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第4話

 翌日の放課後、青葉は高校最寄り駅から徒歩十数分の場所にある喫茶店を訪ねていた。


 扉を開けると軽やかな鈴の音がカランコロンと鳴り響き、モダンな雰囲気の漂う木造の調度品が飾られた店内からは、心を落ち着かせるような茶葉と豆の香りがした。


 立地が立地だからか人の入りはあまり多くなく、スイングジャズに紛れて聞こえるのは誰かがカップを置く音くらい。


 強面に髭面の中年店主がちらりと青葉を見る。自然と背筋を伸ばすが、


「いらっしゃいませ。お好きな席におかけください」


 ダンディな微笑みと共に席の方を手で示されたので、強張った笑みで店内に入る。


 そして革靴の音を努めて殺して中を歩くと、すぐに目当ての人物が見つかった。角の方の席で一足早く来店していたその小柄な少女は、スマホを片手に頬杖を突いていた。


 彼女――西ヶ浦琥珀はこちらに気付くと眉を上げ、柔和な笑みを見せた。


「お疲れ様。ありがとね、来てくれて」

「と、とんでもないです……! こちらこそ貴重なお時間、ありがとうございます」


『仕事の内容はまた後日連絡する』と伝えられたのが昨日の放課後。そして『恋人代行の件について改めて説明をしたい』と連絡が来たのが今朝。そして放課後、ここに足を運んだ。


 勿論、琥珀としても必要な労働者だったのかもしれないが、しかしながら対等などとは口が裂けても言えないし脳が裂けても思えない。青葉は頭を低くしながら向かいの席へ。


「好きなの注文して」


 言いながら琥珀が手書きの風情あるメニューを差し出してくるので、


「……支払いは別々とか言いませんよね?」


 借金に背中を焦がされている女が冷や汗と共に必死に訊けば、琥珀は頬杖を突いたまま可笑しそうにニヤニヤと笑った。返事はなかったが、否定だと解釈して青葉はメニューを見る。


 そして遅れてやってきた店主に「えっと、アイスティー甘くないやつと、小倉トーストのミニサイズを一つずつ」と注文し、去ったその背を見送った後に琥珀を見た。


「ご馳走様です。ありがとうございます」

「ん。ところで財布は持ってきた?」


 ――目を見開きながら激しい呼吸を始める青葉に、「冗談よ、奢るって」と琥珀は楽しげにメニューを片づけてくれる。どうやら思っていたよりも気さくな人らしい。


 さて、改めて二人で見詰め合う。琥珀はスマホを片付け、青葉は背筋を伸ばした。


「まずは来てくれてありがとう。用件だけど、昨日軽く頭出しをした通り恋人代行の仕事についての説明と、可能ならこのまま契約までしてしまいたくて」


 そう言いながら琥珀は鞄を開き、中から何やら本格的な書類の入ったファイルを取り出す。


 何だか思ったよりも畏まった場のようで、青葉は慌てて更に背筋を伸ばした。「は、はい」と上擦った声で膝に手を置けば、それを見て琥珀が優しい顔で吹き出した。


「ふっ……そんな畏まらならなくていいから。どっちが偉いとかでもないし」

「いやでも、雇ってもらう側ですので」

「短絡的ね、雇用主だから無条件で偉いって道理はないでしょ。自分という資産を軽んじちゃ駄目。まあ、相手からすれば貴女の代わりはいるかもしれないけれど、だからって尊厳を切り売りすることが正解でもないし、本質的にはお互いに対等であるべきでしょ?」


 理屈で詰められると反論の余地がなく、青葉は「確かに」と納得に目を丸くして一言。


 しかしながら、ここでは尊厳を切り売りしてでも成し遂げなければならない仕事がある。


「でも私は代わりの人を探されたら困るので……!」


 多少大袈裟でもへりくだるべきだと判断すると、「なら止めないわ」と琥珀は苦笑した。そして彼女はファイルから二組の書類を取り出すと、片方を青葉へと差し出した。


「さて、仕事の話ね。私が貴女へ依頼したいのは派遣型サービス業のいわゆる『恋人代行サービス』。具体的な業務内容はデートとか予行練習じゃなくて、パートナー役」

「恋人のフリをしてほしい、ってことですか?」


 当然ながら初めての仕事なので、青葉はおとがいに指を当てて尋ねる。「そ」と琥珀は肯定と共にファイルから説明用の書類を取り出した。図が描いてある。


「これはあくまでも一例で、実際には直前に改めて依頼内容を送るんだけど――基本的には会食だとかパーティだとか、挨拶。つまり第三者と交流が発生する場において、貴女に恋人として振る舞ってほしいって話。その際の『恋人としての振る舞い』の定義はこれね」


 一枚目、二枚目ともに著作権フリーのイラストで分かりやすく資料がまとめられている。


「わー……分かりやすい」


 思わず感心しながら呟くと、琥珀が眉を上げる。


 話の腰を折ってしまったかと青葉が慌てて謝罪をしようとすれば、意外にも琥珀は嬉しそうに頬を緩めて唇の端を吊り上げた。「でしょー?」と意外にも子供が誇るような可愛らしい笑みを見せるので、ついつい「ご自身で?」と訊けば「まーね」と得意げに目を瞑る。


「部下への説明用資料しか作ったことなかったから、頑張ったのよ」

「へー、あ、そっか。社長でしたもんね。社長でもそういう仕事をするんですね」

「今はあんまり。去年社長に就任したばかりの頃は多少。改革を進める時期だったから」


 そう遠い目で語る琥珀の姿は紛れもなく若くして社長を務める少女のものだったが、先程見せた笑顔は少しツンとした雰囲気のある普段の様子と違って可愛らしく。青葉はそんな彼女の表情から目を離せず、気付けばもう少し彼女を知りたいと思い始めていた。


 いかんいかん、と自分の債務額を思い出した青葉は冷静に頭を振り、しかし、それでも少しだけ気になってしまったので好奇心に負けて質問を重ねる。


「高校入学と同時に社長を?」


 琥珀は一瞬返答を悩むように眉を上げて虚空を見るが、相好を崩すと頷いた。


「そ。社長ってのは基本的に年齢の制限がないんだけどね、印鑑登録の都合で十五歳からが色々と楽なのよ。そんで十五歳になったところ、社長――あー、私のお父さん。別の会社の社長が私の名義でペーパーカンパニー作ってね、ポケットマネーで今のホテル会社を買収したの」


 あまりにも住む世界の違う話に眉を顰めて大量の疑問符を浮かべてしまう青葉。「ポケットマネーで?」と訊けば「やばいでしょ」と同じような顔で琥珀も苦笑。


 流石にその辺りの感性は父親よりも一般人寄りらしい。


「――正確に言うと、お父さんがポケットマネーを私のペーパーカンパニーに貸付して、私がそのお金で会社を買収。で、大きな会社にしたらお父さんの会社に売ろうという話で」

「ど……どうしてそんな。我が子を千尋の谷にみたいな話ですか?」


 琥珀は紅茶を一口飲んで唇を湿らせ楽しそうに語ろうとするが――そこに青葉が注文したアイスティーと小倉トーストがやってくる。話が脱線しすぎていたことを自覚するには十分な冷や水だった。「お待たせしました」という店主の配膳を受け、二人はクールダウン。


「まあ、その辺は追々ね。今は契約について。食べながら話そうか」


 そう言うと琥珀は青葉の注文した小倉トーストの一切れを奪い、たっぷり小倉餡を付けた。「あー!」と人の奢りなのに生意気にも声を上げる青葉の前で、琥珀は美味しそうにトーストを食べた。そしてご機嫌に唇の餡を舌で拭った琥珀は、再び語り出す。


「とにかく。貴女に恋人として求めるのはこれね」


 改めて資料に目を落とすと、『恋人であると口裏を合わせること』『必要な時に腕を組む、手を握るなどの肉体的接触を事前確認の上で実施すること』『性的接触は求めないこと』を多角的な文章で示しており、これなら青葉としても特に抵抗はなかった。


「何か確認したいことは?」

「小倉トースト美味しかったですか?」

「美味しかった」


 青葉もバターをしっかり付けて食べてみる。ほっぺが落ちそうな美味しさだった。


「で、時給は昨日も言った通りに一万円――と、業務委託契約なのでプラス消費税。基本的な連絡手段の指定と契約に伴う各種条件と責任の所在とあれやこれや云々かんぬんについて記載したものがこちらの契約書になりますので、問題なければサインして」


 青葉はトーストを咀嚼しながら契約書を受け取り、ざっと目を通す。


 始まりの方の目的や内容を読み流し、後半の報酬額の部分だけ念入りに確かめた。


「――問題なさそうです!」


 青葉がそう言ってペンを取り出そうとすると、琥珀が半眼で呆れた溜息をこぼした。何かマズいことをしただろうか。ギクッと肩を震わせると、琥珀は頬杖を突いた。


「ちゃんと読んだ?」


 ギクギクッと青葉は肩を震わせ、冷や汗と共に目を逸らす。


 そこまで文章量が多かったわけではないが、それでも受け取ってから十数秒だ。口が裂けても『全て読みました』などとは言えないし、かといって正直に話すのも怖い。


「よん、よみ……大事な部分は。読みました」


 嘘は言っていない。当然、琥珀からお説教が飛んでくる。


「あのね、確かにちゃんとしたところは悪徳を為せば相応の代償を支払うから、基本的にちゃんとした契約書を作る。でもルールは理解している人が得をするようにできている。それに後から納得できないって抗議されたらこっちとしても面倒だから、私と仕事をするなら、契約内容はしっかり確かめる。これは癖にして」


 ちゃんと怒られた青葉は、ちゃんと効いて「すみません」としょぼくれた顔で謝るしかない。久々に人に怒られて恥ずかしさと悲しさに苛まれつつ、改めて契約書を読む。


 精読とまでは言えないが、それでも熟読をして意味を確かめていく。


 業務内容に相違はなく、義務についても異議はない。反社会的勢力の項目は飛ばしても問題ないはずだが、一応、飛ばし読み。契約については、秘密保持や支払い、連絡手段や義務などのルールを束ねた基本契約を一つ結び、以降は期間中、定められた連絡手段により提示された業務内容を元に個別の契約を結ぶ、というものだった。


 諸々をしっかりと読み通して、改めて顔を上げた。


「ちゃんと読んだ?」


 再び確かめてくる琥珀に、青葉は今度こそ力強い表情で頷き返した。


「読みました!」

「偉い!」


 琥珀はその鋭い表情に柔和な明るい笑みを灯して褒めた。


 怒られたのも久々だが、人に褒められたのも久々で、青葉は一転して照れ笑いを浮かべ、口元をもにょもにょさせながら「えへ」「そんな」と会釈を繰り返してしまう。


 琥珀はそんな青葉を優しい笑みで眺めた後、おどけた調子でメニュー表を差し出してくる。


「ご褒美。おかわり頼んでもいいからね」

「ご……ご馳走様です」


 一度は遠慮しようとした青葉だったが、琥珀の厚意には甘えてもいいような気がして、メニューを受け取って追加の飲み物と軽食のお菓子を注文してしまう。


 何だか餌付けをされている気分だった。きっと尻尾があればブンブン振れている。


 さて、注文の品が来るまでの間に青葉はサインを済ませ、正式に契約を締結。控えを受け取ると、琥珀が実際の稼働開始について切り出した。


「それで、最初の仕事だけど……いつから始められる?」

「今日からでも!」

「頼もしい返事ね。それなら明後日金曜日の放課後。どう?」


 今日からでもとは言ったが、青葉は念のためスマホで予定を確認する。


「大丈夫です。翌日にも予定はありません」


 琥珀はその返答に満足そうに大きく頷いた。そして苦笑気味に語り出す。


「なら決まりね。実は前々から恋人ができたって嘘ついててさ、諸事情あって父さんの会社の社長室連中がこっちを疑ってんの。で、顔合わせをさせてくれって言われててね」


 不思議な環境と経緯に青葉は目を丸くしながら「へー」と頷き、


「私としては全く構いませんが……いったいどういう状況なんですか?」


 結局青葉がすることは恋人のフリだろうから特に困ることはないのだが、それはそれとして、琥珀を取り巻く状況の全容が見えてこない。首を傾げる青葉に、琥珀は「あー」と悩む素振りを見せる。そして少し黙った後、間が悪く先ほど注文したおかわりがやってきた。


「まあ、またいつか説明するわ」


 そうこぼす琥珀の表情は辟易としていた。

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