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初恋物語(1)

 翌日出勤してみると、入り口入ってド正面の弁護士の席に、巨大な画集が座っていた。……もとい、先生が巨大な画集を顔の前で開いていた。胸から上がすっぽり隠れるほどの特大サイズで、さらに巨大な革張りの背持たれがその向こうに覗いているので、あたかも画集が席についているように見える。シュールな光景だ。

紺色ベースのその画集には、表表紙から裏表紙にかけて『JOE MITSUSIMA』の金文字が踊っていた。

「おはようございます」

 私が声をかけると、管野先生が画集の影からひょっこりと顔を出した。ゴージャスな装丁と、先生の濃いメイクが絶妙なコントラストを生んでいる。

「満島さんの画集ですか?」

 私が机の抽出に鞄を仕舞いながら聞くと、先生は「まあね」と言って画集を閉じた。

「一応。参考までに」

「参考? でも、事件の参考にはならないでしょう?」

「そんなことないわよ。けっこう役に立ったわ」

 まさか後書きに、事件の告白が書いてあるわけではあるまいな。私は先生にお願いして、画集を見せて貰った。前説(?)にも、後書きにも、もちろんそんな記述はない。というか、満島本人の言葉は一言も書かれていない。紹介文や解説文にも、事件と関係のある記載は見当たらなかった。

一通り文字部分を確認した後、改めて最初のページから彼の作品を見ていく。年代順に掲載されていて、一番目の作品は、なんと彼がまだ七歳の頃のものだった。とても子供が描いたとは思えない、達者な絵だ。墨汁の黒一色で描かれた、虎の絵だった。生意気にサインまでしている。さすが天才。

 成長するにつれ、満島の作品はどんどん大胆に、華やかになっていった。それでいて、細部は緻密になっていく。見るものに圧倒的なインパクトを与える、まさに傑作の数々。解説を書いたアメリカの批評家は、名声を得た後も技巧に走らない彼の作品の奔放さを、絶賛していた。

「いやあ、改めて見ると、あの人やっぱりすごいですね。実物が奇人過ぎて、すっかり天才画家であることを忘れてました」

 私が感想を述べると、先生は頷いた。

「まあね。どうしてもと頼まれたら、一枚くらいうちのリビングに飾っても良いくらいのレベルだわね」

 そしてあくまでも、マウントをとることを忘れない。

「でもどこが、事件の参考になったんですか? あんまり関係ないように思いますけど」

「もちろん直接的には関係ないわよ。でも例えばそうね、その作品を見て何か気づかない?」

「え? う~ん。上手いなあっていうくらいしか」

「よく見なさいよ。途中から作風が、ガラッと変わっているじゃない」

 私はよく見た。と言われても、どこが変革期なのか良く分からない。筆運びや、墨汁で輪郭をとる手法は変わっていないし、絵のタッチも同じだ。強いて言えば……。

「ガラッとかは分かりませんが、途中から所々に色を乗せてますね」

 私は美術のなんたるかが分からないので、恐る恐る言ってみた。的外れは承知の上だ。馬鹿にされるかと身構えていたら、予想外に先生は肯定した。

「そう。それよ」

 先生は私から画集を受け取り、開いてみせる。

「ここまでは墨汁の黒一色で描かれているけど、ここから、今の彼の作品の特徴であるビビッドなカラーが所々に乗ってくる。年齢を見ると、十四歳。ちょうど彼が、発田さんの家に出入りしだした頃よ」

「たしかにそうかもしれませんが……。だけどそれって、事件に関係あります?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない。ところで雅ちゃん、それまでモノクロだった絵に、色を乗せる。どんな心境の変化だと思う?」

 先生は質問に、質問で返した。答が欲しいのはこちらなのだが。私はしかたなく、先生に付き合ってあげることにした。白と黒で描かれた絵に、ビビッドなカラーを乗せる。ただ単に、自分の絵を見返したとき、ちょっと地味だなと思って色をつけたのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。

「とても象徴的だと思うけど。モノクロの人生に、色がつく。昭和歌謡の世界観で考えてみなさいよ」

「昭和歌謡を良く知らないんですが……。まあ単純に考えれば、恋でしょうね。昭和歌謡的にいえば」

 平成生まれの私が先生の言葉尻をもじって答えると、先生はパチンと鳴らしてから指を差すというアメリカナイズな行動をして、

「そうそう。そうなのよ」

 私の発想に同意した。私は懐疑的である。

「う~ん。うがち過ぎな気がしますけど。でも確かに、ここら辺から女性がモデルの作品が時々出てきてますよね。割とセクシーな」

 それまでも人物画はいくつかあったが、男性アスリートをモデルにしたものばかりだった。女性、それも裸婦像を描き出したのは、確かに色がつき始めた頃からだった。モデルを見て描いたのかは謎だが、豊満な女体を強調した作品ばかりで、同じモデルではないかと推察された。顔の細部ははっきり描かないので断言できないが、日本人らしい小作りな顔をした女性のようだ。どこかで見たことがある気がする。

「思春期ですからね。大人の女性に憧れちゃったのかも。というか、同じ女性がモデルですよね? 妄想の産物かもしれないけど」

「その辺は、本人に聞いてみましょう」

 先生はそう言って、事務所の電話を留守電に切り替えた。車のキーを手にして、私を促す。

「今日は車で来てるから、満島くんの家まで乗せていってあげるわ。アポを取ってあるの」

 やる気を出したときの先生は、行動が早い。私は慌てて、今仕舞ったばかりの鞄を取り出す。

「満島さんに、何を聞くんですか?」

「この前言わなかったことを、何もかもよ」

 先生は工芸品のような巻髪を肩で弾き、華のように笑った。


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