第10話 またコスプレです
「川瀬さん、明日もその化粧で行くつもりなん?」
集団転移の実行前日、菜月は三原事務所の姿見の前で、演出課から届いたバスガイドの制服を試着していた。紺色のジャケットに白い手袋、小さな制帽まで身につけている。制服には問題がないらしく、椅子を菜月へ向けた美知留は、全身を確認したあとで顔に視線を戻した。
「何か変ですか?」
「制服は似合っとる。化粧が普段のままじゃけえ」
菜月は机に置いていた手鏡を取った。化粧が崩れているわけでも、口紅がはみ出しているわけでもない。
「バスに乗って、人数を確認するだけですよね」
「学校側には、本物のバスガイドだと思ってもらわん困るんよ。制服を着た知らん人が、生徒の顔写真と名簿を見比べていたら怪しいでじゃろ」
「本物のバスガイドも、人数くらい確認しません?」
「顔写真付きの転移対象者一覧では確認せんよ」
それはそうだった。
明日、菜月は市内の中学校から白竜湖へ向かう校外学習のバスに同乗する。契約対象となった二年二組の生徒三十二名が全員そろっていることを確認し、目的地手前のトンネルへ入る前に高槻へ報告するのが役目だった。
報告を受けた異世界ノルディアの神グレオスが、登録された三十二名だけを肉体ごと異世界へ転移させる。美知留は自分の頬を指先で示した。
「もう少し接客業らしく見せた方がええね。ファンデと口紅くらい、売り場で選んでもらったら?」
「デパートの化粧品なんて買ったことありません」
「じゃけん店員さんに聞けばええんよ」
「高いじゃないですか。一回バスに乗るためだけに、何千円も出せません」
転職後、最初の給与はまだ振り込まれていない。前職を辞めてから減り続けている預金を、中学生を異世界へ送るための化粧品に使う気にはなれなかった。運行計画を読んでいた高槻が、書類から顔を上げる。
「上坂さん。その化粧品は、今回の業務に必要ですか?」
「必要です。学校側に不審がられて配車変更を取り消されたら、案件が延期になります」
「承知しました」
高槻は菜月へ向き直った。
「業務上必要な物品ですので、領収書を受け取ってください。演出費として経費申請できます」
「すぐ買ってきます!」
菜月は制帽を外し、白い手袋と一緒に箱へ戻した。美知留が目を瞬かせる。
「さっきまで、あんなに嫌がっとったのに」
「経費なら話が違います」
「購入できるのは、演出課が指定した品目に限ります」
高槻は、菜月が持ち上げかけた鞄の上へ化粧品の指定票を置いた。
「私用品は会計を分けてください。今回の申請へ含めることはできません」
「全部仕事でしか使わなければ、業務用品ですよね?」
「使用頻度ではなく、購入目的で判断します」
「分かりました」
「購入後は事務所へ戻ってください。買い物へ出た時点で退勤にはなりません」
「そこまで都合よく考えてません」
菜月は指定票を鞄へ入れ、事務所を出た。
(経費で好感度を上げるな、うち!)
自分を殺そうとした会社は、命の扱いより化粧品の会計区分に細かかった。
* * *
翌朝、校庭には校外学習用の貸切バスが三台並んでいた。
前日に買った口紅を塗り、バスガイドの制服を着た菜月は、二号車の乗降口で生徒を迎えている。手元には学校から渡された乗車表があり、髪に隠した通信機と、会社の業務端末も準備していた。
運転席に座っているのは、バス会社の制服を着た演出課の社員だった。学校側には、配車変更を担当した貸切バス会社の応援乗務員として、運転担当者と菜月の氏名が提出されていた。株式会社ネクスト・ライフ・エージェントの名前は出さない。
「おはようございます」
生徒へ笑顔を向けながら、菜月は乗車表の氏名と、業務端末の顔写真を照合していった。担任もバスの外で出席を取っているが、確認しているものは菜月と違う。担任が見ているのは、校外学習へ参加する生徒の人数。菜月が確認しているのは、グレオスとの契約へ登録された転移対象者だった。
「バスガイドさん、白竜湖で何するか知っとる?」
入口で足を止めた男子生徒へ、菜月は端末から顔を上げた。
「学校から説明された予定どおりです。後ろがつかえていますので、先に席へ座ってください」
「説明された予定どおりって、知らん人の言い方じゃん」
「通路を塞がないでください」
男子生徒は友人と笑いながら車内の奥へ進んだ。その後ろにいた女子生徒が、菜月の顔を見て足を止める。
「口紅、きれいじゃね」
「ありがとうございます。席へどうぞ」
経費で購入した口紅は、中学生からの評価も悪くなかった。
乗車が進むにつれ、車内の音が大きくなっていく。後部座席から笑い声が上がり、座席越しに写真を撮り合う生徒もいる。誰かが菓子の袋を開ける軽い音がすると、担任が出発前に食べないよう声を張った。
最後の生徒が乗り込むと、担任が乗車表へ印を付け、菜月へ差し出した。
「二号車、三十二名です。一人遅刻していますが、保護者の方がこちらへ送っているそうです」
菜月は表を受け取った。
「遅刻している生徒は、何組ですか?」
「二年二組です。出発に間に合わなければ、ご家族に白竜湖まで送っていただきます」
担任はそう答え、車内へ乗り込もうとした。
「先生、少しお待ちください」
菜月は乗降口から離れ、車体の陰へ回った。
学校側の乗車人数は三十二名で間違いない。
ところが候補者一覧では、確認の印が三十一人分しか付いていなかった。
二年二組の生徒が一人遅刻し、その空いた席には乗り物酔いをする二年一組の生徒が座っていた。
(人数は合っとるのに、一人足りんってどういう算数なん!?)
菜月は通信機へ指を当てた。
「川瀬です。二号車の乗車人数は三十二名ですが、契約対象者は三十一名です」
『対象外の方が一名乗車しているということですか』
事務所にいる高槻の声が返ってきた。
「はい。二年二組が一名遅刻しています。代わりに、二年一組の生徒が一名乗っています」
『遅刻している方の氏名をお願いします』
菜月が遅刻者の名前を報告した。
『対象者が乗車するまで、二号車を出発させないでください』
「学校側は、間に合わなければ白竜湖で合流させる予定です」
『それでは契約条件を満たしません。学校側が出発を決定した場合、本日の実行は中止します』
「分かりました」
『運転手には、こちらから待機を指示します。川瀬さんは乗車者と座席に変更がないか確認を続けてください』
通話が切れるのとほぼ同時に、運転担当者の携帯電話が鳴った。演出課の社員は運行管理からの指示を聞き、担任へ頭を下げた。
「申し訳ありません。発車を待つよう指示されています」
「車両に問題があったんですか?」
「出発前の確認が完了していません」
「学校側の点呼は終わっています」
「運行上の確認が残っていますので、こちらの判断では発車できません」
担任は腕時計を確認した。
「あと何分かかりますか?」
「確認が完了するまでです」
「ほかの車両は出発時間になっています。全体の行程が遅れてしまうんですが」
「申し訳ありません」
運転手は謝ったが、発車するとは言わなかった。一号車の扉が閉まり、ゆっくりと校庭を出ていく。続いて三号車も動き始め、車内の生徒たちが窓へ集まった。
「二号車だけ置いていかれとる!」
「遅刻したやつ誰なん」
「もう白竜湖で合流でええじゃん?」
あちこちから声が飛ぶ。
担任は車内へ入り、席に戻るよう生徒たちを注意した。だが、外の二台が見えなくなると、後部座席の生徒が立ち上がり、空いている友人の隣へ移ろうとした。
「席を移らないでください!」
思ったより大きな声が出た。
車内の話し声が一瞬止まり、生徒たちの視線が菜月へ集まる。
「……出発前の人数確認が終わっていません。今の席で待ってください」
立ち上がった生徒が、ゆっくり元の席へ戻った。
「怖」
どこかから小さな声が聞こえた。
菜月にも聞こえたが、聞こえなかったことにした。
ここで座席が変われば、遅刻者が到着した後、もう一度全員の顔と位置を照合しなければならない。学校側には単なる席替えでも、会社側では転移対象者の配置変更だった。
後部座席で再び笑い声が上がり、菓子の袋を隠す音がした。
数分待っても、遅刻者は現れなかった。担任が再び運転手のもとへ来る。
「これ以上は全体の行程に響きます。遅刻した生徒は、保護者に白竜湖まで送ってもらいますので、出発してください」
「運行管理から許可が出ていません」
「安全上の問題ではないんですよね?」
「確認内容について、私からは説明できません」
「学校側としては、出発をお願いします」
担任の声が硬くなった。
「運行管理から、まだ発車許可が出ていません」
「では、バス会社へ直接確認します」
担任がスマートフォンを取り出した。菜月の通信機から、高槻の声が届く。
『学校側が出発を決定した場合、本日の接続は中止します。対象者不足として、グレオス様へ報告します』
「はい」
このまま二号車が出発すれば、今日は誰も異世界へ送られない。
契約は延期になる。
八か月かけて美知留が取った案件は失敗し、菜月の初めての集団転移業務も未達になる。それでも、生徒たちは予定どおり白竜湖へ行き、夕方には家へ帰れる。
(このまま中止になる。……それでええんよね?)
担任が通話先へ事情を説明している。
運転手は待機指示の解除を待ち、菜月は赤い表示のままの端末を握っていた。校門の向こうから、車のクラクションが聞こえた。
全員がそちらを見る。
保護者のものらしい乗用車が、誘導する教員に手を振りながら校庭へ入ってきた。助手席の扉が開き、制服姿の男子生徒が鞄を抱えて走ってくる。
(何で今、間に合うん!?)
担任が通話を切り、生徒の名前を呼んだ。
「河野、早く!」
「すみません!」
河野は息を切らしながら、二号車の乗降口へ駆け込んでくる。
菜月は入口の中央に立ち、その前を塞いだ。
「クラスと氏名をお願いします」
「え?」
「確認が必要です。クラスとお名前を」
「二年二組の河野です」
端末に表示された顔写真と、目の前の生徒の顔が一致した。河野の名前の横だけ、確認の印が付いていなかった。
菜月は端末の顔写真と目の前の生徒をもう一度見比べ、河野の名前へ確認の印を付けた。
「確認しました。乗ってください」
「遅刻したら、バスガイドさんにも確認されるんですか?」
「本日は特別な運行ですので」
「何が特別なんですか?」
「後ろが待っています。席へ座ってください」
河野は首を傾げながら車内へ入った。
二号車に乗った生徒は、これで三十三人になった。
菜月は通路の前から車内を見渡し、座席表と一人ずつ照合していく。二年二組の三十二名には、すべて確認済みの印が付いた。前方に座る二年一組の生徒だけが、対象外として残っている。
後部座席では、遅刻した河野をからかう声と笑い声が上がっていた。菜月は通信機へ指を当てる。
「川瀬です。契約対象三十二名、全員の乗車を確認しました。対象外の生徒が一名、前方座席にいます」
『確認しました。グレオス様には、登録済みの三十二名だけを転移対象として通知します』
高槻の返答とほぼ同時に、運転担当者へ発車してよいと電話が入った。
担任は不満を残した顔で腕時計を見たが、運行管理の許可が出たと聞くと、それ以上は何も言わなかった。前方の扉が閉まり、二号車がゆっくりと校庭を動き始める。菜月は通路へ立ち、備え付けのマイクを持った。
「お待たせいたしました。本日は、白竜湖までご案内します」
生徒たちの返事はまばらだった。
学校の予定表では、全員の目的地は白竜湖になっている。会社の運行表では、そのうち三十二名の目的地だけが、途中のトンネルで終わっていた。
菜月は笑顔を崩さず、前方の補助席へ腰を下ろした。
拝啓、お母さん。
転職先では、仕事に必要な化粧品を経費で買ってもらえました。
詳しい業務内容は言えませんが、今日は中学生三十二人の神隠しを手伝います。




