第9話:極秘区画
「……人類側の反応に見えない」
その言葉が、俊也の頭に残っていた。
研究員の女性は冗談で言ったわけではない。
むしろ逆だ。
本気だったからこそ、あんな言い方になった。
(来夏に何が起きてる)
俊也は廊下を歩きながら考える。
国家覚醒機関の地下区画。
夜の施設は静かだった。
白い照明。
金属の壁。
遠くで聞こえる機械音。
前世でも、この施設には長くいた。
だが今世は違う。
研究速度が明らかに早い。
特に――
“来夏への反応”が。
「笹水くん!」
後ろから声が飛ぶ。
振り返ると、来夏が小走りで近づいてきていた。
「探したんだけど!」
「……何してる」
「いや、その……」
来夏は少し言いづらそうに視線を逸らす。
「なんか怖くて」
俊也は少しだけ黙る。
来夏は強いタイプじゃない。
明るく振る舞うことはできる。
でも、本質的には普通の女の子だ。
初戦闘。
測定不能。
研究員たちの空気。
普通に考えれば、不安になって当然だった。
「送る」
俊也は短く言った。
「え?」
「部屋まで」
来夏は少し驚いたあと、小さく笑う。
「……ありがと」
二人は並んで歩き始めた。
■幼馴染
「ねぇ」
来夏が口を開く。
「笹水くんって、変わったよね」
俊也の足が少しだけ止まりそうになる。
「昔はもっと普通だったじゃん」
「もっとこう……」
「優しいっていうか、頼りないっていうか」
「それ褒めてるのか?」
「半分くらい?」
来夏が笑う。
俊也は前を向く。
前世を経験した自分と、昔の自分。
違って当然だった。
「でも」
来夏が少し真面目な声になる。
「今日、助けてくれた時」
「なんかちょっと安心した」
俊也は何も返さない。
だが、その言葉は思った以上に重かった。
前世でも。
来夏はこういう風に笑っていた。
そして最後は――
(やめろ)
俊也は思考を止める。
まだ早い。
今はまだ、何も始まっていない。
■違和感
その時だった。
廊下の奥。
閉鎖区画へ続くシャッターの前に、数人の研究員が集まっていた。
空気が妙に張り詰めている。
「また搬入?」
「いや、違う。今回は“回収”らしい」
小さく聞こえた会話。
俊也の目が細くなる。
(回収?)
その瞬間。
シャッターが開く。
中から運ばれてきたのは、人だった。
いや、“元人間”。
ガラス製の大型カプセル。
その内部に、男が拘束されている。
全身に黒い血管。
皮膚の一部が機械のように変色していた。
「……っ」
来夏が息を呑む。
「見ない方がいい」
俊也が前に立つ。
だが、遅かった。
カプセル内の男が突然目を開く。
真っ黒だった。
人間の目じゃない。
「――■■■」
ノイズみたいな声が漏れる。
直後。
施設全体に警報が鳴り響いた。
『侵食体反応確認』
『全研究員は隔離区画を封鎖してください』
研究員たちが一気に動き出す。
「押さえろ!!」
「侵食率が上がってる!」
「鎮静剤を――」
次の瞬間。
ガラスが砕けた。
「なっ――」
侵食体が研究員へ飛びかかる。
速い。
人間の動きじゃない。
研究員が吹き飛ばされる。
壁に激突。
血が飛ぶ。
来夏の顔が青くなる。
「逃げるぞ」
俊也が来夏の腕を掴む。
だが。
侵食体の動きが止まった。
黒い瞳が、来夏を見ている。
そして。
一歩、後退した。
「……え?」
研究員が固まる。
侵食体が“恐れている”。
ありえない光景だった。
俊也の視界に文字が浮かぶ。
《UNKNOWN SIGNAL DETECTED》
《COMMAND CONFLICT》
(まさか)
侵食体が苦しむように頭を押さえる。
「■■■■ァァァッ!!」
絶叫。
直後。
施設の照明が落ちた。
真っ暗になる。
「きゃっ――」
来夏が俊也の服を掴む。
非常灯だけが赤く点灯する。
その赤い光の中で。
侵食体が、ゆっくり来夏へ跪いた。
空気が凍る。
研究員たちも動けない。
そして侵食体は、壊れた機械みたいな声で呟いた。
「……認識、確認」
「……管理、権限……上位……」
俊也の背筋が冷える。
前世で、一度も見たことがない。
侵食体が、人間へ服従するなんて。
そして次の瞬間。
侵食体の頭部が爆発した。
赤い警報灯だけが点滅している。
静まり返る地下区画。
来夏は何が起きたのか分かっていない。
「……今の、なに」
小さな声だった。
俊也は答えられない。
ただ一つだけ、理解していた。
来夏は。
この世界の“異常”そのものだ。




