第18話 新しい人生が始まるそうです
『人間の器に定着しない』
岸本の魂を異世界へ送ってから六分後、閉じたばかりの回線に依頼主から連絡が入った。美知留が応答すると、画面の向こうでは、用意していた人間の肉体が空のまま横たわっていた。
「魂は受け取っていますよね?」
『それは間違いない。こちらへ到着したところまでは確認している』
高槻が美知留の隣に椅子を寄せた。
「現在、岸本さんの魂はどこにありますか」
『分からない。人間の器に移そうとした途端、予定していた定着位置から反応が外れた』
「消失した可能性は?」
『いや。まだ私の世界にいる。ただ、人間の位置にはいない』
菜月は岸本案件の記録を開いた。転送時刻と到着確認時刻は入っているが、その後の確認欄は空白のままだ。
「探せるんですか」
『今やっている。少し待て』
依頼主が回線から離れた。美知留は転送報告を開き、回収遅延の経緯をもう一度確認した。
「転送までは通っとる。問題は向こうへ着いてからじゃね」
「納品完了にはできません」
「分かっとるよ。受け取っただけで、人間として動けとらんけ」
高槻は契約書の納品条件を表示した。
「予定した器への定着確認までが今回の契約です。異なる器に入っている場合は、条件変更が必要になります」
「異なる器って、もう何かに入った前提なんですか?」
「魂が消えていない以上、どこかに定着している可能性があります」
菜月は人間用の器が映る画面に目を戻した。
岸本は、千佳を助けた。恋人がいる経歴も、恋人を助けて死んだという条件も成立した。最後に必要だったのは、人間として別の世界で目を覚ますことだけだった。
回線の向こうで物音がした。
『見つけた』
「どこですか?」
『港だ』
「港の誰かに入ったんですか」
『誰かではない』
依頼主の背後に、異世界の港が映った。石造りの岸壁に、帆を畳んだ大型船が停泊している。
『この船から反応が出ている』
「港にあった船へ、偶然入ったんですか?」
『違う。この船には自律航行用の魔力核がある。魂を受け入れられる器として、こちらの転送先として登録されていた』
「人間の器に入れなかったから、次に合う器へ移ったんですか?」
『そう考えるのが妥当だ』
「回収遅延によって、岸本さんの定着特性が変わった可能性があります」
(彼女を作るところから始めて、最後だけ人類から外れるん!?)
美知留が椅子を引き寄せ、画面へ身を乗り出した。
「本人の意識は残っとるんですか?」
『確認する。意思疎通ができるよう、こちらで一時的に調整する』
依頼主が船体へ手を向けた。帆柱の根元に淡い光が走り、甲板の鐘が一度鳴った。
『名前を呼んだ。反応はある』
「生前の記憶は?」
『質問を送っている』
船の舵が右へ動き、元の位置に戻った。
『記憶は残っている。自分の名前も、学校も、佐木島へ行ったことも答えた』
菜月の指が、岸本の顔写真の上で止まった。
「千佳さんのことも?」
高槻が菜月に視線を向ける。依頼主は船にもう一度問いかけた。
『本人から、先に質問が来た』
「何と?」
『千佳さんに怪我はなかったか、と』
菜月は口を開いたが、高槻が先に答えた。
「倉橋さんに怪我はありません。岸本さんが助けたことで、安全に戻っています。そう伝えてください」
『分かった』
依頼主が船へ向き直る。少しして、鐘が短く二度鳴った。
『よかった、と返ってきた』
菜月は椅子の背に体を預けた。息を吐くと、胸の奥に残っていた力も一緒に抜けた。
「人間の器に移し直すことはできますか」
『一度定着した魂を無理に剝がせば、記憶か意思を損なう可能性がある。人間へ移せる保証もない』
「現在の船体であれば、安定しているんですね」
『今のところは』
「本人の意思で動くことは?」
『まだできない。今は問いかけに舵と鐘で反応しているだけだ』
高槻は契約書を美知留へ送った。
「当初の条件では納品未完了です。変更案を作成してください」
「船のまま受け取ってもらう方向?」
「依頼主の合意と、岸本さんが活動できる環境の保証が必要です。人間への再定着を試す場合は、別の工程になります」
美知留は新しい書面を開いた。
「そちらで、岸本君が船体を自分で動かせるようにできますか。会話も、鐘だけじゃ生活にならんでしょう」
『自律航行と発声の能力は付与できる。ただし、当初予定していた能力構成を組み直す必要がある』
「費用は?」
『追加になる』
「そこは、うちの請求から調整します。回収遅延が適合範囲に影響した可能性があるけ」
依頼主が黙り、船体へ目を向けた。
「上坂さん、引き渡し時の状態変化は了承済みです」
「了承して受け取ってもらったんと、予定した人間にならんかったんは別よ。全部お客様負担にはできん」
「はい。回収工程については当社側の責任です。ただし、器の作成と定着作業は依頼主側の担当になります」
美知留は費用欄を二つに分けた。
NLAは回収と転送に関する請求を減額する。依頼主は船体の維持、自律航行、意思疎通に必要な能力を用意する。人間の器への再定着は行わず、岸本の記憶と意思が保たれている現在の状態を優先する。
「この条件なら受けてもらえますか」
『本人にも確認する』
依頼主が船へ問いかけた。
岸壁につながれた船は、波に合わせてゆっくり上下している。しばらくして舵が動き、鐘が一度鳴った。
『この体で構わない、と』
「役割は後から決めてください。本人の同意なしに、軍用や危険な航路に配置することは禁止条件に入れます」
『分かった』
「それと、陸上での意思疎通手段もお願いします。乗員がいないと話せない状態では、活動可能とは認められません」
『今日中に整える』
美知留が書面を送ると、依頼主は内容を確認し、変更契約に同意した。
「変更後の条件では、これで納品完了です」
菜月は岸本案件の記録に、船体への定着と費用調整を入力した。
「船でも、納品完了になるんですね」
「本人の意識と記憶があり、依頼主が活動環境を保証しています。変更契約の条件は満たしています」
「人間じゃなくなったこと以外は、ですけど」
「それを含めて変更しています」
高槻は成瀬との回線を開いた。事故処理課での確認を終え、成瀬は帰りの車内にいた。
『岸本さんは?』
「意識と記憶が確認されました」
成瀬の右手首には、まだ薄く指の跡が残っている。
『転生できたんですね』
「予定した人間の器には定着しませんでした。現在は船体へ定着しています」
『船体』
「はい。依頼主が、自分で動き、会話できる能力を用意します」
成瀬は窓の外へ目を向けた。
『本人は、状況を理解しているんですか』
「千佳さんに怪我がなかったか、最初に確認したそうです。怪我はないと伝えてあります」
『そうですか』
「倉橋千佳としての業務は、本日で終了です。学校関係の処理は事故処理課が引き継ぎます」
『承知しました』
成瀬は膝の上に置いた右手を、左手で覆った。
『岸本君に、ありがとうございましたと伝えてください』
「依頼主を通じて伝えます」
『お願いします』
回線が閉じた。
菜月は岸本案件の記録を保存し、机の端に置いていた紙の工程表をファイルに戻した。恋人を作り、恋人を助け、予定とは違う体で別の世界へ渡った。岸本悠真の転生契約は、変更契約によって完了した。
美知留が請求額の修正を終えると、高槻は岸本案件の工程記録を開いた。
「成瀬さん。魂の回収が十四分遅れた件は、明日の午前中に検証します。予定していた経路と実際に使用した経路、判断を変更した時刻を整理してください」
「分かりました。始末書も必要ですか」
「現時点では不要です」
高槻は工程記録の時刻を順に確認した。
「事実を確認する前に、個人の責任を決めることはできません。必要なのは、同じ条件で遅延を起こさない方法です」
「分かりました」
「上坂さんも参加してください。今回の請求修正額を、遅延によって発生した損失として確認します」
「はい。割引分と追加対応分を分けて出します」
高槻は翌日の予定表に、岸本案件の再発防止検討を入れた。
(魂が船になった次の日に、普通の会社みたいな改善会議するん!?)
岸本悠真の案件は完了した。
十四分の遅れだけが、翌日の会議予定に残った。




