第12話 初恋のサポートをします
翌朝、事務所のテレビでは、白竜湖周辺の山道が上空から映し出されていた。
『行方が分からなくなっているのは、市内の中学校に通う二年生三十二人と貸切バスです。乗務員二人は昨夜、現場付近で保護されました。警察は二人から当時の状況を聞いています』
画面が切り替わり、白竜湖へ集まった捜索車両が映る。
『現場では当時、数メートル先も見通せない濃霧が発生していました。警察は、不幸な事故に巻き込まれた可能性も含めて――』
菜月は右手首に巻いた冷却材を押さえながら、その映像を見ていた。
懸命な捜索。
不幸な事故。
報道されている内容に、嘘はなかった。
ただし、バスが異世界へ消えたことだけが入っていない。
昨日、自分が窓から飛び降りた道路では、大勢の警察官と消防隊員がバスを捜している。何もないと分かっている山の斜面へ、捜索隊が次々と入っていった。
菜月が冷却材を握る指に力を込めると、痛みとは別の細かな震えが伝わってきた。
「高槻さん」
「はい」
「これから、どうするんですか」
高槻は端末に届いた報告書から顔を上げた。
「白竜湖周辺の捜索対応は、事故処理課に移管されています」
「それは昨日も聞きました。警察とか、学校とか、保護者への対応です」
「それも事故処理課の担当です。川瀬さんが関与する業務ではありません」
菜月は、テレビ画面に視線を戻した。学校の正門前には報道陣が集まり、保護者と思われる人々が校舎へ入っていく。画面の端には、昨日バスを降りた担任の姿も一瞬だけ映った。
「事故処理課は、何をするんですか」
「捜索機関への情報提供、運行記録の整理、学校側との連絡窓口、弊社関係者の現場記録の回収などです」
「もう何か対応してるんですか?」
「車両の位置情報と、通信が途絶えるまでの映像は、事故処理課から捜査機関に提出済みです」
菜月はテレビへ映る山道を見た。
「映像には、何が残ってるんですか」
「濃霧で前方が見えなくなり、トンネルへ進入する直前までです。その後は車両との通信が途絶えています」
(異世界に消えた瞬間だけ、事故資料から抜け落ちとるん!?)
位置情報も映像も本物だった。
事故処理課は、存在しない事故の証拠を作っているわけではない。現実から消える直前までの記録だけを、通常の事故資料として提出していた。
「あの三十二人が行方不明になったの、私が原因ですよね」
「集団転移は、依頼主との契約に基づいて実行されています。現世側で発生する問題への対応は、当初から事故処理計画に含まれています」
高槻の説明は、昨日の労災確認と同じ調子だった。菜月が何も言えずにいると、高槻は端末を閉じた。
「事故処理の内容に関心がありますか」
「あります」
「では、同行申請を出しますか。今日は白竜湖の現地本部と、学校側への対応が予定されています」
「ついて行ってもいいんですか?」
「営業課の業務に支障がなければ、他部署の実務を見学することは可能です」
「そんなことしとる場合じゃないよ」
事務所の扉が開き、美知留が厚いファイルを抱えて入ってきた。
美知留は一度だけテレビ画面を見た。菜月の机へ来ると、リモコンを取り、報道番組の音量を下げる。
「白竜湖の件は事故処理課がやっとる。菜月ちゃんが今から見に行っても、三十二人は戻ってこんよ」
責める口調でも、慰める口調でもなかった。
「菜月ちゃんには、次の案件があるけん」
「もう次ですか?」
「営業は納品が終わったら次を取るんよ。昨日の案件に八か月かかったんじゃけ、こっちは待ってくれんよ」
美知留はファイルを高槻の机に置いた。表紙には、《新規転生人材選定依頼》と記載されている。
「依頼主は異世界の王国を管理しとる神様。希望するのは、十代後半の男性です」
高槻がファイルを開く。
「精神的な条件は、他者を守るために自身の安全を放棄できること。死亡時の状況にも指定があります」
「また、誰かを助けて死ぬ人ですか」
「今回は恋人です」
美知留が対象者の資料を菜月に差し出した。写真には、制服姿の男子高校生が写っている。
岸本悠真、十七歳。
市内の県立高校に通う二年生。
成績は平均的で、運動部への所属はなく、これまで交際経験はない。
「対象者が初めての恋人を作り、その恋人との外出中に事故が発生します。転落しそうになった恋人を助けようとして、本人が代わりに転落する。それが依頼条件です」
菜月は資料から顔を上げた。
「恋人を作るところから、うちの仕事なんですか?」
「対象者には現在、特定の交際相手がいません。条件を満たすには必要です」
「人の初恋まで業務で用意するんですか」
「交際を強制することはできません」
高槻が対象者の資料を確認しながら答える。
「弊社が用意するのは、出会いと関係を築く機会です。好意を持つかどうかは、岸本さん本人に判断していただきます」
「好意を持たれなかったら?」
「候補者を変更します」
「彼女を商品の交換みたいに言わないでください」
「配役です」
「言い換えても変わりませんよ!」
美知留は別の資料を取り出し、菜月の前に置いた。
転入日、通学経路、教室の座席、放課後の行動予定が記載されている。最後のページには、市内にある佐木島への日帰り航路と、島内の散策経路が載っていた。
「最初は同じクラスの転入生として接触する。対象者と十分に関係を作ってから、初めての校外デートとして佐木島へ行く予定」
「島で事故を起こすんですか?」
「まだ実行日は決まっとらんよ。対象者が本当に恋愛感情を持って、自分から助けようとする段階まで進まないと、条件を満たさんけえね」
事故だけを先に用意しても、対象者が手を伸ばすとは限らない。その点だけは、三十二人をまとめて異世界へ送った前の案件より、人間の気持ちを見ているように思えた。
ただし、最終的には死なせる予定だった。
菜月は転入生の資料を持ち上げた。
「ということは、次は高校生役ですか。久しぶりですね」
高校を卒業してから、まだそれほど長い年月が経ったわけではない。制服を着ることには抵抗があるが、幼稚園児の格好をさせられるよりはずっとましだった。
「川瀬さん」
「はい」
「料理はできますか」
高槻から突然尋ねられ、菜月は資料を下ろした。
「ほとんどできません」
「どの程度ですか」
「ご飯を炊くくらいなら。前の会社にいたときは帰宅時間が遅かったので、夕食はコンビニか外食でした」
「承知しました。男性との交際経験はありますか」
「ありません」
美知留が菜月を見た。
菜月も美知留を見返した。
「何ですか」
「いや、即答じゃったなと思って」
「悪いですか」
「悪いとは言っとらんよ」
高槻は菜月の回答を資料へ記録した。
「川瀬さんを彼女役にするのは難しいでしょう」
「交際経験がないからですか?」
「料理経験も不足しています」
「料理、関係なくないですか!?」
美知留が佐木島の行程表を指さす。
「初めてのデートで、手作りの弁当を持っていく予定なの。岸本君は家庭的な女性への好感度が高いという調査結果が出とるけんね」
「料理ができる高校生役なんて、ほかにいるんですか?」
「います」
高槻と美知留が、同時に事務所の奥を見た。書類を整理していた成瀬が手を止める。
「成瀬さんに担当していただきます」
「恋人を助ける男子高校生の役ですよね?」
「恋人役です」
菜月は高槻と成瀬を交互に見た。
「成瀬さんが?」
「はい」
「男子高校生の彼女を?」
「その予定です」
「いや、成瀬さん……男性ですよね? 多様性の時代ですけど……」
「対象者と同性である成瀬さんの方が、男子高校生の心理や行動を予測しやすいでしょう。転落時の退避訓練も受けています」
高槻は、それだけで十分な説明だと思ったらしい。美知留が付け加える。
「料理もできるしね」
「成瀬さん、料理できるんですか?」
「教室へ通っています」
(ホンマに料理教室通っとったん!? じゃなくて女装で潜入!? 頭が追いつかん!)
「男性が女子高校生として転入してばれないんですか?」
「演出課で外見と音声を調整します」
「音声まで?」
「確認していただいた方が早いでしょう」
高槻がそう言うと、成瀬は席を立った。
* * *
一時間後、事務所の扉が開いた。
紺色のブレザーに膝丈のスカートを着た女子高校生が入ってくる。肩にかかる黒髪は自然に内側へ流れ、薄い化粧で目元の印象も変わっている。背丈は女子高校生としては高めだが、細身の体格と制服の着こなしに違和感はなかった。
菜月は、相手が誰なのか数秒分からなかった。
「成瀬さん……ですよね?」
「はい。確認をお願いします」
女子高校生の口から、柔らかな声が出た。菜月は椅子から立ち上がる。
「その声、どうしたんですか」
「喉の使い方を変えています」
「そんな簡単に変わるものなんですか?」
「訓練していますので」
(罪悪感と、腹立つくらい可愛い成瀬さんを同じ朝に処理させるな!)
成瀬は菜月の反応を見て、少し声を低くした。
「先ほどの音域では不自然でしょうか」
「今の方が自然です。最初のは、アニメの女子高生みたいでした」
「では、こちらで統一します」
成瀬はすぐに声の高さを固定した。照れる様子も、女装を面白がる様子もない。ネクタイの位置を直す動きまで、出勤前に制服を確認する会社員と変わらなかった。
高槻が成瀬の正面と横から外見を確認する。
「問題ありません。転入時は倉橋千佳の名義を使用してください」
「承知しました」
「最初から好意を示す必要はありません。岸本さんの交友関係と行動傾向を確認し、自然な接点を作ってください」
「告白は、どちらからですか」
「岸本さん本人から行う状態が望ましいです。救助行動が、業務上の指示や誘導によるものと判断された場合、依頼条件を満たさない可能性があります」
「では、判断を急がせません」
成瀬は女子高校生の声で、淡々と答えた。美知留が転入用の鞄を渡す。
「教科書、筆記用具、連絡端末が入っとる。弁当は、交際の見込みが出てからでええよ」
「献立の指定はありますか」
「岸本君の好物は調査中」
「分かりました」
彼女役の打ち合わせとは思えないほど、会話は業務的に進んでいく。菜月は机の上の対象者の写真を見た。
何も知らない十七歳の少年は、これから初めての恋人を作る。
その恋人は男性で、料理教室へ通い、転落訓練を受けた同僚だった。
* * *
翌週の月曜日。
市内の県立高校で、二年生の教室の扉が開いた。
担任に続いて入ってきた転入生へ、生徒たちの視線が集まる。
「今日からこのクラスに入る、倉橋さんだ」
黒板の前に立った成瀬は、教室を見渡した。
「倉橋千佳です。よろしくお願いします」




