第八話:信長の残響
歴史の空白には、理由がある。
本能寺の変で遺体が見つからなかった織田信長。彼を巡る『嘘』を義昭が書き換えようとした時、この世界の最大のバグが姿を現します。
義昭が守ろうとした歴史そのものが、牙を剥く瞬間です。
将軍宣下。それは足利幕府の復活を告げる祝祭のはずだった。
だが、二条御所に座る俺の体感温度は、氷点下を突き抜けていた。
「……はぁ、はぁ……指が、動かない」
左手の指先すら、もはや自分の意志を拒絶し始めている。
右腕は石のように冷たく固まり、左目は白い霞に覆われて世界を失っていた。
代償は「身体」を通り越し、俺の 存在そのもの を削り取っている。鏡を見れば、俺の輪郭は陽炎のように揺れ、背景が透けて見えた。
だが、この国にはまだ、解決せねばならぬ最大の 嘘 が残っている。
「信長……。お前は本当に、あの日死んだのか?」
本能寺の変。俺は光秀を救うために 光秀は忠臣である と書き換えた。
だが、情報の糸を手繰れば手繰るほど、奇妙な違和感に突き当たる。
信長の遺体が見つからなかったという史実の空白。そこには、俺が書き換える前から歴史の層に沈んでいた巨大な乱調が潜んでいた。
俺は口に筆を加え、首の力だけで白紙の地図に文字を刻む。
手は動かない。残されたのは、魂の底を掬い取り、そのまま文字へと変えていく行為だけだった。
『織田信長の死を「確定」させよ。本能寺に墜ちた星は、二度と歴史の表舞台に現れてはならない』
書き終えた瞬間、天から落雷が落ちたかのような衝撃が脳を貫いた。
『エラー:不整合を検知。対象個体「織田信長」のデータが見つかりません』
『警告:書き込み先が不明です。……システムが無限ループに突入します』
「なっ……なんだと……!?」
視界が激しく点滅し、御所の空間が歪み始める。
柱が曲がり、天井が崩れ、公家たちの顔が 文字の羅列 に変わっていく。
信長がいない。
俺が消したのではない。最初から、この世界の記録の中に 信長の死 も 信長の生 も、確定した形では存在していなかったのだ。
背後に、冷ややかな気配を感じた。
振り返ると、そこには焼け焦れた漆黒の鎧を纏った 人影 が立っていた。
顔はない。そこにはただ、激しく点滅する『ERROR』の文字だけが浮かんでいる。
『……そうか。お前も、俺と同じ“ほころび”だったのか』
俺がついた嘘が、この世界の隠されたバグ――信長の亡霊を呼び覚ましてしまった。
俺は、もはや感覚のない左手で強引に筆を握り直し、床に叩きつけるように書いた。
『……綻びには、綻びをぶつけるしかあるまい』
世界が派手な音を立てて悲鳴を上げ、俺の意識は深い闇へと沈んでいった。




