第6話 46歳パワハラ上司のトリセツ
「若い女の代わりが、四十六歳の男だと?」
通信画面の向こうで、オルダンが声を荒らげた。
紺色の長衣の袖口には、乾いた黒いインクが付着している。
背後の石造りの執務机には、封蝋の押された羊皮紙が積み上がっていた。その横では、崩落した街道の地図を抱えた役人が、決裁を待ったまま立っている。
菜月は高木の候補者情報を開き、記載された実行期限と机の時計を見比べた。
『性別も年齢も違う。何をもって代わりだと言っている』
「当初の人材条件には一致していません」
高槻はあっさり認めた。
「高木さんは代替人材ではなく、条件変更を前提とした再提案候補です」
『ならば、話にならん』
「条件を変更するかどうかは、提案をご確認いただいた後で判断してください。承認されない場合、高木さんは納品しません」
オルダンは机の羊皮紙を片手で押しのけた。
『我は、話を聞き、書類を整理できる若い女を求めた』
「その人材を必要とした理由を、改めて確認させてください」
『依頼書に書いたはずだ』
高槻が商談資料を切り替えた。
画面に、セルディア北部の街道図が表示される。穀倉地帯と王都を結ぶ街道の一部が、三か月前の豪雨で崩落していた。
補修命令が出されている。
しかし、街道管理局は軍用輸送路だと主張し、王国軍は民間の穀物輸送路だとして人員を出していない。北部領主府は予算承認を待ち、同じ報告書が三つの部署を往復していた。
食料輸送は九日遅れている。
「この状況に間違いはありませんか?」
『ない。だから各部署から話を聞き、未処理の書類を整理できる者を求めた』
「書類を整理しても、補修の責任者が決まらなければ街道は直りません」
画面の向こうで、地図を抱えた役人が口を開きかけた。オルダンは片手を上げて制し、商談へ視線を戻す。役人は地図を抱えたまま、一歩下がった。
「必要なのは、書類を処理する人材ではありません」
高槻は街道図の横へ、高木の候補者資料を表示した。
「責任者に書類を処理させる人材です」
オルダンはすぐには答えなかった。
菜月も、高木の顔写真へ目を移す。高木が自分で大量の書類を片づける姿は想像できない。だが、書類を処理するまで責任者の机の前に立ち、同じ質問を繰り返す姿なら簡単に想像できた。
「高木正彦さんには、対立した相手との交渉を中断せず、条件変更後も契約を成立させた実績があります」
『営業部長とある。部下をまとめていたのか』
「複数の部下を管理し、部署の目標を達成しています」
『ならば、人を育てることもできるのだな』
「できません」
菜月の口から、反射的に言葉が飛び出した。握っていたペンの先が、商談資料へ小さな点を残す。
オルダンの眉が上がった。
高槻も菜月へ顔を向けたが、制止はしなかった。
「すみません。でも、それは違います」
『お前は何者だ』
「昨日、この会社に入社しました。高木部長の元部下です」
『では、この男を知っているのか』
「半年間、毎日怒鳴られました」
「川瀬さん。商談に必要な事実だけを説明してください」
「事実です」
「必要な範囲でお願いします」
菜月は高木の写真を机から持ち上げた。会社案内用の写真らしく、穏やかな笑顔を浮かべている。実物との違いが腹立たしくなり、写真を裏返した。
(神様相手の商談で、元上司の取扱注意を説明する日が来るとは思わんかった!)
「高木部長は、人を育てる仕事には向いていません。部下が辞めても、自分の指導方法に問題があるとは考えない人です」
『そんな者を送るな』
「ただ、失敗しかけた仕事からは逃げません」
菜月は嫌悪を押し込み、昨夜から確認した記録を頭の中で並べた。
「部下に仕事を押しつけることはあります。でも、契約が失敗しそうになれば、最後は自分で相手のところへ行きます。怒鳴られても、契約がまとまるまで帰りません」
机の下で、菜月の指がスカートの布をつかんだ。
嫌いな相手の能力を認めるだけでも腹が立つ。
それを相手へ伝わる形に整え、契約を取ろうとしている自分には、もっと腹が立った。
「上から命令された仕事なら、無茶な内容でも終わらせようとします。責任者へ報告を求めて、期限まで追い続ける仕事なら……役に立つと思います」
『それを長所と言うのか』
「私は言いたくありません」
「しかし、記録と証言の両方で確認できた能力です」
高槻が商談資料を切り替えた。
「高木さんに、一般職員を指導させる必要はありません」
『どのように使う』
「業務監察官として、オルダン様の直属に置いてください」
役職と権限の案が表示される。
各部署の責任者へ、進捗報告を求める。
未処理業務の担当者と期限を確認する。
報告と現場の状況に相違がある場合、オルダンへ直接報告する。
その下には、与えない権限も明記されていた。
一般職員への直接命令。
人事権。
処罰権。
『人を罰する権限もなく、どうやって組織を動かす』
「高木さんには、責任者が言い逃れできない状態を作るところまで担当させます。処罰が必要かどうかは、オルダン様が判断してください」
『責任者に丸め込まれる可能性は』
「低いと判断しています」
高木は、自分より立場の弱い人間には強かった。
だが、自分より上の人間から明確な目標を与えられると、どれほど無理でも達成しようとする。
オルダンの直属として、相手を各部署の責任者に限定すれば、高木の厄介さを一般職員へ向けずに済む。
『この男には、どのような力が必要だ』
「報告された内容と、実際の状態を比較できる能力が適しています。セルディア側で付与できますか?」
『《鑑定眼》なら可能だ。人、物、土地の状態と性質を見抜ける』
「本人が現場を直接確認した場合、報告との差も判断できますか?」
『可能だ』
「では、業務に利用できます」
菜月は裏返した高木の写真へ視線を落とした。
報告書に書かれた内容と、実際の現場を見比べれる。
そんな能力を持った高木に問い詰められれば、責任者は言い逃れを認めるまで何時間も追われることになる。高木の説教を受ける側に同情しそうになり、相手が仕事を放置した責任者だと思い直した。
高槻は費用の欄を表示した。
「候補者の再選定、契約変更、転生計画の再作成にかかる追加費用は、今回の補償として弊社が負担します」
『人材の料金は』
「当初の契約額から変更しません」
『条件に合わぬ男を送り、同じ金額を取るのか』
「紹介条件は変わりますが、現在の問題へ適合する人材です。《鑑定眼》の付与は、セルディア側でお願いします」
『こちらは、求めていた若い女を受け取れなかった』
「川瀬さんを納品できなくなった点は、弊社の責任です。そのため、再選定と計画変更の費用は請求しません」
高槻は、街道補修の報告書をもう一度表示した。
「ただし、当初想定していた事務担当者を送っても、責任者が決まらない限り、未処理書類が整理されるだけです」
『この男なら、街道を直せると言うのか』
「高木さんには、街道を補修する技術はありません」
高槻は即答した。
「補修できる部署を集め、担当と期限を決めさせ、進捗を報告させる能力を提案しています」
オルダンは腕を組んだ。背後では、待っていた役人が崩落箇所の地図を抱え直している。
高槻は急かさなかった。
オルダンが答えない間にも、高木の実行期限は近づいていた。やがて、積み上がった羊皮紙の一番上を手に取った。
『一般の者へ直接命令させないこと』
「契約条件へ明記します」
『人事と処罰は、我が決める』
「はい」
『《鑑定眼》は我が与える。ただし、我の直属へ置く以上、現地の者が従うだけの経歴を持たせろ』
「求める経歴を確認させてください」
『少なくとも、部下を追い回していた男を、そのまま監察官として紹介することはできん』
高槻は高木の候補者資料から、行動記録を開いた。
「川瀬さん。高木さんに、人命救助を行った記録はありますか?」
菜月は記録の見出しを追った。
「会社の前で、子供が道路へ出たことがあります」
「高木さんは、どうしましたか?」
「最初に腕をつかんで、歩道へ戻しました」
「ほかの人が動く前ですか?」
「はい。その後、保護者を一時間くらい説教していましたけど」
「後半は、今回の確認に必要ありません」
「一番、高木部長らしい部分ですよ」
高槻は行動記録へ、人命救助の実績ありと追記した。
「救助行動は確認できます」
オルダンへ向き直る。
「現世で人命を救助したうえで死亡し、セルディアへ転生する計画をご用意します」
『実際に救助した事実を、記録として提出できるのだな』
「はい。救助が成立しなかった場合、高木さんをこの条件で納品することはありません」
高槻は契約変更案を表示した。
変更された契約では、高木は四十六歳の男性のまま、オルダン直属の業務監察官として迎えられる。一般職員への命令権も、人事権も、処罰権も与えない。代わりに、報告と現場の食い違いを見抜く《鑑定眼》が付与される。
『その条件でよい』
菜月は資料を持つ手から力を抜いた。嫌いな上司の欠点を説明し、使い道を証明し、神から契約を取った。達成感を覚えかけた自分が、一番信用できなかった。
「変更契約を受領しました。転生計画を確定後、予定時刻をご連絡します」
『期限内に実行しろ』
「契約条件を満たした場合に限り、実行します」
通信が終了した。積み上がった羊皮紙と街道図が消え、画面が黒くなる。
菜月は止めていた息を吐いた。
「本当に、契約が取れた……」
「はい」
高槻は喜ぶ様子もなく、承認された条件を成瀬の端末へ送った。
「人命救助を組み込んだ計画を確認してください」
「候補は二件あります」
事務所の奥で成瀬が答え、印刷機から二枚の計画書を取り出した。
「安全確保と救助成立の条件を照合します」
菜月は黒くなった通信画面へ、高木の写真を重ねた。
「これ、高木部長へのご褒美になりませんか?」
「何を指していますか?」
「神様の直属になって、特別な能力までもらうんですよね」
「高木さんが望む職場とは限りません」
高槻は変更契約書を閉じた。
「高木さんが業務監察官へ就いた後は、本人が現場を確認した記録が残ります。成果を自分のものとして報告しても、実際の状態との差はオルダン様が確認できます」
「今まで部下にやってたことを、今度は自分がされるんですか?」
「適性に合わせて配置した結果です」
「罰じゃないんですね」
「弊社は、処罰を目的として人材を紹介しません」
菜月は高木の写真を表へ戻した。
死んでほしいと思っていた。
少なくとも、この会社へ入るまでは、そう思っていたはずだった。
けれど、高木がただ死んでも、怒鳴られ続けた半年間が消えるわけではない。
高木が弱い立場の人間を好き勝手できず、自分より上の存在から仕事の結果を求められる。
その方が、菜月の望んでいた仕返しに近かった。
「川瀬さん」
「何でしょう」
「転生計画が決まりました。川瀬さんにも参加していただきます」
「私が高木部長を刺すんですか?」
「実行担当は成瀬さんです」
高槻は机の下から、黄色い帽子を取り出した。続いて、小さなリュックを机へ置く。
「川瀬さんには、高木さんが助ける対象を演じていただきます」
「何の役ですか?」
「園児役です」
菜月は黄色い帽子を見た。
小さなリュックを見た。
最後に、高槻の顔を見る。
「……誰がですか?」
「川瀬さんです」
「園児を?」
「はい」
(神様との初商談を終えた直後に、園児役の業務指示が出る会社って何なん!?)
高槻は黄色い帽子を菜月の前へ差し出した。
「明日は、これをかぶってトラックの前へ飛び出してください」
「……え?」




