第7話
しばらく食事が進んだ頃、堂本が無遠慮にこう質問を切り出した。
「――して、お二人は交際をされているとのことですが。いつ頃から?」
琥珀がそれに眉を顰めながら口を開きかける。
しかし、直後、増永が凄まじい剣幕で堂本を睨んだ。
「堂本ッ! プライバシーに無遠慮に踏み込むものじゃないよ――大変失礼いたしましたお二方。あくまでも奥様にご報告するためのお話を聞きたいだけでございますので。当然、お二人が話せるとご判断した部分だけを、是非、お話しいただければ」
増永がそう言うと、堂本は申し訳なさそうにメモ帳を取り出した。
――なるほど、仕込みか。青葉は冷めた目でそれを見て、琥珀も勘付いている様子だ。
当然、実際に交際をしていようとしていなかろうと、事実であるという前提で話を進めるのなら、いつ交際したのか、どういう関係なのかなどを第三者が問い質すという行為は、プライバシーの侵害も甚だしいだろう。
顔合わせをしたいと招かれたからといってそこまで話す義理はない。
だが、片方が踏み躙ろうとしたところを、もう片方が咎めた。
そしていけしゃあしゃあと『言えないだろう?』と大人げなく挑発するような言葉。
揺さぶられる。訂正のために話すべきか、それとも頑として沈黙を貫くか。
青葉は下手なことを言わずに琥珀に判断を委ね――琥珀は横目にそれを見て、青葉の視線を受け止めて、薄く口元を緩めると、腹を括って化かし合いに興じた。
「二年生に上がってからですね。細かい日付までは覚えていませんが、四月の頭に」
「おや、そうでしたか! そうなるとそれはもう、デートなどをなさって?」
「いえ、残念ながら私は会社がありますし、彼女も勉強があるので。慎ましやかなものです」
「なるほど、しかし……東条様。社長といえば年度の始まりは特に忙しいですから、最近になってようやく一緒に過ごせるようにといったところで、嬉しいのでは?」
増永は唐突に青葉に質問を繰り出した。言葉に、少し琥珀の目が揺れる。
――罠。恐らくどこかに罠があるのだろうと青葉はすぐに気付いた。琥珀の反応を見るまでもなく、ここで唐突に青葉に話を流すというのはそういうことだ。
正直なところ、経営に疎い青葉には何が罠かは分からない。だが、避け方は分かる。
青葉は話の流れに構わず続けていた食事の手を止め――あっけらかんと笑った。
「学校でいつでも会えますから。特に意識してませんね!」
琥珀は満足そうに笑顔を浮かべ、対照的に増永たちは控えめに笑う。
「そういえばそうでしたね、琥珀様の本業は学業で――しかし、会えるのが学校だけというのは寂しいのでは? もう少しこっちに時間を割いてくれ、なんて思ったり?」
「うーん、私も私でゲームが好きでよく一人夜中まで起きてたりするので、お互いにお互いのプライベートには干渉しないようにしよう、って。そういう話になってます」
「ゲームは、琥珀様とはご一緒にはなさらないので?」
「まあ、私がやってるのは人を撃つような野蛮なゲームですから」
「おや? しかし、琥珀様も昔からゲームの類が好きなはずですが」
「へー! そうなんですか? そういう話全然してくれないんで、助かります!」
とぼけた調子で首を捻る増永に、青葉は感激の素振りで顔の前に手を合わせた。
一筋、笑顔の増永のこめかみに汗が伝う。堂本の表情も硬い。青葉は笑みを崩さない。琥珀は、少し見直したような微笑で青葉の横顔を見詰めていた。
色々と罠を仕掛けてくるが、こちらのカウンターは焦らず一つ返すだけでいい。
交際からたった二か月だ。知らないことがあるのは、何らおかしなことではない、と。
そして彼らが青葉を与しやすいと判断して、狙いを変えたというのなら甚だ心外だ。青葉が好むのはオンライン対人ゲーム。騙し化かしも不得手だが、相手のしたいこととこちらの勝ち筋を探す理詰めはそう苦手ではない。勝利条件は明白。負け筋を作る気はない。
「私が好きなのは買い切りの携帯型ゲームよ。あんまり合わないかもね」
琥珀は笑顔で話を割り込ませ、青葉は少し不敵でいたずらっぽい笑顔を返す。
「さっき『おんがえし』がすぐ出てきた当たり、結構ポケモンやってるのでは?」
「……なるほど、中々」
琥珀は感服した様子で瞑目し、青葉は得意げな笑顔を返した。
さて、琥珀も青葉も下手な攻撃ではボロを出さないことを示した。堂本は露骨に困った様子でペン先で額を突き始め、増永は流石にポーカーフェイスで笑顔を絶やさない。
話はこれで終わりだろうか、と青葉は再び食事に戻り、全くコース料理でも足りる気がしないので、トラフグや伊勢海老を追加注文してやろうとメニューを手に取ってみる。
そこで、増永は徐に目を瞑ると、心苦しそうに細めて開けた。
「これは琥珀様へのお話なのですが」
増永は矛先を逸らす。そしてその話題も先ほどとは何か雰囲気が違いそうだ。
「……はい?」
「私は貴女こそ次期社長に相応しいと本気で思っております」
間髪を挟まずに返された言葉は、あまり琥珀の予想していたものではなかった。こちらの偽装交際を暴こうとするものでも、動揺を誘うものでもない。
流石に琥珀の顔に懐疑の色が宿る。
「――それは」
「当然、『西浦サイバーセキュリティ』において会社は血よりも遥かに重い。しかしながら、会社を重んじればこそ貴女なのです。経営者と労働者は本質が異なる。人を束ね会社を導くことを学んできた者、そして実践してきた者こそが適していると考えます」
黙って話を聞く琥珀の顔に僅かな納得の色。青葉にも言い分は理解できた。
確かに今まで単純なプレイヤーだった人間が突如としてリーダーはやれまい。勿論、間に管理職を挟むことになるだろうが、しかし組織全体の舵取りはまた別質だろう。
増永はろくろを回すような手裁きで指を四本立て、四人兄妹を示す。
「社長はご子息やご令嬢の皆様にそれぞれ異なる役割を課しました。役職、経営、管理、人を束ねる仕事です。そして――お目付け役から常に報告を受け取っています」
琥珀はそれに頷いた。その言葉は嘘ではないのだろう。
「『オータム・ホテルズ』でも、父の側近だった方が都度報告を上げています」
「その報告を受けて、社長は定期的に皆様に対してフィードバックを返しています」
「え?」
「ご存じないでしょう。つまり、琥珀様だけです。成果に文句の付けようがなかったのは」
唖然とする琥珀に、増永は淡々と――兄妹で誰が最も優れた結果を上げているのかを客観的証拠を用いて示した。琥珀は眉尻を下げて口を覆い隠し、青葉は少し居心地が悪くなる。
琥珀の姉や兄がどのような役割を任せられているのかは分からない。聞いている限りでは同じように会社を任された人もいるのかもしれないが、そうでなく会社内での役職を任されている人もいるのだろう。会社の規模が違えばやることも難易度も変わるのだろうが、琥珀に兄姉への敬愛の念があるのだとすれば、その事実は一概に喜べるものでもない。
だが、客観的事実として、琥珀の社長就任を現社長が期待している根拠はある。
「そんな貴女が会社とは無関係に生きようとすることに対して、奥様も思うところがあるのでしょう。奥様が様々な社交の場に貴女を向かわせるのは、考えを変えてほしいという気持ちもあるのやもしれません。それか、せめて何か――会社のために、と」
増永の話はそこに、つまり期待されているからこそ、何らかの接点を会社との間に残してほしいのだという結論に行き着く。先程までは淀みなく言い返していた琥珀も、情に絆されるような手口には弱いか、困り果てた様子で口を噤んで沈黙していた。
増永と堂本は真っ直ぐに琥珀を見詰める。
彼らも彼らで、社長に近い立場として会社を思えばこその行動か。或いは母親からの命令だからやむを得ずか。理由は分からないが、彼らなりの考えもあるのだろうと思う。だが、
「あの」
道理ではなく情に訴える手に出た時点で、こちらも盤外戦術を用いる道理を得た。
青葉は話の流れに水を差すように挙手をして、弾かれたように顔を上げる三人へ、
「おかわり、注文してもいいですか?」
気の抜けた笑顔でメニューを示す。すると増永は笑顔で頷いた。
「あ、も、勿論です! どうぞ、ご自由に」
「ありがとうございます――それと、僭越ながら申し上げたいのですが」
少しだけ空気が緊張を帯びる中、青葉は真剣な表情で増永と堂本を見る。
「皆さん、少し失礼じゃありませんか? 私に」
「……え、ええと……それはいったい、どういう?」
先ほど唐突な話題を出された際の琥珀と同様、増永と堂本にも困惑の色。
どうやら彼らは忘れているらしい。こちらが招待を受けたゲストである事実を。
「私は顔合わせも兼ねて交際について聞きたいことがあるからと言われ、この場に来ました。それが何ですか? 人を放っておいて身内の会社の話ばかり」
交際について話を聞くのは建前で、その実態は琥珀の身の振り方に関する駆け引き。
青葉を除く三人がその前提を共有していたが故に発生した、表向きの理由での過失。全く想定外の方向からの指摘に対して増永は顔色を変えると、冷や汗を浮かべて頭を下げた。
「あ、ああ、そうですね! 申し訳ございません! 少々、配慮に欠けていました」
「……少々配慮に欠けていた? 『西浦サイバーセキュリティ』の社長室ではこのように、ゲストを無視して無関係の話をし続けるのが慣例になっているんですか?」
我ながら性格が悪いと胸中で自己嫌悪に陥りつつも、青葉は全く嫌味の見せない真剣な嫌悪感を以て対峙する。ほうら、お望みの盤外戦術だと対人FPSゲームで培ってきた嫌味を吐く。
彼らがどんな立場かは知らないが、社名を名乗って外部の人間を招待したのだ。
無関係とは言わせない――青葉の突き刺すような視線に堂本はハンカチを取り出し、「いやあ手厳しい」と笑いながら冷や汗を拭い、どうやら相変わらずのらりくらり躱そうとする。
それなら八百長をするだけだ。青葉は視線を唖然とする琥珀へ流した。
「何を他人事のような顔をしているんですか、琥珀さん。貴女のお父さんの会社ですよ?」
青葉が努めて真剣な表情で矛先を変えれば、琥珀の目にさらなる驚きが宿る。
だが、見詰め合うこと数秒、言葉を介さずともお互いの気持ちが伝わり合い、一瞬、お互いに口元が緩みそうになる。だが、青葉は唇を噛むフリで誤魔化し、琥珀は口を手で隠す。
「ごめんなさい、でも会社に関わる大事な話なの」
「それなら私はこの場に必要ありませんね、二度と呼ばないでください。それと、こういう真似をするなら貴女との関係もここまでとさせてください。不愉快です」
「ま、待って、ごめんなさい! 違うの、その……本当に大事なことで……」
琥珀は柄にもない弱々しい乙女のような演技で胸に手を置くと、泣きそうな顔を作る。
「お願い。父さんにはちゃんと、こうならないよう指導してほしいって伝えるから」
きっとその心は満面の笑みを浮かべていたことだろう。
社長室コンビは痛いところを突かれたとばかりに青い顔で居住まいを正している。
そう、彼らが母親の命令を受けてきたからといって、話を聞いている限りでは間違いなく社長は琥珀の味方だ。この失礼な態度について、琥珀では『父さんに言いつけてやる!』などというスタンスは取りにくいことだろう。
だから青葉がやってやるのだ。お前ふざけるなよ? という建前で。
青葉は露骨な溜息を吐くと、少し表情を緩和させて許すような素振りを見せた。
「その情に弱いところ、いい加減どうにかしてくださいね」
青葉が思うに、琥珀の最大の弱点はそこだ。そして、そここそが琥珀の美徳だとも思う。
彼女は合理を突き詰めて最大の結果を出す手腕を持っている。しかしその辣腕を振るわない。情に脆いから。だから母親の厄介なやり口に青葉を交際相手とするような迂遠な対処法しか取れない。だから会社を想う二人の言葉に対して即座に反論が出なかった。
そこが好きだから伝えた青葉の言葉は、しかし、琥珀には別の意味を届けたらしい。
琥珀はそれを聞いて、動きを止めた。真剣な眼差しで瞬きを繰り返すこと数秒後、
「――実際に、上に立つと」
青葉から青褪める二人へと視線を移した。唐突に話題を振られた二人は目を白黒させる。
「時に残酷な決断を強いられることがあります。古くからの付き合いを切り捨て、より利益の大きい腹の知れない相手と手を繋ぎ、壊死した部位を切り捨て、それに繋がっていた情を諸共切り捨てる。私には……それができない」
思うところがあるのか社長室コンビは神妙な面持ちで静聴を続ける。
「『オータム・ホテルズ』が私の手元で今より大きくなることはないでしょう。挑戦にはリスクが伴う。私には……今いる従業員二万人とその家族を危険に晒す真似ができない」
それはきっと優しい社長で、けれども会社を大きくするリーダーではない。琥珀は誰よりも自分のことをよく理解していたからこそ、その道を進む気がないのだろう。
琥珀は先ほど返答に窮した、情に絆すような提案の数々へこう結論を返した。
「私は父の代わりにはなれませんし、管理職の類も向いていません。そして、会社の利害関係者との結婚などを期待されたところで、生憎と今は恋人がいます」
青葉はもう心配なさそうだと目を瞑ると、メニューを眺める。
「彼女に捨てられたくないので。どうかご理解を」




