第20話 10分しか経っていません
「川瀬さんが担当することで、会社にどのような利益がありますか」
会議机には、短期作業員の募集要項と候補者の経歴書が並んでいた。菜月は挙げていた手を下ろし、募集条件の欄を指した。
「未経験可の短期作業員です。私が応募しても不自然ではありません」
「潜入して、何を確認しますか」
「工場長が作業員にどう指示するかと、その指示でラインがどう動くかです。候補者資料の条件は把握しています」
「未経験者として入ることになりますね」
「はい。分からないことを聞いても不自然ではないので、かえって現場の指示や作業の流れを確認しやすいと思います」
高槻は経歴書に視線を戻した。
「ほかに、会社側の利益は」
「私が潜入している間、成瀬さんは現地周辺の確認と死亡工程の準備を進められます。調査後の報告書も私が作成します」
「成瀬さん、安全面は」
「単純工程に限定します。機械の調整と立入制限区域には入れません。候補者へ近づく必要もありません。異常があれば調査を中止します」
「分かりました。今回は川瀬さんにお願いします」
菜月は経歴書を自分の前に引き寄せた。
「ただし、潜入先の勤務慣行ではなく、弊社の勤務時間に従ってください。承認のない残業は認めません」
「工場の人が残っても、私は帰るんですか?」
「残業が必要な場合は、事前に申請してください。潜入先の勤務慣行は、弊社の残業承認にはなりません」
(潜入しても、サービス残業までは合わせんのじゃ……)
* * *
翌朝、菜月は髪を帽子の中に押し込み、灰色の作業着の袖口を締めた。
目の前のベルトコンベアには、手のひらほどの部品が等間隔に流れている。機械の音は大きかったが、作業員の声を消すほどではない。
「切り欠きが右です。向きを確認して、ここに置いてください。迷ったものは流さず、手を挙げてください」
班長が一度作業を見せ、菜月の手元に部品を置いた。部品を取る。切り欠きを右へ向ける。治具に置く。次の部品を取る。最初の数個は、前後を確かめるだけで指が止まった。十個を過ぎるころには、コンベアから目を離さず置けるようになった。
同じ幅。同じ重さ。同じ向き。
流れてくる部品に終わりは見えない。箱を一つ空にし、かなり働いた気がして壁の時計を見た。
「すみません。あの時計、合ってますか?」
隣の作業員が顔を上げる。
「合ってますよ」
始業から、十分しか経っていなかった。
(これで十分しか経ってないん!?)
再び部品を取る。向きを変える。置く。肩に力が入り、手袋の中が汗ばんできた。今度こそ一時間ほど経ったはずだった。班長がラインの間を通る。時計の針は、始業から三十分の位置にあった。
(お昼までまだ二時間以上残っとる……)
そのとき、向かいの工程で一人が手を挙げた。班長が駆け寄り、作業員をラインの外へ連れていく。
「三番工程、一人抜けます。体調不良です」
連絡を受けた工場長は、壁の進捗表へ目を走らせた。
「作業から外してください。検品から一人、三番へ。検品は完成品が溜まるまで二人で回します。休憩は十五分ずらしてください」
人が一人移り、空いた場所へ入った。部品の流れは止まらない。
数分後、今度は倉庫担当者が書類を持ってきた。
「次の材料、到着が四十分遅れます」
「二番ラインは、材料のある別の注文に切り替えてください。届いたら元に戻します」
「生産表、こちらで直しましょうか」
「私が直します。その方が早いので」
工場長は返事をしながら、生産表の二本の矢印を引き直した。指示を出すたび、人が移り、台車の行き先が変わった。それでも、菜月の前には同じ間隔で部品が流れてくる。
(うちが部品を十個流す間に、あの人はライン二本を組み替えたんじゃけど……)
正午のチャイムで、コンベアが止まった。休憩室で連絡用端末を開く。
人員配置、工程調整、現場指示。
依頼主が求めている条件に、三つの確認済みの印を付けた。その横には、実際に見た内容を短く入力する。
(異世界の工房が欲しいん、こういう人なんじゃ……)
工場長も資料を閉じ、ほかの社員と同じように食堂へ向かっていた。
午後になっても、菜月の前には同じ部品が流れ続けた。最後の箱に部品を入れ終えるころには、肩が張り、手袋を外しても指が曲がったままだった。そこへ、事務員が受注票を抱えて入ってきた。
「追加の注文が三件です。全部、来週末までになっています」
工場長が一枚ずつ数量を確認する。現場責任者が横からのぞき込み、眉を寄せた。
「このままでは、今の計画へ入りません。どれか納期を相談しますか」
「先に生産順を組み替えます。材料と人員を確認してください」
「全部、受けるんですか」
「生産順を変えれば対応できます」
工場長は三枚の受注票を生産表の横に並べた。
「今日中に組み直します」




