第2話 生きて帰れそうにありません
菜月は、数分前まで自分を刺す予定だった男の車に乗っていた。後部座席で録音中のスマートフォンを握り、運転席の成瀬へ画面を見せる。
「変な場所へ連れていったら、すぐ警察へ連絡しますから」
「分かりました」
成瀬は速度を変えなかった。
「返事、軽くないですか」
「重く返事をしても、行き先は変わりません」
「そういうところですよ」
「どういうところですか」
「人を刺そうとしておいて、普通に会話できるところです」
成瀬はバックミラー越しに菜月を確認したが、表情は変えなかった。
「川瀬さんを刺す計画は中止になりました。現在、川瀬さんへ危害を加える予定はありません」
「予定がなければ安心できると思います?」
「思っていません」
謝られても許すつもりはない。だが、最初から許してもらおうとしていない態度も気に入らなかった。
「あなた、あの会社で何をしてるんですか」
「現場の仕事です」
「人を刺すのが仕事?」
「今日はそうでした」
「今日は?」
「毎回、刺すわけではありません」
「ほかに何をするんですか」
「それは高槻さんから聞いてください」
担当外のことは答えないらしい。
菜月は窓の外へ目を向けた。三原駅の高架が後ろへ流れ、ショッピングモールが窓を横切った。海側へ進むにつれ、低い倉庫と荷さばき場が増えていく。
見慣れた三原の道だった。
知らない山奥へ連れ去られているわけではない。それがかえって気味が悪い。自分の生活圏の中に、人を殺して異世界へ送る会社が存在していた。
「一つだけ聞きます」
「何でしょう」
「私が電話に出なかったら、成功してたんですか」
信号機の音が、車内に響いた。
「おそらく」
「そうですか」
高木の電話に感謝する気にはなれない。それでも、あの着信がなければ、自分は今ごろ生きていなかった。
車は駅を離れ、瀬戸内の潮風が香る古浜町へ入った。やがて、港沿いにある建物の前で止まる。右手には港の水面が続き、対岸の集合住宅の向こうを山並みが囲んでいた。
「ここです」
入口脇の小さな金属板には、「株式会社ネクスト・ライフ・エージェント」と刻まれている。外から見れば、何の変哲もない事務所だった。
「普通ですね」
「会社ですので」
「普通の会社は、社員に包丁を持たせません」
「それはそうですね」
菜月は録音が続いていることを確認し、成瀬の後ろについて建物へ入った。
事務所には、高槻が一人で待っていた。菜月の父親より少し若く見える。きちんとしたスーツを着ており、電話で聞いた声と同じく、表情にも焦りがない。机の上には、書類と業務用の端末が並べられていた。
「高槻です」
「川瀬菜月です。そちらは知っていると思いますけど」
「はい。お掛けください」
「立ったままでいいです」
「分かりました」
高槻は無理に勧めず、机を挟んで菜月と向き合った。
「怪我はありませんか?」
「はい?」
「成瀬さんと接触した際に、転んだり、どこかを打ったりはしませんでしたか」
「してません。心配してるんですか」
「現場事故の報告に必要です」
高槻は端末の入力欄を開き、菜月の返答を記録した。
(殺そうとしたことは業務で、肩がぶつかったことは事故報告なん!?)
菜月はスマートフォンを机の中央へ置いた。録音中の画面を高槻へ向ける。
「録音しています」
「構いません。ただし、この場で知った情報を第三者へ伝えた場合、機密漏洩として川瀬さんの処遇を再検討することになります」
「処遇って何ですか」
「複数の案があります。詳細は書面で説明します」
「帰れる案もあるんですか」
「あります。帰れない案もあります」
「それ、脅してますよね」
「選択肢を説明しています」
高槻は一冊の書類を菜月の前へ置き、表紙をこちらへ向けた。
「こちらが、先ほど電話でご説明した契約に関する書類です。確認してください」
菜月は唇を結び、机の上の契約書へ目を落とした。
自分の名前が書かれている。
住所も、勤務先も、退職予定も、今日面接を受けた会社も載っていた。
「気持ち悪い」
「そう思われることは理解しています」
「理解してて、やったんですよね」
「業務に必要でしたので」
高槻は否定も弁解もせず、契約書の該当箇所へ付箋を貼った。菜月が読んでいる間、ページを急かしてめくらせることもない。
(自分を殺す契約書の方が、前の会社の雇用契約よりちゃんと読ませてもらえるんじゃけど!?)
判断基準がおかしくなりそうだった。
「死んだ後で、転生したくないって言ったら?」
「魂を送る前に、転生先の条件を説明する場合もあります。拒否された場合は、受け入れ条件を調整します」
「生き返らせるんじゃなくて?」
高槻は答えなかった。その沈黙だけで十分だった。菜月が書類から顔を上げたとき、机上の端末が鳴った。高槻は画面を確認した。
「異世界セルディアの依頼主、オルダンからです」
「私を買う予定だった神様?」
「契約上は受け入れ先です」
菜月は何も言わず、高槻をにらんだ。
「少し失礼します」
高槻は通信をつないだ。
画面は菜月から見えない角度へ向けられている。相手の言葉は聞き取れなかったが、怒っていることだけは分かった。
「はい。弊社の不手際です」
高槻は相手の話を遮らず、端末の記録欄へ入力を続けた。
「今回の実行は失敗し、対象者は生存しています」
菜月は、自分が対象者と呼ばれたことに顔をしかめる。
「本人が転生予定を認識しました。本人へ転生予定を悟らせないという契約条件を満たせないため、このまま納品することはできません」
端末の向こうから、さらに大きな声が返った。
高槻は表情を変えず、最後まで聞いた。
「ご希望は理解しています。しかし、契約条件を満たさない人材を送れば、再度問題になります」
画面へ一度視線を落とした。
「代替人材を用意します」
菜月が高槻を見る。
「期限までに代替候補を提示します。契約変更に伴う追加の手配費用は、弊社が負担します」
相手はすぐには納得しなかったらしい。高槻は確認事項を一つずつ読み上げ、合意した内容を記録していく。
(うちを殺そうとした会社の方が、前の会社よりクレーム対応の初動がまともなんじゃけど!?)
「このたびは、弊社の現場管理に不備がありました。申し訳ありません」
通信が切れる。
高槻は記録を保存し、端末を置いた。
菜月は、通信相手へ頭を下げていた高槻へ冷たい視線を向けた。
「謝ることはできるんですね」
「弊社に責任がありますので」
「私には謝らないんですか」
高槻は眉一つ動かさず、菜月へ向き直った。
「今回の計画に失敗し、秘密を知られる状況を作ったことについてはお詫びします」
「殺そうとしたことじゃなくて?」
「契約に基づく業務でした」
「やっぱり最低ですね」
「先ほども伺いました」
菜月は息を吐いた。
「今の話だと、私の代わりに別の人を送るんですよね」
「はい」
「じゃあ、私はもう関係ないですよね」
「元の契約については、そのとおりです」
「だったら帰ります」
菜月は机のスマートフォンを取った。
高槻は引き止めなかった。
代わりに、机の横に置いていた一枚の書類を取り、成瀬へ差し出す。
「成瀬さん、こちらを川瀬さんへ渡してください」
「分かりました」
成瀬が書類を受け取り、菜月の前へ置いた。
菜月は立ったまま読んだ。
川瀬菜月・機密露見後の処遇案
案一・別世界への転生
※死亡を伴う
「ちょっと待ってください」
菜月は書類を指さした。
「まだ私を殺すつもりなんですか?」
高槻は席を立たず、処遇案の表題へ指を置いた。
「元の納品契約は終了しました」
「だったら、これは何ですか」
「今度は、川瀬さん自身の処遇です」
高槻は書類の続きを開いた。
「あなたをそのまま帰すかどうかも含めて、これから決めます」




