霊感少女(3)
しばらくして階段を降りる足音が聞こえ、ダイニングのドアが開いた。入ってきたのは顔のパーツが小作りの、兄とはあまり似ていない若い女性だった。身体ががっしりしているところだけが、血のつながりを感じさせる。
華と呼ばれたその女性は、微かに頬を赤らめ、ぺこりと頭を下げた。陰性で優しいという、兄の評は正しいようだ。決して華やかな美人でもなく、身体もがっしりしているのだが、全体的に女性らしい柔らかい雰囲気だった。古き良き大和撫子といった風情で、和服が似合いそうだ。
「この人弁護士さんで、お隣の事件を調べてるんだって。発田のじいさんの身内だって挨拶に来た人の、特徴を聞きたいんだって」
背もたれに右腕を乗せた圭吾は、身をよじって背後の妹に説明を求めた。華は頬に朱を上らせたまま、先生の顔――というより、頭の少し上あたりをぼんやりと見つめたまま、答える。
「良く覚えていないんです。昔のことだし、私は小学生だったんで」
人の心を落ち着かせるような、低めの柔らかい声だった。多分私より三つ四つ下だろうが、雰囲気のある人だ。
若い女とみればマウンティングをとりたがる先生は、いちゃもんをつけるポイントを探すべく、華の頭のてっぺんから足の先までじろじろ眺め回しながら聞いた。
「とは言ったって、何かしら記憶に残ってるでしょう? 何歳くらいだったとか、背が高いとか低いとか、怖そうだったとか、気持ち悪かったとか」
「別に気持ち悪くは……。ふつうのおじさんでした。何歳かと聞かれても、四十代だったか五十代だったか、はっきり言えません。子供だったんで、お父さんと同じくらいのおじさんという印象しかありません。背も普通で、普通の体格でした。強いて言えば、優しそうだったかもしれません」
「突然訪ねてきて、何て言ったの?」
「隣に住んでる、発田の身内の者ですって。発田のおじいちゃんを引き取るので、隣は空き家になりますって言ったと思います。私は、お母さんがいなくて良く分からないって言いました。そうしたら、挨拶に来たけど時間がないから、よろしく伝えてくれればいいと言って、お菓子の入った袋を置いてすぐに帰りました」
「手土産は、何だったの?」
先ほどから先生は、些末なところにこだわる。
「千疋屋のフルーツタルトだったよな。あの小汚いじいさんに、千疋屋のフルーツタルト買ってくるようなリッチな身内がいたなんて、あまりのギャップに今でも覚えてますよ。あれは、美味かったな」
妹ではなく、兄が覚えていた。十三年前の手土産を覚えているとは、よほどそのギャップが印象に残ったのだろう。先生は大きな胸の下で腕を組み、背もたれに身体を預けた。ふんぞり返った格好になるので、華を見下すような目つきになる。左の上腕を右手の人差し指で叩き、しばし沈黙した。何かひっかかることがあるようだったが、やがて口を開く。
「その日から、発田さんを見かけなくなったのね?」
「はい。まさか殺されて、埋められているなんて知らなかった」
今度も妹ではなく、兄が答えた。妹が無口で兄がお喋りなので、当然こうなる。先生は華に視線を据えたまま、質問を続ける。
「当然、そのおじさん(、、、、)が犯人だと思うわよね?」
「そりゃそうですよ、警察の話だと、発田さんにそんな親戚は居なかったみたいですし」
さすがに先生は、圭吾を睨んだ。華と会話がしたいのだ。黙れと、濃いアイメイクで威嚇する。圭吾はホールドアップするように、開いた両手を挙げた。
「あなた、満島丈は知ってる?」
「えっ?」
華は、ビクリと肩を振るわせた。凪いだように落ち着いた印象の彼女にしては、大きめな反応だった。おや? と思って注視してみると、そんな緊張はすぐに胡散霧消し元の柔らかいある種の無表情に戻っていた。
「……はい。近所だし、有名人だから」
「幼馴染みか何かかしら?」
「いえ。ただ……」
「ただ?」
先生が聞きとがめる。口調がきつめだったので、華は怯えたように一歩下がった。先生は、引かない。
「ただ、どうだって言うの? はっきり言いなさい」
「先生」
いじめるような口調に私がたしなめると、先生は思いの外真剣な顔で、華のことをじっと見つめていた。あの思慮深くも何も考えていないようにも見える、マスカラとアイラインで縁取られた真っ黒な瞳で。華は震える右手を、額のあたりに持っていって、擦れた声で言った。
「丈くんには、あまり良くない霊が憑いています。もの凄くパワーが強くて、テレビに出たときも、画面を通して分かったくらい」
「良くない霊? どんな?」
「言えません」
「もしかして、発田さんとか?」
先生は、決め弾を放った。満島が発田玄治を殺したのなら、霊になって憑いているはずだと言わんばかりだった。華はうつむき、「言えません」ともう一度言った。それから思い切ったように顔を上げ、先生の頭の十センチくらい上を見て付け足す。
「あなたにも」
そして、黙る。
(あなたにも、何? その台詞、怖すぎるんですけど……)
関係のない私が怯え、先生の頭の上を見てみるが、もちろん何も見えない。先生は腕を組んでふんぞり返ったまま、鼻を鳴らした。しばし華と睨み合い、根負けした華が一つ頭を下げて去って行くのを、身じろぎひとつせず見守っていた。
華が二階に去ったのを確認してから、華の兄が頭を下げた。
「すいません。あいつ昔から、幽霊が見えるって言いはってて。そのせいでいじめられて懲りたと思ってたんですけど、未だにあんなことを」
「別に構わないわよ。私は幽霊なんて、ゼロコンマ一ミリも信じてないから」
先生は肩にかかった工芸品のような巻髪を弾き、鼻で笑った。いっそすがすがしいほどの現実主義だが、先ほどの会話と矛盾する。私は確かめてみた。
「でもさっき、幽霊が発田さんかどうか確認してたじゃないですか?」
「華ちゃんが、満島くんの背後霊を、発田さんだと思ってるかどうか聞いたのよ」
「思ってたら、どうなんです? 満島さんの背後霊に発田さんが憑いていたら、満島さんが発田さんを殺した犯人だってことじゃないんですか?」
シンプルに考えると、そうだ。幽霊が存在するとしての話だが。
「だから私は、幽霊なんて信じないって言ってるでしょ?」
先生は馬鹿にしたように、流し目で私を見る。だったら何で、あんな質問をしたのだともう一度問いたかったが、無限ループに突入しそうなのでやめた。
「満島丈って、あのジョー・ミツシマですよね?」
華の兄が、不思議そうな顔をして聞いてくる。何故そんな地域の有名人が関係するのかと、疑問に思ったのかもしれない。彼は、満島が発田を埋めたことを知らないので、無理もない。
「そう。中学生くらいのときに、お隣に出入りしてたことがあったらしいんだけど、あなた知らなかった?」
先生がぼかして聞くと、圭吾は首を振った。
「いやあ。僕はその頃、部活三昧だったので。平日の放課後? じゃあ、まず見かけることはありませんね。父も仕事で遅かったし、母もレジ打ちのパートで六時くらいまで帰ってこなかったんで、誰も知らなかったんじゃないかな? 妹は不登校気味の半引きこもりで家にいましたが、外に出るのを怖がってたので、気づかなかったでしょう。たまに様子を見に来ていた祖父ちゃんからも、聞いたことはないな」
「ふうん。半引きこもりね」
先生はそろそろ飽きだしだのか、ボルドーのネイルをチェックしながら気のない相槌を打つ。圭吾は、先生の無礼な態度を気にした風もなく、うんうんと頷いた。
「そうです。小学校中学年から、中学くらいまでね。あれでも結婚できるんだから、人生どうなるか分かりませんね」
「結婚?」
先生はネイルに注いでいた視線を、圭吾にきっと据える。
「はい。バイト先で知り合った薬剤師です。鹿児島の人で、来月の結婚式が終わったら、鹿児島で旦那の両親と同居ですよ。大丈夫かなあ。また幽霊云々で、追い出されたりしないと良いけど」
ぼやく圭吾を見つめたまま、先生は何故か、真っ赤な唇を三日月のように吊り上げ、笑った。何かがお気に召したらしい。
それから先生は、意外な申し出をする。
「ところで、お祖父様は今日ご在宅かしら? 隣の家の事情を、お聞きしたいんだけど」
「ああ、いますよ。足が悪くて隣の祖父ちゃんの部屋まで来ていただく必要はありますけど、お喋りなんで話は聞けると思います。耳が遠いので、大きめの声で話してください。ちょっと待ってくださいね」
圭吾は少しの間ダイニングから消え、すぐに戻ってきた。どうやら、許可を取ってきたようだ。お祖父さんは、隣の部屋で話を聞いてくれるとのことだった。私は先生の後に続き、隣室に向かう。何故先生が、ここまで細かく館脇家の人間から事情聴取したがるのか分からなかった。お祖父さんなんて、それこそ何の関係もなさそうだ。話を聞くことに疑問を感じながら、私は先生の後に従った。




