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妖婦・紅子(2)

それにしても、男というのは悲しい生き物だ。私は働き蜂蓑田が、紅子という女王蜂にせっせと蜜を運んで果てる姿を想像した。

「それから紅子は、心を入れ替えたのか年のせいか、しばらくはおとなしくしていた。それが五十になってから千葉の金持ちの後妻に入り、かなりの財産を相続してまたここへ戻ってきた。六十を過ぎていたが、昔からの紅子の信奉者の、十五も年下の半端者を内縁の夫にして、八十で亡くなるまで隣で暮らしていた。十五年くらい前だ。その内縁の夫が、発田という警察が身元を洗っている男だ」

 上手くまとめたおじいさんは、それが癖なのか、またうんうんと頷いた。先生はご老体の昔語りに感銘を受けたのか受けていないのか、無表情のまま質問した。

「発田さんは、どんなお仕事をしていたのかしら?」

「仕事はしていなかったんじゃないか? 若い頃は、日雇いみたいなことをして生計を立てていたようだが。紅子のところに来てからは、紅子のヒモみたいになって暮らしていた。昼間はほとんど出歩かず、酒ばかり飲んでいた。肝臓で二回も運ばれてる、ごくつぶしだ。紅子が死んだ後も、紅子の残した財産で自由気ままに暮らしていた。近所付き合いもせずに、班の仕事をしていたうちの嫁に暴言を吐いたり、鼻つまみ者だったな」

 先生は、じっとお祖父さんを見た。マスカラとアイラインで縁取られた真っ黒な瞳で。お祖父さんは先生の顔を見つめ返し、また先生の胸に視線を落とした。

「そんなチンピラみたいな男と、紅子さんはどこで知り合ったのかしら?」

「夜の街じゃろ。紅子は、夜といえば遊び歩いていたから。バーだの、ダンスホールだの。さっきも言ったが、蓑田は男の出入りを黙認していた。発田に限らず、いろんな男が隣には出入りしてたよ」

「紅子さんは十五年前に亡くなったのよね? なんで亡くなったの?」

「心臓の病気だとか聞いたな。一ヶ月くらい入院して、病院で息を引き取ったそうだ。葬式はどこで上げたのかしらん。少なくとも隣の家ではやらなかったな。墓も蓑田のに入ったのかどうかも知らんな」

 さすがに隣に埋まっているわけではないだろう。私は、そんな当たり前のことを考えた。満島の死体遺棄の告白を聞いてから、感覚が狂っている。だいたい警察が散々掘り返したわけだし、紅子まで埋まっていたら大事になっているはずだ。「紅子と同じところで眠りたい」という発田の言葉は、おそらく比喩的なものなのだ。

「それから発田さんが、一人であの家に住んでいたのね」

「紅子の置き土産だな。発田はこのあたりじゃ嫌われ者だったから、何を図々しくと中傷する人間も多かったが」

「そして十三年前に突然、いなくなったのね。あなたはその時、何をしていたの?」

「その頃はまだばあさんが元気だったんで、ここから五分くらいのところにある自宅に住んでいた。発田が死んだのがいつか知らんが、多分その家にいたな。非常勤の仕事に出てたときかも分からんが。ばあさんが死んで、わしも足を悪くしたんで、八年前にそこは売り払って、息子のこの家に越してきたんだ」

 お祖父さんはまた頷く。なるほど、紅子さんについて詳しく知っている割に、事件のことは良く知らなさそうな理由が分かった。ご近所とはいえ、お祖父さんはその時、この家に住んでいなかったのだ。

先生は同じ質問を、角度を変えて再び投げる。

「発田さんがいなくなった時期、この家は華ちゃん一人を残して留守がちだったそうね。華ちゃんは学校でいじめられて、引きこもりみたいになってたそうだけど、心配して見に来たりはしなかったのかしら?」

「たまにはな。ただあの子は、ほとんど出歩かないおとなしい子だったから、危ないことに巻き込まれる心配はほとんどなかった。月曜日は嫁が遅番だったので、うちで晩飯を食っとった」

「そうなのね。じゃあ月曜日以外は、華ちゃんはずっと家に一人でいたのかしら?」

 ここで何故か、お祖父さんは一瞬詰まった。今までポンポンと調子よく言葉を返していたので、引っかかる。一つ咳払いをしてから、お祖父さんは取って付けたように言った。

「そうだな。家で、本を読んだり絵を描いたりしていたようだ」

 さすがの私でも、お祖父さんが何かを隠したことに気が付いた。先生の顔を横目で見ると、悪だくみするような顔で口元をゆがめている。何かに思い至ったようだ。しかし結局何のツッコミも入れないまま、先生は投げやりに言った。

「大体わかったわ。ありがとう」

 誰に対しても安定のタメ口でお礼を言うと、先生は立ち上がった。私は慌てる。今聞いた話は、ほとんど事件には関係のない、紅子さんの思い出話ばかりだ。せっかく話を聞くのだから、もう少し情報収集すべきではないのか?

「満島丈さんが、十三年前お隣に出入りしていたのはご存じですか?」

 私が滑り込みの質問をすると、おじいさんはキョトンとした。

「満島? 紅子の旦那は、蓑田だぞ」

 時系列が曖昧なお祖父さんは、的外れな返しをする。隣家に落書きをした、世界のジョー・ミツシマのことも本気で知らないようだった。テレビも無いこの部屋で、日がな一日足を撫でていたとすれば、そんなものなのかもしれない。

先生は、聞ける情報は聞いておこうと貧乏根性を出す私を、馬鹿にしたように見つめた。それから比喩ではなく首根っこを摑まえると、「帰るわよ」と宣言する。お礼とともに暇を告げると、お祖父さんは名残惜しそうに先生の胸元を見つめ、

「そっちのお姉さんのほう、その籠に入っている薬をとってくれ。漢方薬の方だ」

 急に弱々しい老人らしい口調でお願いした。

「これ?」

 手を伸ばせばすぐに届きそうな位置にある籠から、先生は命じられた物を探し出してお祖父さんに渡す。シルバーの袋にオレンジ色のラインが入ったそれには、八味地黄丸と書かれていた。

「足の痛みに効くんだ。ちょっと、飲ませてくれないか?」

 目尻を下げてお祖父さんは言う。口移しでと付け足しそうな勢いだ。失礼を承知で言えば、色ボケじじいに片足を突っ込んでいるかもしれない。

 先生は片眉を上げる。

「いつも通り自分で飲んでちょうだい。水の入ったコップも常備しているじゃないの」

 安楽椅子の脇にある、お盆に載ったグラスを指さしながら丁重に断る。お祖父さんはちっと舌打ちをし、渋々従った。さすが陽性で人の悪い遺伝子の持ち主だ。なんの根拠もないが、きっと長生きすると私は思った。


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