第22話 まだ働いています
「三番ラインは止めないでください。代わりの材料で、一つだけ試します」
菜月が工場へ潜入してから、二週間以上が過ぎていた。届くはずの材料は、朝から倉庫へ入っていない。工場長は在庫表と生産表を並べ、倉庫担当者が示した別の材料に指を置いた。
「強度は同じですか」
「規格上は同じです。ただ、別の注文用に取ってあります」
「一つだけ流してください。検査を通れば、材料が届くまで代わりに使います」
「そちらの注文はどうしますか」
「今日の使用分だけです。残りは動かしません」
作業員が材料を運び、試作品をラインへ流す。
検査結果を待つ間にも、工場長の電話は二度鳴った。一件目には納期を答え、二件目には仕様書の再送を求める。通話を切ったところで、別の班長が不良品を一つ持ってきた。
「四番ラインで、取付位置がずれています」
「最初に見つかったのは何時ですか」
「十時二十分です」
「その前に作った箱は出荷に回してください。十時二十分以降の分だけ分けます。機械を確認するまで、四番は止めてください」
工場全体を止めることなく、不良が出た範囲だけが切り離された。代わりの材料で作った試作品にも、検査済みの札が付く。
「問題ありません」
「三番を再開してください。元の材料が届いたら戻します」
工場長は二本のラインを動かし、生産表に変更を書き込んだ。
菜月は端末に、材料の変更時刻と不良品が出た範囲を入力する。事務所から、候補者評価を更新したとのメールが届いた。高槻の所見も添えられている。
『人員配置、工程変更、品質管理の実績を追加しました。依頼条件は満たしています
想定以上の処理能力です』
(評価が上がるほど、死ぬまでに処理する仕事が増えとる!)
昼過ぎ、菜月は工場内の事務所で、新旧二種類のラベルを納品先ごとに分けていた。
工場長の机には、生産表と仕様書が重なっている。弁当の蓋は開いていたが、中身はほとんど減っていなかった。扉が開き、常務が勤怠表を一枚置いた。合計欄には、今月の残業時間として二百三時間と印字されている。
「工場長、今月の残業、みなしの四十五時間を超えとるじゃろ。超えた分は来月の勤怠につけてくれ」
「今の注文が残るので、来月も四十五時間を超えます」
「なら、来月に収まらん分は再来月に回してくれ」
工場長の親指が、勤怠表の端で止まった。
「分かりました」
(回すたびに、四十五時間ずつタダになるん!?)
常務は勤怠表を机に残し、次の予定を確認しながら事務所を出ていった。工場長は紙を生産表の下へ差し込む。
電話が鳴った。
「はい。確認します」
開いたままの弁当から箸を離し、受話器を取る。通話の途中で、作業員が確認書を持ってきた。工場長は電話を肩に挟んだまま書類を読み、空いている手で修正箇所を指した。
「ここだけ直してください。ほかはそのままで構いません」
電話を切ると椅子から立とうとしたが、身体が途中で止まり机に片手をつく。
菜月の指も、ラベルの上で止まった。工場長は一度息を吐き、机を押して立ち上がる。そのまま確認書を持って工場へ戻っていった。
菜月は端末の報告欄を開いた。
対象者を休ませる必要あり――
そこまで入力し、文字を消す。代わりに、見た事実だけを打ち込んだ。
対象者、一度立ち上がれず。机に手をついた後、作業を再開。
送信すると、工場長の声が工場内へ響いた。
「四番ライン、再開できます。十時二十分以降の分から検査に回してください」
止まっていたコンベアが動き出す。工場長の肩から、わずかに力が抜けた。すぐに、机の電話が鳴った。
午後、菜月は工場内の時計を確認した。
工場長は事務所へ戻り、変更された生産表を作り直している。机の上には、飲みかけの水と、箸を置いたままの弁当が残っていた。
予定時刻を過ぎても、工場長はペンを置かなかった。菜月は事務所へ連絡を入れた。
高槻の声が返った。
『対象者の状態は』
菜月は工場長の手元を確認した。電話を肩に挟み、古い生産表の線を消している。
「まだ働いています」
『記録を継続してください。成瀬さんは回収位置で待機しています』
「分かりました」
予定時刻から十二分後、事務員が新しい仕様書を机に置いた。
「この注文ですが、明日の分から取付位置が変わります」
工場長は仕様書へ手を伸ばした。指先が紙へ届く前に止まる。
「変更箇所は」
「二か所です。生産表はこちらで直しましょうか」
工場長は机に手をつき、仕様書を自分の方に引き寄せた。
「途中まで組んであります。私が直した方が早いです」
赤いペンで二か所を書き換える。作業順を一つ後ろへずらし、空いた工程に別の注文を入れる。人員配置を見直し、明日の担当者を確認する。
菜月は端末を持ったまま、その手元を見ていた。一度止まったペンが、また動く。
工場長は最後の変更を入力し、送信ボタンを押した。
新しい生産表が、明日の担当者全員へ送られる。
椅子を引き、立ち上がろうとした。
両手が机についた。
そのまま、動かなかった。
「工場長!」
現場責任者が事務所へ駆け込み、救急要請を求める声が飛ぶ。
菜月は人の動きを妨げない位置まで下がり、端末を開いた。
「成瀬さん」
『向かっています』




