第16話 複雑です
告白から一分も経たず、佐木島のレンタサイクル返却口にいる成瀬の通信機へ、高槻の声が入った。
『成瀬さん、本日の死亡工程は中止します』
「理由をお願いします」
『承認済みの候補区間をすべて通過しています。現在地から利用できる地点はありません』
「了解しました」
『予定どおり帰りの船へ乗ってください。倉橋としての接触は継続します』
「承知しました」
成瀬は鞄の内側に収めた端末から手を離した。
「どうしたん?」
「帰りの船の時間を見てた。そろそろ行こうか」
「うん」
岸本は折った利用票をポケットへ入れ、成瀬と並んで港へ歩き出した。
菜月の画面では、島内一周経路の後半に付いていた実行候補の印が、一つずつ灰色に変わっていく。
「本当に中止するんですか?」
「未確認の場所で実行はできません」
「でも、納期は大丈夫なんですか。今日の予定だったんですよね」
「今日なのは、うちらが組んだ実行予定よ」
美知留が岸本案件の契約書を菜月の画面へ送った。交際成立と死亡条件は記載されているが、納品日の指定はない。
「交際が成立した日に死なせろ、という契約じゃないんよ。恋人を助けようとして本人が転落する。そこまで成立して、初めて納品じゃけえね」
「でも、好きな日に変えていいわけじゃないですよね。実行できる期間に、契約どおりの計画が必要です」
「はい。今回は交際条件が成立した時点で、承認済みの計画を使えなくなっていました」
高槻は案件票へ、恋人役の継続と候補地の再調査を追記した。
「演出課には、通常の外出先として成立する候補を複数確認してもらいます。現場が確定するまで、死亡工程は実行しません」
「佐木島の候補区間は?」
「本日の記録を保存して閉じます。時間帯も人通りも変わるため、次回へそのまま流用はしません」
菜月は椅子の背に体を預けかけ、机の縁に両手を置いた。
(恋愛と現場の進み方が合っとらん……!)
* * *
帰りの船では、往路に向かい合って座った二人が、同じ窓際の長椅子へ並んでいた。岸本は膝の上で両手を組み、ほどき、右手だけを座席の隙間に置いた。船が岸を離れても、その手は成瀬の方へ数センチ進んだところで止まっている。
「倉橋さん」
「なに?」
「手、つないでもええ?」
「うん」
成瀬が手のひらを上へ向けると、岸本の指が触れた。すぐには握らず、成瀬の指が閉じるのを待ってから力を返す。
菜月は入力画面を開かなかった。交際成立は、もう確認済みだった。海面から返る光が船室の天井を揺らす。岸本は窓の外を見たまま、つないだ手の位置だけを何度も確かめていた。
「今日、ほんまに楽しかった」
「私も」
「次は、倉橋さんが行きたいところに行こう」
「私が決めていいの?」
「今日は俺が決めたけん。今度は倉橋さんの番」
「じゃあ、考えておくね」
「楽しみにしとる」
事務所の音声記録に、次の外出の約束が残った。
菜月は候補地の入力欄へ手を伸ばさなかった。成瀬が答えたのは、まだ場所を決めていないということだけだ。
(今日だけは、このまま港まで着いてくれたらええのに)
船は速度を変えず、本土へ進んだ。
やがて到着を知らせる放送が流れ、乗客が荷物を持って立ち始める。岸本はつないだ手を離し、指先を制服のズボンへ二度こすった。
「明日、学校で話しかけてもええ?」
「今までも話してたでしょ」
「彼女になってからは初めてじゃけ」
「いいよ」
「朝、いつもより早く行く」
「無理して遅刻しないでね」
「遅刻せんために早く行くんよ」
船が接岸すると、二人はほかの乗客に続いて桟橋へ降りた。
「駅まで送るよ」
「ありがとう」
二人は港から並んで歩いた。信号待ちで会話が途切れると、岸本は学校でどこまで普段どおりに話せばいいのかを尋ねた。
「今までどおりでいいよ」
「急に下の名前で呼んだら、変じゃろうしな」
「岸本君が呼びやすい方で」
「じゃあ、しばらく倉橋さんで」
三原駅の改札前で、岸本はもう一度、明日の朝に会う約束を確かめた。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
成瀬が改札を通ると、岸本は人の流れを避けて柱の横へ立った。振り返るたびに同じ場所から手を上げている。
姿が見えなくなるまで、成瀬は倉橋千佳の歩幅を崩さなかった。
* * *
「次は千佳ちゃんから行き先を出しても、不自然じゃないね」
美知留は船内の音声記録を閉じ、再調査の依頼票を開いた。
「ただし、事故地点ありきで一か所へ誘導しないでください」
「候補は複数。千佳ちゃんが出して、決めるのは岸本君」
菜月が確認すると、高槻はその文言を依頼票に移した。
「その方針で進めます。人通り、一般客への影響、成瀬さんの退避方法を確認できた場所だけを候補に残してください」
「高校生が普通に行きたくなる場所、いう条件も入れとくよ。安全でも、デート先として不自然なら選ばれんけ」
「お願いします」
美知留は、演出課へ候補地再調査の依頼メールを送った。
「成瀬さんには、候補が出るまで恋人役を続けてもらうんですよね」
「はい。学校での接触は通常どおりです。新しい計画のために、急に距離を縮める必要はありません」
菜月は岸本の行動記録を閉じた。
「候補が出たら、千佳ちゃんが自然に知っとる場所かどうかを確認して、複数出す。岸本君が選ばなかった場所は使わない」
「その理解で問題ありません」
画面の向こうでは、成瀬が一人で駅のホームへ向かい、倉橋千佳の服装のまま業務端末を確認していた。
『現地離脱します』
「お疲れさまでした。帰着後、交際成立後の接触記録を提出してください」
『承知しました』
岸本は、彼女ができた最初の日を、最後まで生きて帰った。
事務所では、次のデートの隣に、新しい死亡工程の空欄が開いていた。




