奇人VS変人(2)
「弁護士は外出中で、あと三十分ほどで戻ります。それまで私が、お話を伺います」
できればお話相手になりたくはなかったが、この見るからに注意力が欠陥して多動性の男に、三十分間ただおとなしく待てと言うのは無理そうだった。私は男を応接スペースのソファーに座るよう促すと、なるべく時間をかけてお茶を入れ、それを提供しながら尋ねた。
「それで、弁護士に何のご依頼でしょう?」
「落書きが犯罪になると聞いた」
男は食いぎみに、言葉を返した。会話が成立していない。私は暗澹たる気持ちになった。
「どうなんだ。犯罪になるのか?」
男は手袋の指先で、コツコツと机を叩いた。せっかちで潔癖。どこの馬の骨が入れたとも知れないお茶には、もちろん手をつけていない。
「はあ。場合によっては、器物損壊罪になることもあったような……」
私に聞かないで欲しい。法律など大学の一般教養でさわりを学んだきりで、この事務所に入るまでは、まともに六法を引いたこともないのだ。男は満足したように頷くと、ソファーに身体を預けた。
「だったら僕は犯罪者だ。警察から僕の身を守って欲しい」
どうやら自分勝手な三段論法が、決着を見たらしい。論理が飛躍しすぎていて、ついていけない。私は今すぐ事務所の窓を開け、往来に向けて「助けて!」と叫びたい気分になった。
とりあえず、そもそも論から初めてみることにする。
「警察の捜査を受けていらっしゃるんですか?」
「いいや」
「落書きをされたのは、いつです?」
「三日ほど前だ」
「どこに?」
「近所の空き家に」
それだったら、住居侵入罪も加わるかもしれない。空き家でも、住居侵入罪が適用されるのかは不明だが。合わせ技で警察がこの男を逮捕してくれないかなと、私は不謹慎なことを考えた。
「何故、そんなことをされたんですか?」
これ以上話を深めたくなかったが、仕方がないので私は聞いた。まともな理由が返ってくるとは思えない。案の定男の答は、要領を得ないものだった。
「何故も何もない。描きたいから描いた。あまりにも殺風景なぼろ屋だったから、板壁に絵を描いてやったのだ。ちょうど良いサイズだったからな」
「どの程度の大きさの絵ですか? すぐに消せば、不問に付してもらえるかも」
「ちょっと待て」
男は手袋の手で私を制し、乳白色のビニール袋をガサガサと漁った。驚いたことに、そこから最新式のスマートフォンを取り出す。近所の定食屋で、フレンチのフルコースが出てきたぐらいの違和感だった。
男はスマホを指先で繰ると、お目当ての画像を画面に映し出し、私に差し出した。私はそれを覗き込み、そして驚いた。
それは、『落書き』などという代物ではなかった。立派なアート作品だ。粗末な板の上に、それは描かれていた。黒の墨一色で描かれた人物像だったが、太い筆で力強く、流れるように描かれていた。前衛書道家のようなタッチで、それでいて洋画のような写実性もあった。粗末な法衣を身につけた男が、右腕を枕にして横たわっている。
「これは……お釈迦様ですか?」
「涅槃図だ」
男は私の凝視を嫌うように、すぐにスマートフォンをビニール袋に仕舞った。絵のアップだったので定かではないが、相当大きな作品(、、)だ。消すのは容易でなさそうだった。消してしまうのも、もったいないような気もするし。
私は自席からタブレット端末を持ってきて、今聞いた内容をメモする。断ってから、スマホの画像を写真で撮らせてもらった。男は素直に、仕舞ったばかりのスマホを示した。言葉が通じるようになっている。思ったより、変な人でもないのかもしれない。
ここまで終えたら、もう私にすることはない。こんなことで警察に捕まるのかは良く分からなかったが、弁護士でもないのに迂闊なことは言えないだろう。一言挨拶して応接スペースを後にしようとしたとき、タイミング良く管野先生が戻ってきた。




