第八話 届かない力
焔に敗れたその夜から、僕はしばらく寝込んだ。
継灯を使いすぎた反動は、思った以上に重かった。高い熱が出て、体の芯から力が抜けて。まるで、命そのものを、いくらか持っていかれたようだった。
「無理をして……」枕元で、母が、冷たいタオルを額に当ててくれた。その手が、震えていた。「お父さんと、同じことをするのね。あなたも」
熱に浮かされながら、僕は、母のその言葉を聞いていた。
父も、こうやって。継灯を使っては、寝込んでいたのだろうか。母は、そのたびにこうして看病して。そして、いつか、その身を削りきった父を――看取ったのだろうか。
母の抱えてきた、悲しみの深さを。僕は、初めて、少しだけ想った。
数日して、熱が引いたころ。見舞いに来た守屋さんが、ぽつりと言った。
「おまえの父も、最初は、弱かった」
僕は、はっと顔を上げた。
「宗一も、灯が目覚めたばかりの頃は、おまえと同じ。いや、おまえより不器用だったかもしれん」守屋さんは、遠い目をした。「だが、あの男は、諦めなかった。何度、地に伏しても。立ち上がり、灯を磨きつづけた。――守りたいものが、あったからだ」
守りたいもの。
「あの男は、いつも言っていた。『おれは、強くなりたいんじゃない。ただ、大切な者を守れる自分で、ありたいだけだ』と」守屋さんは、僕を見た。「……どこかの誰かさんと、よく似ているがな」
僕は、唇を噛んだ。
父も。最初は、弱かった。それでも、諦めなかった。守りたいものの、ために。
「ねえ、灯真くん」その夜。見舞いに来てくれた鈴が、ベッドの脇で言った。「焦らなくて、いいんだよ。あなたは、まだ始めたばかりなんだから」
「でも」僕は、俯いた。「このままじゃ、僕は。鈴も、母さんも、守れない。焔が、また来たら……」
「だから、わたしがいるんでしょ」鈴は、ぐっと、僕の顔を覗き込んだ。その目がまっすぐで、僕は、どきりとした。「一人で、全部、背負おうとしないの。相棒、なんだから。あなたが立てないときは、わたしが支える。わたしが転びそうなときは、あなたが支えて。それで、いいじゃない」
鈴の言葉が。
不思議と、すとんと胸に落ちた。
そうだ。僕は、一人じゃない。守屋さんがいる。鈴がいる。そして――時の彼方に。父が、いる。
僕の灯は、まだ弱い。届かない。けれど。父がそうしたように、諦めずに磨きつづければ。いつか、きっと。
「……ありがとう、鈴」僕は、顔を上げた。「僕、もう一度、やってみる。強くなる。今度は、守られるだけじゃなくて。守れるように」
鈴が、にっと笑った。「うん。それでこそ」
そして――その夜のことだった。
熱も、すっかり引いて。僕は久しぶりに、胸の灯と向き合っていた。守屋さんに教わったとおり、静かに目を閉じ、意識を内へ沈める。
胸の奥の、温もり。それを、そっと灯す。
その、時だった。
ふいに。
灯の向こう。時の彼方から。
何かが、僕に触れた。
それは――いつもの父の気配では、なかった。
父の灯は、温かく、優しい。けれど、今、僕に触れたそれは。もっと鋭く、張りつめて。そして、どこか必死だった。まるで、暗い場所から、懸命に手を伸ばしてくるような。
『――聞こえるか』
声が、した。
若い、男の声。聞いたことのない声。けれど、なぜか――胸の奥底が、ざわりと震えた。知らないはずなのに。どこか、懐かしいような。
『まだ、繋がりが弱い。長くは、もたない。……だが、これだけは、伝えておく』
その声は、切迫していた。
『近いうちに、おまえの町に、灰村の大きな動きがある。狙いは、おまえだけじゃない。――気をつけろ。〈灰返り〉が、動きはじめる』
「……っ、誰だ。君は!」
僕は必死に、その声に呼びかけた。けれど。
『すまない。もう、時間だ。――また、繋ぐ』
声は、それきり、ふっと途絶えた。後には、ただ、しんとした静けさだけが残った。
僕は、目を開けた。心臓が、激しく脈打っている。
今のは、誰だ。父では、ない。もっと若い、男の声。なのに、あの奇妙な懐かしさは。そして――灰返り、とは。
時の彼方から。父とは別の、誰かが。僕に、手を伸ばしている。
それが、いったい、誰なのか。
僕には、まだ、知る由もなかった。




