めてくれた絵を見て、上手だ上手だと目をキラキラさせた。自分も描きたい、絵の描き方を教えて欲しいと僕に頼んだ。僕は機嫌が良かったので、翌日から華に絵を教えてやるために発田のじいさんのところに通った。じいさんは相変わらず僕の神経を逆撫でる小言を言い、その鬱憤を絵にするたびに絶賛した。僕が欠かさず発田の家に通ったのは華に絵を教えるためだが、じいさんがインスピレーションを与えてくれたというのも本当だ」
随分捻くれまくったインスピレーション獲得法だが、私のような凡人とは神経の構造が違うのだろう。それより満島が、毎日発田家に通っていた理由が何となく分かった。おじいさんがインスピレーションを与えてくれたから通っていたというだけでは、理屈に合わない気がしていたのだ。満島は華に会うために通っていた。本人は否定するだろうが、それを恋というのだ。
満島は私の勘ぐりなどに気づいた様子もなく、話を続ける。
「華は聞き分けの良い生徒で、僕の言うことを何でも素直に吸収した。墨汁を使いたがったので貸してやると、すぐに筆運びを覚えた。上達も早かったし、教え甲斐があった。ただ幽霊の話ばかりするので、だんだん鬱陶しくなってきた。この家に憑いている霊のうち良い霊は紅子ばあさんだけで、他は悲惨な死に方ばかりしている。この土地で昔自殺した男の話や、野犬に食い殺された子供の話、階段から落ちて血まみれになって死んだ紅子ばあさんの夫の話などを、見てきたように生々しく話すんだ。さすがに僕も嫌気がさして、ついきついことを言ってしまった」
「きついこと? なんて言ったの?」
ずっと黙って聞いていた先生が、聞く。満島は一度解いていた腕を再び組んで、渋い顔を作って答えた。
「幽霊を信じるなんて、知能が低い証拠だと言ったんだ。いや、叱ったわけではない。普通に事実を述べただけだ。口調だっていつもと同じだった。しかし華はびっくりしたように僕を見つめて、それからしくしくと泣き出した。失敗したと思ったが遅かった。いくらなだめても華は泣き止まなかった」
それから遠い記憶をたどるように、満島は宙を仰ぐ。
「買い物に出ていたじいさんが帰ってきた。華が泣いているのを見て、僕に訳を聞いた。僕は正直に話した。多少弁解じみていたかもしれないが……。そうしたらじいさんは、顔を真っ赤にして僕を殴った。いつもの嫌みったらしい小言でもなく、初めて会ったときの威嚇でもなく、本気で僕の思いやりのない言動を叱った。華は霊感があるせいで、学校でいじめられて傷ついていた。家でも疎外感を感じていた。華が唯一リラックスして過ごせるのが発田の家だったんだ。それを奪う気かと、じいさんはぼくを怒った」
満島は上げた顔を落とし、手に持ったカップをじっと見つめた。
「発田のじいさんは華の幽霊の話――とくに紅子ばあさんの話を熱心に興味深く聞いてくれたし、僕は幽霊の話を怖がったり華を白い目で見たりしなかったから、華は心を開いていた。華の家族だってそれは彼女を大事にしていたが、やはり幽霊の話をすると話を逸らしたり口にするなとやんわり諫めたりしていたらしい。華は自分を色眼鏡で見ない、じいさんや僕を信頼していたと言うんだな。僕はじいさんに説教されて、上手く言えないがとても心が動かされたんだ。その出来事がなかったら、僕には一生手にできない新しい感情を手に入れたというか。どんな感情かと聞かれても、説明できないから聞かないでくれ。とにかくその日から、僕にとってじいさんと華は特別な存在になった。肉親のような、特別な存在になった。華の機嫌を直すのには一月近くかかったが、結局華は僕を許してくれた。華が好きだと聞いたミルキーを片っ端から買いあさり、毎日プレゼントしたのも功を奏したのかもしれない。それから華は僕に少しずつ相談事もするようになった」
「結婚の報告も、華ちゃんはあなたに自分からしたのね」
先生が、確かめるように聞いた。満島は少し黙った後、肯首した。
「そうだ。お前がどんな邪推をしようが、僕は素直に祝福したよ」
「分かってるわよ。あなたは華ちゃんの幸せを願っている。だからあの時、あと一か月は頼むって言ったのね」
先生はなんでも見通せる占い師のような様子で、決めつけた。そうか。一か月後に、華は結婚して遠いところに行く。事件に巻き込んで、華の幸せにケチをつけたくなかったというわけか。
「あなたはあの家が取り壊されるという噂を聞きつけ、少しでもスケジュールを遅らせようと落書きをした。違う?」
「違わない」
満島は観念したように、コーヒーカップをテーブルに置きながら言った。そこで私はふと心に浮かんだ素朴な疑問を発する。
「でも、事件に華ちゃんは関係ないですよね? 巻き込まれるも何も、いかに満島さんに捜査の手が伸びようが、華ちゃんの結婚にケチがつきようがなくないですか?」
私の言葉に、二人同時に黙った。一拍おいて、二人同時に睨まれる。怖い。怖すぎる。何度も言うが、二人ともキャラが濃いのだ。そして睨まれた理由に心を巡らせ、さらに恐ろしい結論に至る。
「まさか、発田さんを殺したのって本当に……」
「違う! それだけは絶対に違う!」
食い気味で、満島が怒鳴った。濃い眉が、般若のような形になる。あやうく腰を抜かしそうになった。
「発田のじいさんは、明らかに病死だったと言っただろう? それに華は、僕より後に現場に来た。いつもみたいにぼんやりした顔が、じいさんの死体を見てくしゃくしゃに歪んだんだ。それから大声で泣き出した。僕が口を塞いだので覚えている。華はあの時、初めて発田のじいさんが死んだことを知ったんだ。あれは演技などではなかった」
(現場って言ってるじゃん)
私は口から出そうになるツッコミを、何とか押さえつけた。現場という表現は、犯罪現場にしか使わない。病死現場とは言わない。大体先生が言うように、満島に医学の知識はないのだ。病死などと断言できないはずだ。それに華を特別視している時点で、庇って嘘をついている可能性が高い。
私は至近距離で凄む満島に、叫び出しそうになるのを堪えた。とそのとき、玄関の方で話し声がした。どうやら、お父さまの来客が帰るところらしい。ちっと、満島が舌打ちして顔を離した。
思いのほか大きな声で、満島父と来客は話していた。口論していると言ってもいいくらいのボリュームだ。
「例の、父の幼馴染みとかいう不潔な男だな。ろくな仕事もしていない社会の底辺にいる男だ。何故父が懇意にしているのか分からない。腹を割って話せる仲だからとか言っていたが、あんな男と腹を割るくらいなら僕は腹を切るな」
差別的な満島節にはだいぶ慣れてきたが、かの人物には一段と辛口だ。それにしても、本当に仲が良いようだ。昨日も来ていたくらいだから。
やがて仲直りでもしたのか口論は止んで、玄関の扉が開いて閉じる気配がした。壁が薄いわけではないのだが、玄関扉が分厚いので、音というより空気の揺れでそれを感じる。先生は興をそがれたように、肩をすくめた。
「まあ、華ちゃんに捜査の手が伸びるまでは、そこそこ時間がかかるでしょうね。この前私にした話、警察にはしていないんでしょうね?」
「していない」
「だったらしばらく、時間は稼げるわ。華ちゃんの結婚まで引っ張れるかは分からないけどね。あの本郷とかいう叩き上げっぽい刑事、あれは相当しつこいわよ」
「っていうか、本当に華さんは疑われるんですか?」
先生は「そんなどうでも良いことを聞くな」とばかりに流し目で私を見下すと、肩をすくめた。いや、一番どうでも良くないと思うのだが。
「まあ、あんな税金の無駄遣いみたいな捜査は、一刀両断にしてやるから任せなさい。また何か動きがあったら、電話ちょうだい」
「帰るのか?」
来訪の際は明らかに歓迎していなかったくせに、満島は縋るような目を先生に向けた。先生には、悩めるものに頼られる不思議なパワーがある。
先生は片眉を上げ、満島の眼差しを軽く受け流す。
「帰るわよ。私は多忙な弁護士よ? 自分が行きたいときじゃなければ、出張弁護なんてごめんよ」
事務所は閑古鳥が鳴いているくせに、先生は偉そうに幕を引いた。




