第25話 事故が起きません
「フィリマ様、ヴィネットの工房は、その後どうですか」
事務所の壁掛けテレビから、女神の声が届いた。美知留は商談用端末に、前回案件の受領後確認を開いている。
『相変わらずじゃ。夫婦そろって、注文を受けてから材料を数えておる』
「器への定着は問題ありませんか?」
『問題ない。先日の魂はよかったぞ。あれなら、いずれ二人をまとめられる』
「それは何よりです」
『それでな、美知留。もう一人、頼みたい』
美知留の指が、新規依頼の入力欄を開いた。
「どのような方をご希望ですか?」
『小さな異変を見逃さず、事故が起きる前に人と設備を止められる者じゃ』
「配置先はどこになりますか?」
『わらわが気に入っておる街に大きな施設がある。あれが事故で壊れるのは惜しい』
「死亡条件も伺ってよろしいですか?」
『不運な死がよい』
美知留は入力した二つの条件を読み返した。
「危険を避けられる方を、不運な事故で亡くならせる契約になりますが」
『その条件で頼む。工程はそなたらへ任せる』
「承知しました。候補者と実行条件を確認して、改めてご連絡します」
通信が切れると、美知留は依頼書を高槻の端末へ送った。
「工場長さんの件から、続けて受注になったよ」
「死亡条件は、不運な事故死ですね」
高槻が依頼書を開く。菜月と成瀬の端末にも、候補者資料が共有された。
大型施設で設備管理を担当する人物だった。巡回記録には、作業許可のない保守作業を止めた件や、異音の原因が判明するまで設備を動かさなかった件が残っている。
「依頼条件との適合率は高いです」
「事故を防ぐのが得意な人を、事故で死なせるんですか?」
「その二つが今回の契約条件です」
菜月は候補者資料と死亡条件を並べた。資料を読むほど、事故から遠ざかる人に見える。
演出課から、最初の工程案が届いた。候補者が閉館後の巡回で設備区画へ入った際、固定部の異常を起点に事故を成立させる計画だった。
「この人、固定部分が緩んでいたら、先に見つけませんか?」
「候補者の巡回範囲には含まれています」
「一か所だけおかしかったら、そこを止めて終わると思います。この計画だと、事故が起きません」
高槻が工程案を閉じた。
「代案がありますか?」
菜月の視線が、自分の机に置いた年間目標の控えへ移った。
(最初の一件が、人を死なせる方の業務改善になるん?)
「前の会社で事故報告を扱ったとき、原因が一つだけの案件は少なかったです」
候補者資料の横へ、空白のメモを開く。
「水漏れとか、部品の緩みとか、電気設備の不具合とか。一つずつなら、その場で直せる程度の異常を、別々の場所で起こすんです」
「最終的な事故だけを、候補者の巡回経路へ接続するということですか?」
「はい。どれが原因か、すぐには分からないようにすれば、一つ見つけただけでは全部止めないかもしれません」
高槻が演出課へ回線をつないだ。
「複数の小規模異常を連鎖させる工程は設計可能ですか?」
『可能です。候補者以外が立ち入らない時間帯に限定し、各段階に停止条件を設定します』
「契約上、不運な事故死として成立しますか?」
『成立する形で設計可能です』
「第三者が入った場合は」
『全工程を中止します』
「対象者が予定経路を変更した場合も中止してください。成瀬さん、現場側の確認は可能ですか?」
「可能です。回収経路と退避位置を先に確認します」
「では、再設計をお願いします」
高槻は工程案の提案者欄へ、菜月の名前を入力した。
「私の名前が入るんですか?」
「川瀬さんの提案ですので」
「まだ成功していないんですけど」
「年間目標へ算入するのは、実行結果と改善点の報告後です」
提案しただけでは、一件にはならなかった。
* * *
数日後、閉館後の施設で工程が開始された。
成瀬は建物の外に止めた作業車から、演出課と事務所へ現場映像を送っている。菜月は高槻の隣で、工程表と映像を見比べた。
『周辺職員の退避を確認しました』
「開始してください」
映像の端で、天井の継ぎ目から水滴が落ちた。
一滴目が床へ小さな跡を作る。
少し離れた壁の表示灯が、一度だけ消えた。
頭上の設備から短い金属音が響く。その振動で、通路脇の作業用台車が数センチ動いた。
候補者が通路の角を曲がる。
手元の巡回表へ目を落としたまま、水滴の手前まで来た。次の一滴が落ちる。
足が止まった。
「これ、いつからこの状態だ?」
無線から職員の声が返る。
『先ほど見つけました。漏れは少量です』
「今日、この上で作業した記録は?」
『ありません』
候補者は天井と床を見比べ、巡回表を閉じた。
「この区画の設備を全部止めて。通路も閉鎖。原因が分かるまで誰も入れないで」
『水漏れだけですよね?』
「今見えているのが、それだけだ」
映像の表示灯が消えた。
『連鎖工程中止。対象者が区画全体の停止を指示しました』
「後続工程は」
『起動条件を失いました。全工程を終了します』
菜月は、まだ濡れていない床の大部分を見た。
(自分の死亡工程を、自分で安全点検して終わらせた!?)
候補者は職員へ点検記録の確認を指示し、水滴の落ちた位置へ立入禁止の表示を置いた。自分が事故を回避したことには気づかないまま、別の区画へ歩いていく。事務所に戻った成瀬が、現場記録を提出した。
「第三者の侵入はありません。演出課員も予定どおり退避しています」
「候補者が停止を指示した時点は」
「連鎖開始直後です。五段階ある後続工程は、どれも動作していません」
高槻は候補者評価票へ、実地確認済みの項目を追加した。
「小規模な異常の発見、記録との照合、原因判明前の一括停止。依頼条件への適合を確認しました」
「死亡工程は失敗していますけど」
「候補者評価と、死亡工程の難易度は別です」
高槻は提案結果の報告書を開き、菜月へ入力を促した。
「失敗、と書けばいいですか?」
「第一工程で異常を発見され、関連設備を一括停止されたため不成立、と記録してください」
「改善点は?」
「原因不明の異常に対し、対象者が影響範囲を限定せず停止する可能性を想定していなかったことです」
菜月はそのまま入力した。
年間目標の実績欄に、一件目が追加された。実行結果には、死亡工程不成立と記録された。
「失敗でも、一件になるんですか?」
「実行結果と改善点の報告まで完了していますので」
「演出課へ、候補者の停止判断を反映した再設計を依頼します」
高槻が工程不成立の記録を承認した。
菜月が提案した最初の死亡工程は、一滴の水が床へ落ちたところで終了した。




