第十七話 灰の鎖
砕けた鍵を阻んだ夜から、僕の胸には、ずっと、ひとつの棘が刺さっていた。
焔の、あの言葉。あの孤独な目。
『おれは、父上の悲願のためだけに、生きる』
なぜ、あんなにも。彼は、たった一つの復讐に縛られているのだろう。
その答えの片鱗に触れたのは、数日後のことだった。
その日も、灰村の怪異が、町に湧いた。僕は、鈴とともに、それを迎え撃った。陽の〈灯路〉と、宗一の導きを得て、怪異を退ける。
そして、その最後に、焔が現れた。
けれど、今日の焔は、どこか様子がおかしかった。
彼の左腕。そこに――黒い紋様のようなものが、浮かび上がり、脈打っていた。まるで、生きた鎖のように。焔は、その腕を押さえ、苦しげに顔を歪めている。
「……っ、く」
「焔?」僕は、思わず駆け寄ろうとした。「お前、それ……」
「来るな!」焔が、叫んだ。けれど、その声は、苦痛に震えていた。
僕は、悟った。
あの黒い紋様。あれは――焔を縛る、何か、だ。彼が、僕を討つのをためらうたびに。あるいは、灰返りから心が逸れるたびに。あの鎖が、彼を罰している。締めつけ、苦しめている。
焔は、自分の意志で戦っているんじゃ、ない。
あの鎖に縛られて、戦わされている。
「お前……まさか、その鎖は」僕は、呻いた。「お前を、無理やり戦わせるための……」
「黙れ」焔が、腕を押さえたまま、僕を睨んだ。「貴様に、関係、ない」
「関係なくなんか、ない!」僕は、叫んでいた。「お前、本当は、こんなこと、したくないんじゃ、ないのか。誰かに、無理やり――」
「父上が!」
焔の叫びが、僕の言葉を断ち切った。
「……父上が、刻んだんだ」彼は、絞り出すように言った。腕の鎖を、押さえながら。「おれが、まだ幼い頃に。『灰返りを、必ず成せ』と。この体に。――母上を喪った、あの日に」
母上。
焔の、母。
「母上は」焔の声が、震えた。憎しみと、哀しみの入り混じった声で。「燈本の――お前たちのせいで、死んだ。父上は、そう言った。だから、おれは。燈本を、滅ぼす。それが、母上の弔いだと。父上の悲願だと。――それだけが、おれの、生まれてきた意味なんだ!」
僕は、言葉を失った。
焔も――母を喪っていた。幼くして。そして、その喪失を、父によって、復讐の鎖に変えられた。
僕と、同じだった。僕も、幼くして父を喪った。けれど。僕の父は、僕に灯を遺してくれた。愛を遺してくれた。「困っている人がいたら、灯を分けてやりなさい」と。
焔の父は、息子に鎖を刻んだ。「燈本を、滅ぼせ」と。憎しみを、遺した。
同じ、喪失。同じ、親から受け継いだもの。なのに――こんなにも、違う。片や、翼。片や、鎖。
「焔……」僕は、静かに言った。「お前は、本当に、それでいいのか。お前自身は、何を望んでるんだ」
焔の目が、揺れた。一瞬。何か、言いかけて。
けれど、その時。腕の鎖が、ぎりっと強く脈打った。「ぐ……っ!」焔が、苦痛に呻く。
「……戯言を」焔は、荒い息で言った。「おれの望み、など。とうに、ない。あるのは、ただ――父上の悲願だけだ」
そして、彼は、闇の中へ消えていった。腕の鎖を、押さえながら。
後に残されたのは。
重い、沈黙。
「灯真くん……」鈴が、心配そうに、僕を見た。
「鈴」僕は、拳を握りしめた。「灰村燼。あいつの悲願って……いったい、何なんだ。妻を――焔の母を喪って。それで、なぜ、灰返りなんてものを」
焔の母の死。それが、すべての始まりだった。
僕は、知らなければならない、と思った。
なぜ、灰村燼は、妻の死から、世界を消し去る企てへと堕ちたのか。その、哀しい根っこを。
そして、それを知るために、僕が繋ぐべき相手は、決まっていた。
三十年前を生きる――父、宗一だ。




