第3話 わたしに殺らせてください
菜月の前に五枚の書類が並べられ、別世界への転生、記憶処理と続いていた。残りを読む前に、菜月は顔を上げた。
「この中に、普通に家へ帰る案はないんですか?」
「最後まで確認してから判断してください」
「一枚目から別の世界へ送ろうとしてますよね」
高槻は机を挟んで座り、成瀬は少し離れた場所で現場用の鞄を片づけていた。鞄の中へ包丁が入るのを見て、菜月は椅子ごと机から離れた。
「それ、まだ持ってたんですか」
「現場から戻ったばかりですので」
「私を刺す予定だった物を、私の前で片づけないでください」
成瀬は鞄を閉じ、菜月から見えない足元へ置いた。
「すみません」
謝罪はされたが、包丁を持ってきたことへの謝罪ではない気がした。高槻が一枚目の書類を菜月へ向ける。
「元の契約は終了しましたが、川瀬さんを必要とする別の世界を探すことはできます」
「探さなくていいです」
「条件次第では、現在より良い生活を用意できます」
「死ぬのが前提ですよね?」
「はい。転生には死亡が必要です」
「嫌です」
菜月は一枚目を裏返した。
「では、本人不同意として保留します」
「却下してください」
「状況が変わる可能性があります」
「私の気持ちは変わりません」
「それも状況の一つです」
高槻は一枚目の欄へ、本人不同意と記録した。そのまま二枚目へ移る。会社について知った記憶を消し、菜月を元の生活へ戻す案だった。
「それなら……」
菜月は書類を引き寄せた。
「今日のことだけ忘れるんですか?」
「処理する範囲は指定できます。ただし、この事務所には設備がありません。本部への移送と、処理後の経過観察が必要です」
「危険なんですか」
「人によります」
「大丈夫だった人は?」
「大部分です」
「大部分じゃなかった人は?」
高槻は答える代わりに、書類の注意事項を指で示した。
頭痛、記憶の混乱、一時的な人格変化。
低い確率で、指定していない記憶が欠ける可能性もある。
「これ、元に戻れないこともあるって書いてますよね」
「可能性はあります」
「先に言ってくださいよ!」
「今、説明しています」
(前の会社も、説明したの一点張りじゃったけど、こっちは副作用まで書面にしとる。ましなんか、余計に怖いんか分からん!)
菜月は二枚目も裏返した。
「記憶処理も嫌です」
「分かりました」
高槻の手が三枚目へ伸びる。
「これは?」
「秘密を保持したまま、指定された住居で生活していただく案です。通信と外出には制限がつきます」
「監禁じゃないですか」
「生活費は弊社が負担します」
「待遇のいい監禁!」
住居の場所は選べず、定期的な面談と行動確認がある。新しい受け入れ先が見つかった場合は、再び転生候補として検討される。菜月は最後まで読む前に、書類を高槻へ押し返した。
「これもなしです」
「一か月あたりの管理費が高いため、弊社としても優先度は低いです」
「私が嫌だからじゃないんですか」
「それも理由の一つです」
「一番にしてください」
(前の会社でも人の都合より経費が先じゃったけど、命まで同じ基準で決めるん!?)
四枚目には、緊急時に菜月を殺害する案が記されていた。菜月は紙を持ち上げ、高槻と成瀬を交互に見た。
「これは何ですか」
高槻が人差し指で紙の該当箇所を示す。
「機密流出を防ぐため、対象者を速やかに殺害する案です」
「また殺すってことですよね?」
「今回は採用できません」
「安心させる順番がおかしいんですよ!」
菜月は書類を机へ置いた。
「だったら、どうして候補に入ってるんですか」
「規定上、検討した記録を残す必要があります」
「検討したんですか?」
「しました」
高槻は平然と答えた。
「契約のない人材を、口封じだけを理由に殺害すれば監査対象になります。今回、機密を知られた原因は弊社側の失敗です。規定を破って処理すれば、問題が一件から二件に増えます」
「私を殺すかどうかを、問題の件数で決めないでください」
「結果として採用していません」
菜月は四枚目を机の端へ遠ざけた。残るのは、最後の一枚だった。
三原事務所での雇用。
「……これが一番まともに見えるのが嫌なんですけど」
「機密保持契約を結び、社員として管理下に置く案です」
「管理下って言い方、やめてもらえます?」
「では、雇用関係に置きます」
「言い直しても、あまり良くなってません」
成瀬が机へ近づき、菜月の経歴書を手に取った。
「保険代理店にいたんですよね」
「半年だけですけど」
「事故の聞き取りはしていましたか」
「補助ならやってました。契約者から状況を聞いて、報告書にまとめたり」
「病院や警察向けの書類も読めますか」
「一応は」
「苦情対応の経験はありますか」
菜月は成瀬をにらんだ。
「毎日、上司から苦情みたいな説教を受けてました」
「それは社内対応ですね」
「冗談です」
「分かりにくいです」
成瀬は経歴書を高槻へ渡した。
「事故後の書類や警察対応を行う補助なら、戦力になると思います。三原市内の道も分かりますし、現場で人手が足りない場合にも動けます」
「動けますって、人を機材みたいに」
「社員として、という意味です」
高槻は菜月の経歴書と処遇案を見比べた。
記憶処理には、本部への移送費がかかる。指定住居で管理すれば、生活費と監視費が継続して発生する。別世界への転生は、新しい契約先を探すまで利益にならない。
雇用なら、機密保持と人員補充を同時に処理できる。
「雇った方が安いな」
「本人の前で言います?」
「判断理由を隠す必要はありません」
高槻は雇用案を菜月の前へ置いた。
「試用期間つきの契約社員です。配属は三原事務所。営業補助、候補者調査、事故後の現場対応の補助を担当していただきます」
「働くなんて言ってません」
「初任給は月額五十万円です」
菜月の目が止まった。
「……五十万?」
「危険手当と機密保持手当を含みます」
「危険なんじゃないですか!」
「先ほど、仕事内容の一部をご覧になったと思います」
「殺されかけたことを職場見学みたいに言わないでください!」
菜月は雇用案を手に取った。
基本給、危険手当、機密保持手当。
試用期間中も金額は変わらない。
社会保険、交通費、残業代は別途支給。
休日や勤務時間についても、曖昧な表現ではなく数字で記載されていた。
(今日受けた会社の求人票より、うちを殺そうとした会社の方が条件をはっきり書いとるんじゃけど!?)
怪しい。
どう見ても怪しい。
それでも、前の会社より条件が明確なのが腹立たしかった。
「まともな会社みたいなことを書かないでください。判断が鈍ります」
「給与と労働条件は、契約どおり守ります」
「人を勝手に殺す会社なのに?」
「それと労働契約は別です」
菜月は雇用案を机へ戻した。
「無理です」
五十万円は惜しい。
かなり惜しい。
それでも、自分を刺そうとした会社で働くなど、まともな判断ではなかった。
「私を殺そうとした人たちと、毎日顔を合わせられるわけないでしょう」
「分かりました」
高槻は引き止めなかった。雇用案を五枚の下へ戻し、記憶処理の書類を取り出す。
「では、残る案を再検討します」
「待ってください。何でそんなに切り替えが早いんですか」
「雇用を拒否されたので」
「少しくらい説得するとか」
「希望されるんですか?」
「してません!」
そのとき、高槻の端末が短く鳴った。
条件の再調整を含む代替案に使用できる候補者情報が、本部から届いていた。高槻は画面を開き、送られてきた資料を確認する。
「現在の契約条件には一致しませんが、再提案に使用できる可能性がある候補者が見つかったようです」
「さっきの異世界に送る人ですか?」
「まだ決まっていません。依頼主へ条件変更を提案するための候補です」
画面に、四十代の男の顔が表示された。菜月は椅子から立ち上がった。
「た、高木部長?」
高槻の視線が、立ち上がった菜月と画面の写真を往復する。画面の高木は、会社案内用の写真らしく、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「待ってください。依頼主が欲しがっていたのは、若い女性ですよね」
「はい」
「この人、どちらの条件にも当てはまってませんけど」
「高木さんは四十六歳の男性です。現行の人材条件には適合しません」
「だったら、候補にならないじゃないですか」
「現在の契約のままでは納品できません」
高槻は高木の資料を開いた。
氏名、年齢、職歴。
営業部長。
勤続年数二十年以上。
目標達成率は高い。
部下の退職率も高い。
「依頼主が若い女性を求めた理由を再確認します。その理由となった問題を高木さんで解決できると判断した場合に限り、性別と年齢を含む契約条件の変更を提案します」
「四十代の男性を出して、納得すると思います?」
「納得していただくために、適性を調査して提案資料を作成します」
「契約条件を変えられなかったら?」
「高木さんは納品しません。現行条件を満たす別の候補者を探します」
高槻は当然の手順を説明するように答えた。
「本人に計画を知られた場合は、元の状態へ戻せません。しかし、性別と年齢は、依頼主の承認を得て契約書を変更すれば調整できます」
「勝手に条件を無視するわけじゃないんですね」
「契約変更が成立する前に実行することはありません」
菜月は画面の高木を見つめた。
「その人を……どうするんですか」
「依頼主が抱えている問題に適合するか調査します。適合すると判断した場合は、契約条件の変更案と併せて再提案します」
「提案が通ったら?」
「変更後の条件で新しい契約を締結し、その契約に基づいて殺害し魂を送ります」
退職すると伝えた日も、甘えるなと怒鳴られた。面接へ行くと伝えた今日も、終わったら会社へ戻れと何度も電話をかけてきた。短期間で辞めるのは根性がないからだと、同僚の前で笑われたこともある。
「どこの世界へ送るんですか」
「社員でない方には説明できません」
「今さら秘密にするんですか?」
「これまでお話ししたのは、川瀬さん自身の処遇に必要な情報です。高木さんの案件は別です」
高槻は高木の画面を閉じようとした。
「待ってください」
菜月が机へ手をつく。
「入社したら、その案件に関われますか」
「適性があれば」
「具体的には?」
「現場の補助、候補者調査、依頼主向け資料の作成。まずはそのあたりでしょう」
「高木部長を殺す計画にも?」
「契約条件の変更が成立した場合に限ります。実行担当になるには研修が必要ですが、現場の補助であれば、案件に応じて参加していただきます」
高槻は、五枚の下から雇用案を抜き出し、先ほどと同じ場所へ戻した。
「どうしますか」
菜月は雇用案には手を伸ばさず、高木の写真が消えた画面を見つめた。
恐怖は消えていない。
この会社を信用したわけでもない。
高木を本当に異世界へ送れるかどうかも、まだ決まっていない。それでも、胸の奥にあった別の感情が、五十万円よりも強く菜月の背中を押した。
「その案件――」
菜月は高槻をまっすぐ見た。
「私に殺らせてください」




