第五話:二条御所の亡霊
天正十年、六月下旬。
かつて俺を追放した都、京の二条御所に、俺は数年ぶりに足を踏み入れた。
本来なら、追放された将軍が易々と戻れる場所ではない。だが、門を固める兵たちは、俺の姿を見るなり、魂を抜かれたように道を開けた。
彼らの瞳の奥には、俺が書き込んだ 黄金の嘘 が、消えない火のように灯っている。
『足利義昭こそが、信長の志を継ぐ正当なる守護者なり』
この 理 に抗える者は、もはやこの京にはいない。
「……はぁ、はぁ……」
御所の深奥、玉座に深く腰を下ろした瞬間、肺が焼けるような熱に襲われた。
代償は加速している。右腕はもはや完全に感覚を失い、冷たい彫像のように膝の上に横たわっている。心臓を打つ鼓動は不規則で、ときおり周囲の音が薄れ、頭の奥で小さな裂け目がはじけたように響く。
俺は震える左手で、玉座の肘掛けに墨を垂らし、指で直接 文字 を刻みつけた。
『この場所は、あらゆる嘘が「真実」として確定する、歴史の特異点となる』
書いた瞬間、御所全体が激しく揺れた。
地震ではない。空間そのものが、俺の意志に無理やり形を曲げられたことによる悲鳴だ。
次の瞬間、俺の視界にある 情報の糸 が、激しく発火した。
これまで赤い揺らぎにすぎなかったものの中に、今度ははっきりと文字の形が浮いた。
『警告:領域の管理者権限に未承認のアクセスを検知』
『ステータス:歴史的因果の強制上書き中。……バグの発生を許容します』
「……まただ。またこの『声』か」
俺は血の混じった唾を吐き捨て、不敵に笑った。
管理者? バグ? 訳の分からぬ言葉を並べるがいい。
俺がこの筆で書き、この御所で宣言する限り、それがこの世界の唯一の正解だ。
「光秀、入れ。……お前の『英雄譚』の続きを書いてやる」
現れた明智光秀は、かつての迷いある表情を捨て、神を見るような狂信的な眼差しで俺に平伏した。
俺は知っている。光秀を救ったのも、家康を屈服させたのも、すべては俺のついた 嘘 に過ぎないことを。
だが、その嘘が世界を覆い尽くせば、それはもはや嘘ではない。 歴史 そのものだ。
身体が崩れるのが先か、俺が神の如き記述者になるのが先か。
勝負はここからだ。




