第1話 不運な通り魔事件
『異世界転生』
そう聞いて、あなたは何を想像するだろう。
履歴書の空白を問われ、年齢や学歴でふるいにかけられ、ようやく入った会社では「代わりはいくらでもいる」と言われる。毎月の少ない給料は税金と家賃と生活費に消え、それでも明日は今日と変わらない一日が待っている。
そんな現実から離れ、魔王を倒せるほどの力を与えられ、英雄として迎えられる人生。
誰にも急かされない世界でのんびり暮らす人生。
あるいは、前の人生では得られなかった仲間や家族に囲まれ、今度こそ幸せになる人生。
どれも、間違いではない。
現実では替えの利く一人だった人間が、異世界では「あなたでなければならない」と求められる。
魅力的でないはずがない。
では、その幸運を手にする人間は、どのように選ばれているのだろう。
たまたま事故に遭い、たまたま神に見つけられ、たまたま異世界で必要とされる才能を持っていた。そんな偶然が幾つも重なった末に起きた、宝くじのような奇跡。
本当に、そうだろうか。
異世界にも事情がある。
魔王を倒せる勇者が欲しい国もあれば、荒れた領地を立て直せる人間を求める神もいる。剣の才能、現代の知識、性格、年齢。転生者に求められる条件は、世界によって異なる。必要な人材を、偶然が運んでくるのを待ってはいられない。
だから、選ばれる。
経歴を調べられ、適性を確かめられ、転生後に与えられる役割まで決められる。そして異世界へ送られると決まった人間には、今の人生を終えるための死が用意される。あなたが不運と呼んでいるものが、本当にすべて偶然だったと、誰が決めたのだろう。対象者の選定から、転生先との契約、現世を離れるための死亡方法まで。
それらを一括して請け負う会社が、この世界に存在するとしたら?
* * *
夕方六時十二分、広島県三原市内の細い道を、川瀬菜月は転職面接を終えた帰りに一人で歩いていた。
十数歩後ろでは、成瀬航平が通行人を装い、上着の内側に包丁を隠して菜月との距離を測っている。高槻修司は会社の事務所で、成瀬の胸元につけたカメラの映像を見ていた。
「成瀬さん、予定どおり実行してください。対象者の動きに変更があった場合は、自己判断せず報告をお願いします」
『分かりました』
「本人には、異世界転生だと悟られないようにしてください」
映像には、紺色のスーツを着た菜月の後ろ姿が映っていた。手には就職案内の入った鞄がある。歩く速さは事前の調査より少し遅かった。面接が予定より長引いたうえ、帰り道へ入ってから何度もスマートフォンを確認している。
それ以外は計画どおりだった。
成瀬がすれ違いざまに一度だけ刺す。死亡を確認したあと、菜月の魂を契約先へ送り、契約どおりに転生したことを確認すれば業務は完了する。
現世には、不運な通り魔事件だけが残る予定だった。
「距離を詰めすぎないでください。次の角までは、今の間隔を維持してください」
『分かりました』
「映像が安定していません」
『道が少し傾いています』
「現場環境を理由に、記録不備を出さないでください。歩幅を調整してください」
『……分かりました』
高槻は机の時計を確認した。
実行予定まで、あと一分。
菜月のスマートフォンが震えた。画面を見た途端、肩が目に見えて下がる。
『高木正彦さんです』
「元上司の方ですね」
『今月に入って七十八回、連絡しています』
「記録は確認しています」
『休日を除いた回数です』
「追加情報として記録してください」
菜月は着信を拒否した。すぐに、もう一度スマートフォンが震える。今度は足を止め、電話に出た。
「はい」
相手の声は、成瀬の位置までは届かない。
菜月は黙って聞いていたが、しばらくすると鞄の持ち手を強く握った。
「今日は戻りません。面接に行くことは伝えていましたよね」
成瀬が歩調を落とす。
『このままだと追いつきます』
「一度、通り過ぎてください」
『顔を見られます』
「通行人として見られるだけです。予定位置へ戻れれば問題ありません」
成瀬は菜月の横を通り過ぎた。菜月は一瞬だけ顔を向けたが、それ以上の反応はなかった。
「半年で辞める人間はどこへ行っても通用しないって、今日の面接でも言われました」
声がわずかに震えていた。
「だから何ですか! 部長まで同じことを言いたいんですか」
成瀬が角を曲がる。
高槻は時計を見た。
「成瀬さん、戻ってください。予定地点には間に合います」
『分かりました』
成瀬が向きを変えた。二人の距離が縮まっていく。
二十メートル。
十五メートル。
十メートル。
成瀬の右手が上着の中へ入った。
五メートル。
「もう、知りません」
菜月は通話を切った。
スマートフォンを鞄へ戻そうとしながら足を止め、来た道へ引き返そうとする。その動きを予測していなかった成瀬は避けきれず、菜月の肩へぶつかった。
「あっ、すみません」
菜月がよろめく。
成瀬は反射的に右手を上着から抜き、菜月の腕を支えた。
その拍子に、上着が開いた。
内側のベルトに、黒い鞘へ収められた包丁が固定されていた。菜月の頭が、一瞬だけ目の前の光景を拒否した。
(マイ包丁? 料理教室の帰り? いやいやいや、料理教室帰りの人が脇腹に固定せんじゃろ!)
成瀬の手を振り払い、二歩下がった。
「……今、包丁が見えましたけど」
成瀬は黙った。
「対象者に刃物を視認されました」
「対象者って、私ですか?」
成瀬は耳元の通信機から返ってきた指示を聞いた。
「分かりました」
包丁には触れず、両手を菜月から見える位置へ下ろす。そのまま、ゆっくりと距離を取った。
「何が分かったんですか」
「実行中止です」
「何の実行ですか」
「私からは説明できません」
「報告はできるのに?」
「担当範囲が違います」
報告、確認、上司への相談、実行中止。
包丁を見つけてから、十秒もかかっていない。
(刃物を持った通り魔の方が、前の会社より報連相できとるんじゃけど!?)
比較対象がおかしい。
分かっているのに、否定できなかった。
「警察へ連絡します」
菜月はスマートフォンを鞄から引き抜いた。
通報しようと画面へ指を伸ばしたところで、非通知の着信が表示される。
「出てください」
「誰ですか」
「私の上司です」
「包丁を持っている人の上司ですよね」
「はい」
「信用できる要素が増えません」
着信は切れずに続いていた。菜月は成瀬を見たまま通話ボタンを押し、音声をスピーカーへ切り替えた。
「もしもし」
『川瀬菜月さんですね。株式会社ネクスト・ライフ・エージェントの高槻と申します』
「どうして私の名前と電話番号を知っているんですか」
『弊社が事前に調査していたためです』
「何のために?」
『川瀬さんは、異世界へ紹介する人材として選ばれていました』
「……何ですか、それ」
『本日、成瀬さんが川瀬さんを刺し、亡くなったあとの魂を異世界の契約先へ納品する予定でした』
菜月の指が止まった。
スマートフォンを見る。
成瀬を見る。
もう一度、上着の内側を見る。
「この人が、私を殺す予定だったんですか」
『はい。成瀬さんは、通り魔を装って計画を実行する担当でした』
「そんなことを、業務報告みたいに言わないでください!」
『業務ですので、事実関係を順に説明しています』
菜月の膝が震えた。
冗談には聞こえなかった。冗談を言う人間の声には、少しくらい楽しそうな成分が含まれるはずだ。電話の男には、それが一滴もなかった。
「どうして私なんですか」
『社会人経験のある若い女性を紹介してほしいという依頼がありました。条件を確認した結果、川瀬さんを候補として選定しました』
「私の同意は?」
『いただいていません』
「それで殺そうとしたんですか」
『本人へ転生予定を悟らせないことが、今回の契約条件だったためです』
「本人に黙って殺す契約が通るんですか」
『通っています』
即答だった。
『ただし、現在は川瀬さんが計画を認識しています。本人が転生予定を認識した状態で、そのまま実行することは、昨今のコンプライアンス上、認められていません』
(うちに黙って殺す方は、コンプライアンスに反せんのん!?)
「黙って殺すこと自体は問題ないんですか」
『今回の契約では、事前説明を行わないことが条件でした』
「同じ答えを丁寧に繰り返さないでください!」
『今回の実行は中止します』
「別の方法で、また殺すつもりじゃないでしょうね」
『別の手順で再納品するには、計画変更の稟議が必要です。実行可能時間内には、承認が間に合いません』
(命が助かった理由、稟議なん!?)
人生で初めて、承認の遅い会社に感謝した。
「つまり、今日は殺されないんですか」
『少なくとも、本日の再実行はありません』
「明日以降は?」
『今後の対応について、社内で検討します』
「全然安心できないんですけど!」
『安心できる状況ではないと認識しています』
認識はしているらしい。
改善するとは言っていない。
「警察に行きます」
『承知しました。弊社から止めることはありません』
「止めないんですか」
『成瀬さんが刃物を所持していたことは事実です。ただし、川瀬さんの契約書、調査記録、現場計画は弊社で管理しています』
「証拠があるんですか」
『はい。会社までお越しいただければ、内容をご確認いただけます。その後、警察へ連絡していただいても構いません』
成瀬は両手を下ろしたまま、高槻から指示された距離を守っている。
包丁を持っている。
自分を刺そうとしていた。
それでも、上司への報告は早かった。指示を聞いた。実行中止を守り、勝手に近づいてこない。担当外の質問には、分からないまま答えようともしなかった。
(高木部長より話が通じるって思うたら終わりじゃろ、うち!)
「契約書は、先に読ませてもらえるんですよね」
『はい。内容をご説明し、確認していただきます』
「あの……事前に契約内容を説明してくれるんですね。前の会社は、それすらなかったので……」
(何を安心しとるん、うち。これ、殺して異世界へ送る契約書じゃろ!)
『成瀬さん、車を回してください。川瀬さんを会社までお連れしてください』
「川瀬さんが拒否した場合は?」
『無理に乗せないでください』
「行きます」
菜月が割って入った。
「顔を見て、全部説明してもらいます。通話も、これからの話も記録しますから」
『問題ありません』
「逃げないでくださいね」
『こちらは会社です。営業時間中に逃げる理由はありません』
あまりにも普通の返事だった。
高槻は通話を切る前に告げた。
『到着後、今回の納品失敗に関する経緯と、今後の対応をご説明します』
「納品って、私のことですか」
『はい』
「本当に最低ですね、その会社」
『その点も含めて、到着後にご説明します』
通話が切れた。
成瀬は菜月から距離を保ったまま、近くに止めていた車へ向かった。
菜月は車のナンバーを撮影し、スマートフォンの録音を開始した。画面を成瀬へ見せてから、後部座席へ乗り込む。
運転席へ座った成瀬が、バックミラー越しに菜月を確認した。
「シートベルトをお締めください。弊社では安全運転を徹底しておりますので」
(さっきうちを刺そうとしとったのに!?)




