【第五章】教務スタッフ・木村の独白
ここからが「真相編」です。藪の中で何が起きていたのか…
テレビのニュース番組が、今日も秀英アカデミー理事長殺害事件の奇妙な膠着状態を報じている。警察は三人の容疑者から自白を引き出したものの、致命傷が特定できず、誰一人として殺人罪で起訴できていないという。画面の中のコメンテーターたちが的外れな推理を披露するのを眺めながら、私は自宅のソファで最高級のワイングラスを揺らした。
第一発見者である私、教務スタッフの木村への警察の聴取は、事件発覚当日の午前中で早々にあっけなく終わっていた。「毎朝誰よりも早く出勤し、全フロアの鍵を開けて回る」という私の真面目な日課は、予備校内の誰もが知る事実であり、第一発見者になることは極めて自然な成り行きだったからだ。刑事たちは私を、悲惨な現場に直面してしまった不運で平凡な事務員としか見ていなかった。彼らは全く気づいていない。最も無害に見えるシステム管理の歯車こそが、この美しくも残酷な迷宮を根本から設計した張本人であることに。
城ヶ崎勉という男は、強欲で傲慢な独裁者だった。教務スタッフとして予備校の全データベースを管理していた私は、長年にわたり彼から裏金作りの実務と、特定生徒の成績データの改ざんを強要されてきた。そしていよいよ税務署や文科省の監査が入りそうになると、彼はすべての罪を私一人に着せて切り捨てる準備を密かに始めていたのだ。殺される前に殺す。それは私にとって生存を賭けた必然だった。
しかし、単に彼を暗殺するだけでは、私が横領や改ざんの罪を被らされる未来は変わらない。私が真犯人として捕まれば元も子もない。だから私は、彼に強い恨みを持つ三人の人間を操り、警察の捜査機能そのものを完全に麻痺させる「裁かれない死」を作り上げることにしたのだ。
私は彼らの調書の内容を知る由もないが、おそらく警察に対して「生徒のため」「自分の尊厳のため」「教育の理想のため」などと、もっともらしい正義や悲劇を語っていることだろう。実に吐き気がするほどの偽善だ。予備校の全データを握る私は、あの三人が心の奥底でひた隠しにしている「本性」を完全に把握していた。
あの三人は殺人の罪をかぶってでも隠したいものがあったから動いたにすぎない。
遠藤和馬。あの男は生徒のためになど動いていない。
一ノ瀬葵。彼女は純潔を守る悲劇のヒロインなどではない。
蓮見修介。あの男が教育を語るなど反吐が出る。
全員が自分の醜い欲望と保身のために殺意を抱き、手を汚したくせに、いざとなれば美辞麗句で自らを正当化する。そんな彼らにふさわしい舞台を用意してやったのだ。
計画の実行は完璧だった。事件当日の十九時、私が残業中の理事長室へ持参した一杯のコーヒー。そこには致死量スレスレの中枢神経抑制剤を溶かしてあった。城ヶ崎はそれを飲み干し、数十分後には椅子に座ったまま、呼吸が極端に浅くなる仮死状態へと陥った。
その後、私はIOT空調システムに侵入し、理事長室を三十六度のサウナ状態にして法医学の冷却曲線を完全に破壊した。さらに、遠藤の時刻に合わせたスマートウォッチの停止ログ、一ノ瀬の時刻に合わせたスピーカーの発話ログ、蓮見の時刻に合わせたパソコンの操作ログという、互いに矛盾する三つのデジタル証拠を捏造した。
法医学が沈黙し、デジタル証拠が衝突する状況下で、三人の容疑者がそれぞれ「自分がトドメを刺した」と主張する。誰の攻撃が決定的な死因だったのかを立証できない以上、日本の司法は彼らの誰一人として殺人罪で起訴することはできない。
誰かが殺人罪で裁かれるということは、城ヶ崎の死が法的に意味のある「罪」として扱われるということだ。誰も裁かれないということは、すなわち「城ヶ崎を殺すことは罪ではない」という究極の結論を意味する。私を使い捨てようとしたあの男の命は、誰の罪にも問われない無価値なゴミとして闇に葬られたのだ。これが私なりの、最も残酷で完璧な復讐だった。
もうすぐ三人の裁判が始まるだろう。彼らは思いがけず殺人罪を免れ、安堵しているかもしれない。だが、彼らには彼らの罪を償ってもらう。裁判の過程で、私は彼らがひた隠しにしてきた本当の動機の数々を、匿名でマスコミや検察にリークしてやるつもりだ。殺人者にはなれなかった彼らが、己の醜い秘密を世間に晒され、社会的に完全に抹殺されていく様を見届けるのが楽しみでならない。
私は空になったワイングラスをテーブルに置き、静かに笑った。警察は迷宮の中を永遠に彷徨い続け、愚かな三人は破滅へと向かう。そして私だけが、誰にも疑われることなく、この美しき藪の外で新しい人生を歩き出すのだ。これほど完璧な喜劇が、他にあるだろうか。




