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転生のおしごと ~あなたの異世界転生、当社が請け負います(※ご本人の同意は不要です)~  作者: カミツキ
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第11話 神隠しです

 白竜湖へ向かう二号車の窓が、外側から少しずつ白く曇り始めた。


 後部座席では、遅刻してきた河野をからかう笑い声が続いている。制服の肩を寄せ合って写真を撮る生徒たちの間を、開けたばかりの菓子の匂いが漂っていた。


 菜月は腕時計を確認した。

 接続予定時刻まで、あと二十六分だった。


 菜月は端末を伏せ、生徒たちへ顔を向けた。


「走行中は席を立たないでください。シートベルトも外さないようお願いします」

「はーい」


 返事をしたのは数人だけだった。


 バスは予定より十一分遅れている。運転席の社員は遅れを取り戻そうとはせず、指定された速度のまま山道を走っていた。制服の下につけた肘当てが、腕を曲げるたびにジャケットの裏地に当たる。腰と膝にも保護具をつけているため、座っているだけで落ち着かなかった。


 菜月は前日、演出課の指導を受け、退避訓練を終えていた。


 白竜湖の手前で対象外の乗客を降ろし、演出課が封鎖した区間へ入る。バスが遠隔運転に切り替わったあと、運転担当者と菜月は車外へ退避する。


 退避方法は、窓からの飛び降りだった。

 資料では何度読んでも、そこだけ業務手順に見えなかった。


「先生」


 前方から呼ぶ声に、担任が通路を進んでいった。

 二年一組から乗車している女子生徒が、口元を押さえて俯いている。もともと乗り物に酔いやすく、前方の席に変更された生徒だった。


 担任が顔色を確認している間に、運転手は方向指示器を出した。バスは山道脇の待避所へ入り、ゆっくりと停車する。後方を一定の距離で走っていた支援車両も、バスの前へ回り込んだ。


「白竜湖まで、あと少しですよね」


 担任は生徒の背中をさすりながら、運転手に尋ねた。


「ここから先はカーブが続きます。支援車両で向かった方が負担は少ないと思います」

「私が付き添うと、この車両の引率がいなくなります」

「事前に提出した運行計画では、体調不良者が支援車両に移る場合、学級担任が付き添うことになっています。対象車両の車内対応は添乗員が代行し、全体の引率判断は一号車の学年主任が行います」


 運転手は学校側に提出済みの運行計画を開き、該当する項目を担任に示した。


 体調不良者発生時の分乗対応。


 欄外には学校側の承認印が押されている。担任も内容を確認すると、不安そうに車内を見回した。


「この手順、ありましたね」

「支援車両は先に白竜湖へ向かいます。到着場所で合流できます」


 学校に提出された運行計画には、最初からこの場面のための手順が入っていた。

 担任はしばらく迷っていたが、青ざめた生徒を見ると、小さく頷いた。


「分かりました。計画どおり、私が付き添います」


 生徒の鞄を持ち、担任は乗降口へ向かった。降りる前に足を止め、菜月へ顔を向ける。


「白竜湖まで、お願いします」


 菜月は膝の上に置いていた端末を握った。


「……承知しました」


 担任は頭を下げ、体調を崩した生徒と一緒に支援車両へ移った。

 

 二人が乗り込んだことを確認すると、運転手は二号車の扉を閉めた。


 エンジン音が高まり、二号車は再び山道へ戻った。担任がいなくなったことを気にする生徒は少なかった。後部座席では笑い声が戻り、河野は遅刻の理由を何度も聞かれている。


 窓の外は、走るほど白くなっていった。湖側の斜面だけでなく、道路の先まで霧に覆われている。晴れていた空も見えなくなり、対向車線のガードレールさえ輪郭がぼやけ始めた。


 菜月は通信機へ指を当てた。


「今日は濃霧のうむが発生していたんですね」

『これは演出課が発生させています』


 高槻の声は、いつもと変わらなかった。


 道路脇へ目を凝らすと、黒いホースにつながれた小さなノズルが並び、そこから白い霧が噴き出している。


(霧まで工程に入っとるん!?)


『自然発生では、実行時刻を指定できません』


 菜月の心の声が聞こえたようなタイミングだった。


「どうやって出してるんですか」

『高圧ノズルによるドライミストです。視界の遮断に必要な範囲だけ噴霧しています』


 霧の向こうでは、演出課が道路の入口を閉鎖している。後続車は別の道へ誘導され、接続地点まで二号車以外の車両は入らない。


 神隠しの現場は、交通規制と噴霧装置ふんむそうちによって準備されていた。


『川瀬さん、車内の最終確認をお願いします』

「分かりました」


 菜月は補助席から立ち、生徒の顔と座席を一列ずつ確認していった。


 窓に額を寄せて霧を撮影する者。友人の肩へ寄りかかって眠る者。担任がいない間に菓子を取り出そうとして、菜月と目が合い、慌てて鞄へ戻す者。全員、朝に確認した席に座っている。


「お姉さん」


 前方の女子生徒が、菜月の口紅を褒めたときと同じ顔で見上げた。


「帰りも同じバスですか?」


 菜月の足が止まった。


 学校の予定では、白竜湖で見学を終えたあと、同じ三台のバスで学校へ戻ることになっている。


「帰りの運行については、到着後に案内があります」

「お姉さんも一緒?」

「今は、シートベルトを確認してください」


 女子生徒は答えを待っていたが、やがて腰元へ視線を落とした。

 菜月は通路を前方へ戻りながら、全員の着席をもう一度確認する。


「これから霧の濃い区間へ入ります。席を立たず、シートベルトを外さないでください」


 生徒たちは安全上の注意だと思っている。実際には、接続が完了するまで三十二人を車内に留めるための指示だった。補助席へ戻ると、白竜湖手前のトンネルを示す標識が窓の先に見えた。


『封鎖区間への進入を確認しました』


 高槻の声に続いて、運転手がハンドル脇のスイッチへ手を伸ばす。


「遠隔運転に切り替えます」


 表示灯が緑に変わった。


 運転手がハンドルから両手を離しても、二号車は白線の中央を保ったまま走り続ける。速度は時速八キロまで落ちていた。


『車両制御、異常ありません。運転担当者は退避してください』


 運転手はシートベルトを外し、運転席横の窓を開けた。

 生徒の一人が、その動きに気づく。


「運転手さん、何してるの?」


 運転手は振り返らず、座席の背へ片足をかけた。窓の外には、演出課が路肩へ敷いた衝撃吸収用のマットが見える。霧の中で待機している成瀬が、片手を上げて退避地点を示していた。


『退避してください』


 運転手は窓枠を越え、走行方向へ体を向けて飛び降りた。


 マットに落ちた体が一度転がる。すぐに起き上がり、成瀬に腕を取られて路肩に移った。


「え?」


「運転手さん、落ちた!」


「バス動いとるんじゃけど!」


 車内の声が一斉に大きくなった。

 立ち上がろうとした河野へ、菜月は反射的に声を張る。


「席を立たないでください!」

「でも、運転手さんが――」

「車両は遠隔で管理されています。シートベルトを外さないでください」


 説明しても、車内のざわめきは収まらなかった。運転席には誰もいない。それでもバスは濃霧の中を一定の速度で走り続ける。


 白竜湖の手前にあるトンネルの入口が見えた。


『川瀬さん、前方右側の退避窓を使用してください』


 菜月は白い手袋を外し、補助席横の窓へ手をかけた。演出課が交換した窓は、留め具を外すと内側へ大きく開いた。外から噴き込んだ霧が、菜月の頬と制服を湿らせる。


「お姉さんも降りるん?」


 先ほどの女子生徒が、座席から身を乗り出していた。


「席を立たないでください」

「何で窓を開けとるん?」

「私も、ここで降ります」

「ここで?」


 車内が静まった。


 その一瞬だけ、エンジン音と噴霧装置の低い作動音がはっきり聞こえた。


 トンネルの奥に、霧とは違う青白い光が広がっている。白い霧は演出課が作ったものだった。あの光だけが、異世界ノルディアの神グレオスによるものだ。


『退避地点へ到達しました。川瀬さん、今です』


 菜月は窓枠へ足をかけた。


「お姉さん!」


 背後から呼ばれ、菜月は一度だけ振り返った。


 三十二人の生徒が、何が起きているのか分からないまま、こちらを見ている。


 説明できる言葉はなかった。


 菜月は窓から飛び降りた。


 足がマットに触れた瞬間、体が前へ持っていかれる。訓練どおり肩から転がったつもりだったが、右手を強く地面についてしまった。霧で濡れた制服がマットの上を滑る。


「川瀬さん」


 成瀬が菜月の腕をつかみ、道路脇の安全区域へ引き込んだ。


 菜月が立ち上がるより先に、二号車が目の前を通過していく。


 河野がシートベルトを外そうとし、前方の女子生徒は窓に両手をついて何かを叫んでいた。閉じた窓の向こうから、生徒たちの声がエンジン音に混じって漏れてくる。


 二号車は無人の運転席を先頭に、青白い光が満ちたトンネルへ入った。


 車体の前方が光の境界を越えた瞬間、エンジンの駆動音が途切れた。まだ現世側に残っている後部から、生徒たちの声とタイヤが路面を擦る音だけが聞こえている。


 車体の中央が飲み込まれ、後部の赤いランプが光の向こうへ消えた。


 その声も、タイヤの音も、同時に途絶えた。


 濃霧の山道には、演出課の噴霧装置が立てる低い作動音だけが残った。


 菜月は濡れた路面に右手をついたまま、消えたバスを見つめていた。息を吸っているはずなのに、胸の奥まで空気が入ってこない。立ち上がろうとすると呼吸がさらに速くなり、地面についた右手が小さく震えた。


 通信機から高槻の声が入った。


『グレオス様から到着の連絡です。三十二名と車両を確認しました』


 顔を上げると、高槻が目の前に立っていた。霧の中に止めた回収車から降り、菜月のそばへ来たらしい。


「バスが……消えたんですけど」

「右手に震えがあります。痛みによるものですか」

「分かりません」

「呼吸を整えてください。そのまま右手を開けますか」


 菜月は何度か息を吐き、言われたとおり右手を差し出した。

 高槻は手のひらに傷がないか確かめ、手首をゆっくり動かす。


「痛みはありますか」

「ありません」

「違和感は?」

「少し痺れています」

「着地直後からですか」

「たぶん」

「自己判断せず、分かる範囲で申告してください」


 高槻は手首の次に、肘と肩を確認した。制服の膝についた汚れを見つけると、その場でしゃがみ込む。


「膝を曲げられますか」

「曲げられます」

「足首は?」

「大丈夫です」


「現在痛みがなくても、後から症状が出る場合があります。本日中に違和感が増した場合は、すぐに報告してください。呼吸が戻らない場合も同様です」


「そこは、ずいぶんしっかり確認するんですね」

「業務中の退避です。負傷した場合、労災として処理する必要があります」


 少し離れた場所では、成瀬が運転担当者の肘を確認していた。二人とも、異世界へ消えたバスより、現世に残った社員の状態を先に見ている。


「送った生徒たちは?」

「転移後は、グレオス様の管理下です」

「私は?」

「弊社の労務管理下にあります。左手も見せてください」


(神様より先に、労災がうちを管理しとるん!?)


 菜月は言われたとおり左手を差し出した。

 高槻は左右を比較し、腫れがないことを確認すると、回収車から救急用の冷却材を取り出した。


「念のため、右手首を冷やしてください。帰社後に業務災害確認票を記入していただきます」

「怪我してなくてもですか?」

「負傷なしという記録が必要です」


 霧が少しずつ薄くなっていく。演出課が噴霧を止めたらしく、トンネルの入口と、バスの消えた道路が姿を現した。そこに車体はなく、タイヤの跡だけが途中で途切れていた。


 高槻の端末が鳴る。


 画面には、白竜湖で待つ学校側からの連絡が表示されていた。二号車が、到着予定時刻を過ぎても現れない。運転手とも、担任が預けた三十二人の生徒とも連絡が取れない。


「事故処理課へ引き継ぎます」


 高槻は連絡を転送し、菜月に冷却材を渡した。


 その日、二年二組の生徒三十二人を乗せた貸切バスは、白竜湖付近の濃霧の中で消息を絶った。


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