第七話:偽りの勅命
二条御所の空気は、もはや現世のものではなかった。
俺が玉座に座り、吐血しながら 嘘 を刻むたびに、御所の影は深く、不自然なほど濃くなっていく。
次なる狙いは、この国の頂点――帝の 承認 だ。
いかに光秀を救い、秀吉を黙らせようとも、帝から 征夷大将軍 としての正当な勅命が下らねば、幕府はただの虚像に過ぎない。
「……だが、正攻法で頼む必要などない。俺が『そうであった』と書けば、過去すらも跪く」
俺は筆を執ろうとして、愕然とした。
もはや左手の感覚も怪しい。右腕は石化し、左手の指先は触れたものの温度を感じなくなっていた。脳裏には常に、耳の奥で、乾いたざわめきが絶え間なく鳴り続けている。
死が、すぐ後ろまで来ている。
だが、俺は筆を捨てない。喉の奥に溜まった血を飲み込み、最後の一滴を墨に混ぜるようにして、白紙の宣旨に書き込んだ。
『天正十年、六月。帝は足利義昭の至誠に涙し、彼を征夷大将軍に任ず。この事実は「初めから決まっていた真実」として、万民の記憶に刻まれる』
書いた瞬間――視界が 真っ白 になった。
今までの赤黒い痛みではない。内側から神経を焼き切るような、無機質な白。
俺の脳内に、暴力的なまでの情報が流れ込んできた。
『警告:歴史アーカイブの深層への書き込みを検知』
『同期中……。一億三千万の個体記憶を、定義「足利幕府再興」に強制上書きします』
「……ぐ、あああああああ!」
俺は玉座から転げ落ち、床を掻きむしった。
俺が書いた 嘘 を現実にするために、世界というシステムが無理やり歯車を回している。その摩擦熱が、俺の魂を削り取っていくのが分かった。
数刻後。
意識を取り戻した俺の前には、朝廷からの使者が、まるで最初からそうする予定だったかのように恭しく平伏していた。
「……将軍家。これにて、天下の静謐は安泰にございますな」
使者の瞳には、一点の曇りもない。
彼は信じているのだ。俺が正当な手続きを経て、帝の信頼を勝ち取り、将軍に返り咲いたという 偽りの過去 を。
俺は、もはや感覚のない右腕を左手で抱え上げ、冷たい笑みを浮かべた。
これで、俺は名実ともにこの国の主となった。
だが、その代償として、俺の身体の半分は――この 書き換えられた世界 のノイズに呑まれ、透明に透け始めていた。
「……天下を掴むのが先か、俺が消えるのが先か。面白い、書き続けてやるよ……」




