第4話 雇用契約を確認しました
高槻は、菜月が書いた志望動機欄の文字に二本線を引いた。
「『殺らせてください』は、志望動機として記録できません」
高槻は雇用申込書とペンを菜月の前へ置いた。高木部長の転生案件に関わるため、菜月は自分を殺そうとした会社へ、その日のうちに入社しようとしていた。
「どうしてですか。正直に書いただけです」
「私怨を理由に候補者へ接触した場合、事故が起きても労災として扱いにくくなります」
「倫理の問題じゃないんですか?」
「倫理面にも問題はあります」
「ついでみたいに言わないでください」
菜月は申込書へ目を戻した。志望動機の欄には、途中まで書いた文字が残っている。
前の上司に仕返しを――
高槻が、その部分へ二本線を引いた。
「保険代理店で得た経験を、候補者調査と事故後の現場対応に生かしたい。これでいいでしょう」
「私の気持ちが一文字も入ってませんけど」
「会社へ提出する書類です」
「志望動機って、本当の理由を書くものじゃないんですか?」
「本当の理由だけで採用される方は多くありません」
妙に現実的なことを言われ、菜月は反論できなかった。
少し離れた机では、成瀬が菜月の雇用契約書を印刷している。先ほどまで包丁を入れていた鞄は、菜月から見えない場所へ移されていた。
「川瀬さん、こちらを確認してください」
成瀬が印刷した書類を差し出した。菜月は受け取ったが、すぐには署名しなかった。
「全部読みますからね」
「どうぞ」
「細かい字のところも読みます」
「読んでいただくための契約書です」
「その反応、前の会社と全然違いますね」
前職では、契約書の内容を質問すると面倒な新人として扱われた。今日受けた面接でも、給与の内訳を尋ねただけで、会社を信用していないと言われている。
(人を勝手に殺そうとした会社の方が、契約書を最後まで読ませてくれるんじゃけど!?)
判断基準がおかしくなりそうだった。
菜月は雇用形態の欄から順に目を通した。試用期間つきの契約社員で、配属先は三原事務所。仕事は候補者調査や営業補助だけではなく、転生計画の演出や、事故後の現場対応まで含まれている。
「転生計画の演出補助って、何をするんですか?」
高槻は契約書の該当箇所を指した。
「候補者の行動を、計画した場所や状況へ誘導します」
「今日の成瀬さんみたいに?」
「成瀬さんは実行担当です。川瀬さんには、まず補助業務へ入っていただきます」
「包丁を渡されたりは?」
「研修前の社員に刃物は持たせません」
「研修したら持たせるんですね」
「担当する業務によります」
菜月は後で詳しく確認するため、その項目に印をつけた。
給与は月額五十万円。
基本給に危険手当と機密保持手当が加算される。
交通費と時間外手当は別途支給。
固定残業代はなく、休日の業務連絡は緊急案件を除いて原則禁止。
先ほど確認した雇用案と、契約書に記載された条件は一致していた。菜月は給与欄と特記事項を往復した。欄外の注記まで読み、次のページに罰則が隠れていないか確認する。
(固定残業代なしで休日の連絡も原則禁止? 条件が良すぎるじゃろ。前の会社で学んだ。きれいな条件の下には、たいてい書いてない続きがあるんじゃろ……)
「一つ、確認していいですか」
「どうぞ」
「基本給が高い代わりに、ノルマを達成できなかったら給料を減らされたり、殺されたりしませんよね?」
「業績未達のみを理由とする減給および殺害の規定はありません」
「殺害まで就業条件として確認することになるんですか……」
「弊社の業務内容を考えれば、必要な確認でしょう」
高槻は契約書の給与規定を開いた。
「給与を変更する場合は、契約の更新時に条件を提示します。業績未達を理由に、社員を転生候補者へ登録することもありません」
「『仕事ができない社員は異世界へ送ります』みたいな制度は?」
「ありません」
「本当に?」
「そのような制度があれば、契約書と就業規則に記載します」
菜月は高槻の顔を見た。冗談として受け流されなかった。殺されない根拠として、人格や善意ではなく、書類の記載が示されている。この会社では、その方が信用できてしまうことが怖かった。
「では、本当に緊急案件以外は連絡しないんですか?」
「連絡した時間も労働時間として記録されます。不要な連絡は、事務所の人件費を増やします」
「社員を休ませたいからじゃないんですね」
「結果的には休めます」
(社員を休ませたいわけじゃないのに、結果だけ前の会社よりまともなん!?)
理由はともかく、休日は休めるらしい。菜月は次のページをめくった。
秘密保持義務。業務上知り得た異世界、神、転生候補者、死亡計画に関する情報を、第三者へ漏らしてはならない。
家族にも話せない。
「勤務先を聞かれたら、何て答えるんですか?」
「人材紹介会社です」
「嘘じゃないんですか?」
「紹介先の世界が異なるだけです」
「業務内容を聞かれたら?」
「営業補助で構いません」
「包丁を持って人を追いかける営業補助?」
「それは成瀬さんの担当です」
「私も毎回担当するわけではありません」
成瀬が印刷機から顔を上げた。
「今まで何回くらいやったんですか?」
「それは社内情報です」
「私、もうすぐ社員になるんですよね?」
「署名後であれば、閲覧権限の範囲で確認できます」
菜月はペンを持ちかけて、止めた。
「退職について書いてないんですけど」
「次のページです」
退職は一か月前までに申告する。ただし、退職後も秘密保持義務は継続する。必要に応じて定期面談、行動確認、記憶処理を行う場合がある。
「普通には辞められないじゃないですか」
「退職はできます」
「辞めた後も監視されるんですよね?」
「情報漏洩の危険がある場合です」
「記憶処理も?」
「必要と判断された場合は行います」
「それを普通には辞められないって言うんです」
高槻は否定しなかった。
「弊社の業務上、一般企業より退職後の手続きが多くなります」
「多いで済ませていい内容じゃないでしょう」
「そのため、契約前に説明しています」
逃げ道が広い契約ではない。
だが、不都合な条件を隠して署名させようともしていなかった。菜月は腹が立つほど整った契約書を、さらに読み進めた。最後のページに、見慣れない項目があった。
転生候補者登録の停止。
「これ、どういう意味ですか?」
「入社が成立した時点で、川瀬さんを転生候補者の一覧から外します」
高槻は条項を菜月へ向けた。
「雇用期間中、弊社が川瀬さんを転生目的の殺害対象とすることはありません」
「別の方法で殺されないってことですか?」
「弊社が転生を目的として実行する殺害については、そのとおりです」
「その言い方、気になるんですけど」
「病気や通常の事故まで防げるという契約ではありません」
「生命保険みたいな説明ですね」
「保険代理店での経験があるなら、区別は理解できるでしょう」
菜月はその条項をもう一度読んだ。ここに署名すれば、少なくともこの会社は、菜月を別の異世界へ送るために殺せなくなる。
口約束ではない。
契約書に書かれている。
(入社して、会社に殺されんための契約を結ぶことになるん!?)
順番は完全におかしい。
それでも、書かれている内容には意味があった。菜月が保険代理店で半年間学んだことの一つは、親切な説明より、書面に残された一文の方が信用できるということだった。
「一つ、確認させてください」
「どうぞ」
「今日、私を殺そうとしたことは、入社したらなかったことになるんですか?」
「なりません」
高槻は即答した。
「計画失敗として記録に残ります。現場の手順にも問題があったため、社内報告の対象です」
「謝罪文とかは?」
「必要であれば作成します」
「気持ちの入ってないやつですよね」
「業務上の謝罪文になります」
菜月はペンを取った。
「だったら、私も忘れませんから」
「外部へ漏らさなければ問題ありません」
「そういう意味じゃありません」
高槻は返事をしなかった。
菜月は雇用契約書の最後に自分の名前を書いた。
川瀬菜月。
書き終えた瞬間、高槻が双方の署名欄を確認した。
「本日付で、三原事務所の契約社員です」
「決まるの早くないですか?」
「双方が署名しましたので」
「まだ心の準備が」
「契約後に言われても困ります」
成瀬が業務用の端末を菜月へ向けた。
「社員証用の写真を撮ります」
「今ですか?」
「今日撮れば、次の出勤から正式な社員証を使用できます」
「無理です。殺されかけた後の顔ですよ」
「本人確認ができれば使用できます」
「一生残るんですよね?」
「再発行はできます」
「明日にしてください」
成瀬は高槻へ顔を向けた。
「高槻さん、仮登録で処理しますか?」
「はい。写真は後日撮影してください」
「分かりました」
「そういうところは融通が利くんですね」
「業務に支障がなければ対応します」
菜月は契約書の控えを鞄へ入れた。
「それで、高木部長の案件は?」
「その前に、川瀬さんの担当業務を決めます」
「さっき、関われるって言いましたよね」
「適性があれば、とお伝えしました」
高槻は高木正彦の候補者資料を画面に表示した。
営業部長。
勤続年数二十年以上。
目標達成率は高い。
部下の退職率も高い。
菜月が半年間受けた説教についても、すでに調査情報へ追加されていた。
「早すぎません?」
「調査部門が情報を収集しました」
「私が話してないことまで載ってるんですけど」
「候補者調査は、そういう業務です」
菜月は画面に並ぶ高木の経歴を見た。
「この人を、さっきの異世界へ提案するんですよね?」
「提案できるだけの適性があるか、これから確認します」
高槻は高木の候補者資料を印刷し、菜月の前へ置いた。
「川瀬さんの最初の仕事です」
「まさか、私が刺すんですか?」
「高木正彦さんの長所を探してください」
菜月は聞き間違えたと思った。
「長所?」
「依頼主へ条件変更を提案するには、高木さんが現地の問題を解決できる根拠が必要です」
「短所なら、今すぐ百個くらい書けます」
「それをそのまま悪口として提出しても、契約は取れません」
「でも、本当に最悪な人なんですよ」
「人柄の評価を頼んでいるのではありません」
高槻は資料の一項目を指した。達成困難な営業目標を部下へ課し、継続的に進捗を管理。
「これなら、高負荷環境での目標管理経験と言い換えられます」
「ただのパワハラですよね?」
「事実と異なる説明はしていません」
「言い方を変えただけじゃないですか」
「営業とは、相手が必要とする形で事実を伝える仕事です」
菜月は高木の写真を見下ろした。あれだけ嫌っていた男を異世界へ送るには、まず価値のある人材として売り込まなければならない。
(復讐するために、まず相手の長所を探して営業せんといけんの!?)
高槻は資料の余白を指した。
「明日の朝までに、高木さんがどのような仕事で役に立つのか考えてください」
「私、この人に仕返しするために入社したんですよね?」
「志望動機には書かれていません」
「あなたが消したんでしょう!」
高槻は新しいペンを一本、菜月の前へ置いた。
「復讐は契約成立後にしてください」
菜月の初仕事は、嫌いな上司の長所を探すことになった。




